同僚はすべて中国人 上海には現在、長期出張者を含めて約2万人の日本人が在住していると言われる。そのほとんどが駐在員とその家族、留学生だが、最近は海外就職の場として上海にやってくる若者たちも増えている。そのなかでもひときわ異彩を放つのが、CMプロデューサーの葛西清重さんだ。 「日本人の知り合いはいますよ、だけど友達はいないなぁ。中国人の友達はいますけどね」 上海で就職しようとする日本人の大半が日系一般企業に勤務しているのに対して、葛西さんの勤めるCM制作会社は中国人が経営者で、同僚もすべて中国人だ。会社への通勤は、自転車。仕事上、日本人と知り合うことも多いが、日本人とのつきあいよりも中国人とのつきあいを重視し、どっぷり中国社会につかって仕事をしている。 CMプロデューサーは、テレビCMの制作において、撮影準備から最終の仕上げまでをコントロールする。ディレクターやカメラマン、照明などのフリーランサーを含めたスタッフ、予算、スケジュールの選定・管理に加え、作品のクオリティまで責任を持たなければならない。 特に、彼の場合、日系企業などのスポンサーと中国人スタッフの間に立って、制作する過程で生じる意識や意見の違いを調整せねばならず、完成までスムーズに進むかどうかは葛西さんの腕にかかっている。 「スタッフみんながやりたいことがやれるような環境を作るのが自分の仕事だと思っていますから」 というものの、企業側の厳しい要求からすると、中国人スタッフのレベルでは未熟なことも多い。逆に、中国人スタッフにすれば、日系企業の仕事は当初から型が決まっていてクリエイティブな発想をする余地がないように映る。プロデューサーとして品質を保証しながら、スタッフにやる気を出させて盛り立てていくのは、日本でCM制作する以上に相当大変な仕事だろう。 「だからこそ、スタッフが喜んで仕事をしてくれた時、本当にうれしい」 顔をくしゃっとさせながら、葛西さんは言う。チャンスが来ないなら自分で作ろう 「CMが子供の頃から好きで好きで…」という葛西さんは、学生生活を終えると迷わずCM制作プロダクションに就職した。プロデューサーをアシストするプロダクションマネージャーとして経験を積んでいた頃、会社の香港事務所および中国大陸の拠点づくりが始まる。 「どうしても自分が行きたかった。仕事は深夜まで続くことも多いから、そう勉強できるわけじゃないんだけど、やる気があるぞというところを見せたくて、自分のデスクにNHKの中国語講座のテキストを人の目につくように並べちゃったりしましたね」 しかし、経験を積めば積むほど会社にとって不可欠な人間となり、いつまで経っても自分には中国行きの切符は回ってこない。チャンスがないなら自分で作るしかない、と退社して中国へ渡ってしまうところ、思い切りのいい人だ。「あの頃、どうしても外国へ出てみたくて。社内には、現実逃避じゃないかという人もいたけど、こっちへ来てみれば、ここが自分の現実だから」 その現実のなかで、彼は常に前を向いて歩こうとしてきた。一年間は大学で中国語を勉強しつつ、午後は今の会社でアルバイトするという計画だったが、結局通学したのは一カ月足らず。仕事が忙しくなって、ままならなくなった。中国語は仕事をするなかで、覚えていった。 いつでも、第一線の人と仕事ができる自分でいたいと思うから、日本のCMや映像作品などの情報収集は心がけている。それでも焦ることはあるようだが、「後悔はない」と言い切る。 CM以外の世界も視野に入れたい 「中国に来てね、自分の何が変わったって、将来を考えるようになったこと。日本にあのままいたら、先は予想できたから考える必要がなかった。今の日本って、ぬるいって思う。日本しか知らないから狭い現実のなかにいて、とじこもりがちでしょ。よく考えることって大事だけど、うじうじしてちゃだめだよね。そのへん、中国人は行動力がある。日本人的に微妙な計算もしつつも、中国人のように動くと決めたら動きたい」 目下、彼はCMをやりつつも、別のビジネスをしてみたいと思い始めている。 「CMは好きだから止めないけど、物を売る商売人もいいなと。CMって曖昧な評価だから、ダイレクトに消費者の意見が入ってくるような確かな手応えのあることもしてみたい」 志を持って中国に渡った彼なら、きっと何かをやるような気がする。CMの世界で、あるいは別の世界で、次はどんなものを表現してみせてくれるのだろうか。(終わり) [葛西清重さんのプライベート] [筆者略歴] 日本での出版社勤務後、留学。北京週報社・日本人文教専家を経て、現在、復旦大学大学院生 |