上海ファッション界に座標軸が 日本や香港にもない規模の高級ブランドモール「恒隆広場(プラザ )」が4月、上海・南京西路にオープンした。エルメス、ルイ・ヴィトン、シャネル、カルティエ、フェンディ、プラダなど世界のスーパーブランドが一堂に集まったとあって、市民の間で話題になっている。 「プラザ ができた意味って、すごく大きいと思うんですよ。これまでは、『目新しいもの イコール 良いもの』という図式があったけれど、世界のパワーブランドが勢揃いしたことで、上海でもファッションの世界に座標軸ができたと思います。パワーブランドが確立したことで、一方のインディーズやローカルブランドとの住み分けができました」 そう話すのは、雑誌やCMなどでスタイリストとして活躍する樋田基子さん。愛らしい顔立ちに、スタイリストらしいオシャレないでたち。くるくる回るような目と一生懸命言葉を探しながら話す姿勢から、好奇心の旺盛さと真面目な人柄が伝わってくる。 「上海のファッション界もようやくスタート地点に立った。これから上海は、面白くなってくると思うんです」 北京に一目惚れ中国に住みたい! 樋田さんは、父親が広告業界でアートディレクターをしていた影響もあって、早くから洋服に興味を持つようになった。大学生の頃は、大学に通うかたわら、スタイリストのアシスタントをしながら四年間を過ごした。そのまま行けば、すんなり日本でスタイリストになっていたはずだ。それが1993年、友人に誘われて来た北京旅行で一転する。それまで欧米志向だった彼女が、北京に一目惚れした。 「北京ってアジアなんだけど、ヨーロッパの匂いを感じた。セピア色がかっていて、キッチュで、こんな映画のセットみたいな街ってあるの〜、って感動しちゃって、中国に住みたいと思ってました」 中国の歴史や文化に触れて中国に興味を持つ人は昔から多かったが、こんなふうに理屈抜きに中国に惹かれる若い世代も少しずつ増えている。 好きなものは、洋服と中国。好きなものは絶対捨てられないと彼女は言い切る。しかし、スタイリストとして生きていくなら東京のほうが経験も積めるし、刺激も学ぶものも多いはずだ。それでも彼女は中国を選んだ。 「こっちの人ってオープンでしょう。エネルギーがあって、こんな人たちと勝負してみたいと思った。その頃、東京でクールに暮らしていたつもりでしたけど、コンビニ的なものに飽き飽きしていたのかも知れない。ある時、夜も遅い時間に冷たいお弁当を食べながらファッション界でどうしたい、こうしたいという大きな夢を語る人を見ていたら、リアリティーないなぁって思って。私は温かいご飯を食べながら、夢を語る人でいたい。リアリティーのあるところで生活をしたいと思いましたね」 三年後を目指して 北京で一年、語学留学をした後、上海の日系アパレルメーカーに就職した。フラッグショップの店長として一年、マーチャンダイジングや店舗設計、広告などの業務を二年半経験した。 最近でこそ、中国人スタイリストも活躍し始めているが、当時の中国にはスタイリストという職業も仕事もなかった。雑誌編集者がスタイリストを兼任して、メーカーに洋服を借りに来る。樋田さんの勤務していたメーカーにも編集者が訪れる。自身の経歴を話すうち、次第にスタイリストの仕事が舞い込んでくるようになり、昨年からフリーとして活動するようになった。また、近頃は、カタログデザインの仕事も手がけている。 「平面にイメージを落とし込むという意味では、スタイリストもカタログデザインも同じです」。父の仕事とだぶってきたみたい、と照れながら話す。 しかし、あくまで樋田さんの仕事のコアは、洋服。 「あと三年後くらいが面白くなる時期だと思います。ちょうど日本からも仕事の依頼が来るようになったので、日本と中国を行き来しながら、その時のためにも経験を積み、自分をブラッシュアップしたい」 これからどんどん面白くなりそうな上海。三年後、彼女はどんな仕事を見せてくれるのだろうか。(2001年9月号より) [樋田さんのプライベート] ◆マイブーム…テクノ [筆者略歴] 日本での出版社勤務後、留学。北京週報社・日本人文教専家を経て、現在、復旦大学大学院生 |