上海に生き

広告カメラマンとして活躍する 萬誠さん

 
   萬誠 1957年上海生まれ。上海大学卒業。島根大学大学院修了。1998年に上海映真専業撮影企画有限公司を設立。主に、外資系企業の広告写真を撮影する。そのかたわら、地元の雑誌などでも活躍中。島根大学教師の妻と二人家族    須藤 美華

 「日本で経験を積んだ中国人の自分だからこそ撮れる写真がある」

日本留学後に 幼い頃からの夢が実現

中国の広告業はここ数年、毎年二ケタ成長を続けている。とりわけ、中国広告業の牽引力となっているのが上海だ。日本から戻って三年半、カメラマンの萬誠さんも、広告の世界に身をおく一人として忙しい毎日を送っている。

 萬さんは、上海大学で法律を専攻。卒業と同時に、貿易会社に就職した。その後、新しいチャンスを求めて、1988年日本へ留学した。彼が留学後、日用品以外で初めて買ったものが、中古のカメラ。当時、大阪の語学学校に通っていた萬さんは、1990年に開催された大阪花博覧会に何度も足を運び、花の写真を無心になって撮影した。

 「母親が上海では有名な王開写真館に勤めていた関係で、小さい頃から現像の現場などを見てきて、写真にずっと興味を持っていました。スタジオが子供のころの私の遊び場だったんですよ」。いつも写真が身近にあった幼い頃の思い出を懐かしそうに、萬さんは話す。

 日本へ留学する前の上海では、カメラマンとして生きていこうと思っても、婚礼写真の撮影などくらいで、仕事の場はわずかしかなかった。同じパターンの撮影を流れ作業のようにこなしていく単調なものしかなかったという。

 しかし、日本で自然の風景や花など美しい物をカメラにおさめていくうちに、彼の心のなかには写真への熱い思いがよみがえり始める。島根大学で修士号を取得すると、カメラマンとしての経験を積むため、CMスタジオに飛び込んだ。1992年、新しい人生のスタートだった。

30代なかばで カメラマンに転職

 30代なかばでの転職、ましてや異国での新しい挑戦には苦労も多かったに違いない。しかし、もともと手作り志向で、より良いものを作るためにはとことん追求していく職人気質を持った彼には、カメラマンの仕事こそ天職だったようだ。日本での五年あまりの修行を経て、中国に帰国。そうして、故郷上海で撮影スタジオをオープンさせた。

 「日本でカメラマンとして経験を積むなかでたくさんのことを学んだと思います。計画経済から市場経済へと転換し、広告業界にも大きなチャンスが潜んでいる中国で、自分が学んださまざまなことを生かしていきたいと思ったのです」

 まず、相手の立場に立って考えるという思いやりの気持ち、さらにクライアントや客へのサービス精神を学んだ。ライティングひとつで写真は微妙に変化する…。日本人のカメラマンの仕事を見ながら、クライアントの望むものを写真という手段でどう表現していくのかを身につけていった。

 「いつも、謙虚な気持ちでいたいと思います。中国人の同業者の作品を見ていると、もっといいものを撮ろうという気持ちが少ないように思います。日本の広告業界が成熟期に入っているのに対して、中国の広告はまだ始まったばかりの業界でしょう。ですから、ある程度の技術があれば、誰にでも仕事も来るのです。でも、私は常に新しい情報を収集し、広告写真の研究を続けていきたいと考えています。そうでなければ、自分のレベルが今の段階で止まってしまうから…」

 現在、広告写真家としての仕事の六割は日本企業のもので、そのほかドイツや韓国、中国企業の仕事を請け負っている。特に、日本の広告代理店の要求は厳しいが、厳しく言われたほうが自分自身も頑張れるし、能力も伸ばせる、そう萬さんは言う。

 「向上」をモットーとしている彼は、年に五、六回は自社スタジオを外国の撮影チームに貸している。情報収集や交流が狙いだ。

 「日本など外国のカメラマンと交流したいという気持ちからです。それに、私のアシスタントたちにしても、私の口からあれこれ指示されるよりも、時には他のアシスタントの動きを見ることで、自然に勉強することができるんですよ」

自分だからこそ 撮れる写真を

 三年半は順風満帆だったわけではない。

 スタジオは相当金額をつぎ込んで、倉庫だったものを全面的に改造した。白や空模様、黄色など各種背景も設置した。キッチンやダイニングテーブルなども揃えており、料理写真も撮れる。スペースがとにかく広いので、クルマをはじめとしてほとんどの商品を撮影することもできる。機材も日本のスタジオと遜色ないものを揃えているという自負もある。しかし、スタジオは作れても、市内のライフラインまでは整備できない。

 「上海はライフラインの基盤が弱いので、日本から戻ったころはどうなるかと思いました。停電は少なくなったものの、電圧には泣かされましたね。電圧が不安定なためにストロボが全部壊れてしまったこともありましたよ」

 最近、発注を受けることが増えてきた中国企業のなかには、写真は撮れていればいい、クオリティをそれほど追求する必要はないというスポンサーも少なくなく、自分の理想との間に生じる矛盾でやりきれなさを感じることもあるという。

 しかし、日本で経験を積んだ中国人の自分だからこそ撮れる写真があるし、やらなければならない仕事がある。萬さんは、胸を張って言う。

 「新しい技術はどんどん導入したいし、人材も育てたい。そして、日本と中国の写真交流も深めていきたいのです」(2001年8月号より)

[萬さんのプライベート]
◆マイブーム…デジカメで、街で気に入ったものを撮影する
◆週末の過ごし方…おいしいレストランで食事する
◆上海お気に入りスポット…淮海路のファッショナブルなお店
◆スポーツ…水泳
◆ストレス解消法…音楽を聞くこと

[筆者略歴] 日本での出版社勤務後、留学。北京週報社・日本人文教専家を経て、現在、復旦大学大学院生