博士課程の五十六歳の学生

梁潔涵さん(右)は、父親(梁鎮さん、左)が学友になるとは考えたこともなかった

 天津大学のキャンパスで、博士課程に合格したばかりの梁鎮さんと知り合った。彼が図書館の前で、研究仲間と楽しそうに話している姿を面識のない人が見れば、教師と学生のように映るだろう。

 それもそのはず、56歳の梁さんの本職は天津商学院(市立大学)の教授で、天津大学(国立大学)での彼は最高齢の博士課程の学生なのだから。ちょうど、娘の梁潔涵さんも天津大学の2年生で、電子情報工程学院(学部)でコンピューターを専攻している。

 中国の大学には、多くの社会人学生がいるが、梁さんのような年齢で博士課程に挑戦する人は多くはない。

 中国の大学入試は、「文化大革命(文革)」(1966〜76年)で一時、中断した。77年に再開され、大学も次第に平穏を取り戻したため、いまでは学士課程には、高校から直接入学する学生ばかりになったが、修士と博士課程には、大学から直接進学した学生のほかに、仕事をしながら学ぶ社会人学生もいる。

職業専門高校は、大学に合格しなかった子どもたちに、新たな学習機会を与えている。エステティック、美容、料理、ホテルサービス、製造業の基礎技術などの専門を学ぶ学生が、各業界からひっぱりだこ

 年齢差は大きく、20代から40代までさまざま。企業や政府機関、研究機関からの派遣で学ぶ学生もいるが、大半は自費学生である。

 梁さんは自費学生。博士課程で学ぶことは長年の夢だった。「文革」が始まった頃、高校2年だった彼は、大学受験のチャンスを失った。68年には人民公社の生産隊に配属され、内蒙古で農業に従事。九年後にようやく大学入試が復活し、同年、晴れて天津師範大学数学学部に合格した。

 その後の彼は、一貫して教育に携わり、自己の指導レベルを高めるため、就職後も天津大学で研修を受けることを欠かさなかった。いま、博士課程で学ぶ技術経済と管理も、彼が天津商学院で教える専門である。天津大学での研究を通して、さらに自己の学術レベルも高めたいと考えている。

 すでに教授の職にあり、学術界でも小さくない成果をあげているが、博士課程の受験は容易ではなかった。中学、高校時代に学んだ外国語はロシア語で、英語の基礎がなかったからだ。実際にこれまで二回受験しながら、英語の成績が悪く、不合格になっていた。しかし彼はあきらめず、英語の勉強のために、捻出できるすべての時間をつぎ込んで試験に備え、ついに念願がかなった。

学習が生活を変えた

北京大学哲学学部の大学院では、多くの社会人学生が学んでいる

 4、50歳の多くの中国人は、梁さんと同じように、仕事をしながら学ぶという経験をしている。「文革」により、大多数の人が学業を中断し、「学習不要論」が10年もの間叫ばれたからだ。70年代後期になって、中国はようやく、改革・開放と経済建設の時代に入った。

 新しい社会環境のもとで、さまざまな人材が必要になっている。政府は大学入試制度を回復させただけでなく、専門職の資格評定制度の改革を開始し、資格と給与を関連づけた。

 長く学業をなおざりにしたあと、大学に入学できた人は少なかった。しかし、大学から締め出された多くの若者も、社会に出た後で同じように学歴を補い、能力を高め、新しい状勢に適応している。

 そのため、70年代末から80年代にかけては、すでに社会に出た多くの若者が、社会人大学や夜間大学、各種の養成班に入り、容易とは言えない「再学習」を開始した。

 当時、夜間大学に通った学生は、多くがすでに若くはなく、結婚して子どももいた。昼間は出勤し、夜は勉強、家では小さな子どもと高齢の両親の面倒を見るという生活で、その大変さは容易に想像がつくだろう。しかし、がんばりぬいた人は誰でも、のちに、学習によってもたらされた大きな変化とメリットを体感することになる。

ネットコンサルティング、ウェブ教育は、若者の視野をさらに広げる方法のひとつ

 筆者の友人である陳暁陽さんは、中学卒業後にリフォーム会社に大工として配属された。器用な彼は、すぐに腕の立つ大工となり、私が結婚した時には、机を作ってプレゼントしてくれた。しかし、大工になることが、彼の夢だったわけではない。

 80年代半ば、陳さんは、夜間大学で学んだ。週四晩と唯一の休日だった日曜の午前か午後に授業を受け、4年間で建築学の大学卒業資格を取得した。学歴を手に入れたことで、彼は普通の労働者から管理職に、その後グループリーダーから企業の責任者になった。そしていまでは、不動産ディベロッパーのマネージャーを務め、毎日、新たなプロジェクトのために奔走している。

 中国経済の発展の加速にともない、市場経済が次第に根付きつつあり、社会生活の大きな変化に、追いついていけない人も出てきた。とめどなく現れる新興産業と職業は、多くの人材を必要とし、競争がもたらすリスクは、一部の企業や事業体の事業を縮小させ、倒産の危機すら生んでいる。

外国留学は、進学先の主な選択肢のひとつ。外国の有名大学も、中国で留学案内会を開くため、多くの大学生が情報を収集する

 人々の収入はかつてのような固定性ではなく、高収入と低収入の人の間には大きな格差が生まれ、計画経済体制の一律待遇に慣れた中国人に、大きな衝撃を与えている。

 このような社会環境のもとで、人々が学ぶ目的は、以前の学歴取得ではなくなってきている。人気の業界に転職する際や、地位の向上に有利なように勉強内容を選び、学習によって今の境遇を改善し、高収入で、発展の可能性を秘めた企業に入ることを希望している。

 しかし、このような功利主義的選択は、想像外の面倒ももたらしている。80年代末から90年代初めにかけて、市場開放された中国では起業ブームが起こり、短期間で会計が引く手あまたの人材となり、一部の定年退職したベテラン会計担当まで会社で兼職するようになり、給料も驚くほど上昇したのである。そのため、会計を学ぶクラスがあちこちにでき、簿記の資格を持つ人もあふれた。そして、数年も経たないうちに、供給不足が供給過多に逆転してしまった。

 これと対照なのは、ここ数年、多くの地域で技術労働者が不足していることである。特に、製造業の高度な技術を持つ熟練技術者の不足は著しく、製品品質の低下、新技術や新材料などの普及や応用に支障が生じ、企業の発展を制約する結果となっている。

福建省廈門市で行われた第9回国際教育巡回展には、25の国と地域から、60以上の大学が出展した

 その原因は、人々が学ぶ分野が、一部の人気職、高収入の業界に集中し、基礎技術を学んで労働者になりたいと望む人がいないことにある。

 現在、多くの業界で、人材への要求がますます高まっている。中国でも、職業資格制度が基本的に確立し、労働部門では、すでに職業資格証明を持たなければ就職できない90業種を指定している。厳しい育成と学習は、職業資格証明書を手に入れる唯一の道である。同時に、政府は1999年、中国の大学生募集枠を拡大した。その学生募集の拡大部分は、主に職業教育の発展に割り当てられ、社会各層のさまざまな要求に応えるものとなっている。

より多くの学習方法

再就職希望者は新しい技能の育成を行い、いつでも新しい職場に就職できるよう準備を怠らない

 近年、ますます増加している大学院受験生だが、当年に卒業する大学生だけでなく、かなり多くの社会人が、専門知識のほかに、関連業界の知識を深めるため、継続して学ぶ道を選んでいる。それにより、自己の競争力を高め、発展の空間を拡大させるという目的がある。

 前述の陳さんは、会社のマネージャーになったあと、マネージメント能力を身に付けるため、大学でMBA(経営学修士)を履修している。仕事への影響を抑えるため、多くの課程は週末に履修。学校側も、社会人学生のために、多くの配慮をしている。

 いまでは、続けて学びたいと望む人たちが教育を受ける方法はいくらでもある。仕事時間が長くても、本人に十分な我慢強さがあれば、「自学考試」(独学検定試験、 ページの新辞苑参照)を選択することもできる。決まった時間を捻出できれば、ラジオ・テレビ大学、夜間大学、大学成人教育学院などで学ぶことができ、そんな時間がなくても、ウェブ接続できるパソコンさえあれば、インターネット大学ですべての問題を解決できる。

「ベルテルスマン書友会」は、1996年11月に上海に初の会員制センターを開設。これまでに、北京と上海に10のセンターを設け、「作家と読者の交流会」「美術サロン」「文学講座」などのイベントをたびたび行い、会員から好評を得ている

 99年以降、中国教育部は正式に、国家現代遠隔教育プログラムをスタートさせた。いま、全国68の大学で現代遠隔教育モデルが行われていて、学士、修士、博士の課程が設けられている。累計登録学生数は、200万人を超えている。

 人々は、インターネット大学で、自己の継続して教育を受けたいという望みを実現している。一部の職業学校も、遠隔教育を利用して、インターネット上で各種の講座を行っている。

 都市部の小中高校でも、インターネットを利用して、学校教育とともに、補習を行っている。北京の数校の重点中学、例えば北京第四中学、匯文中学でもインターネット学校を開設し、優秀な教師が授業を行うために、学生や父母に人気だ。

 昨年春には、北京はSARS禍に遭遇し、全市の小中高校が一時休校に追い込まれた。学生の学習への影響を抑えるため、北京市教育委員会は、教育委員会インターネット学校を開設し、さらにいくつかのインターネット上の教育機関を組織して、「教室オンライン」「教師のメールポスト」などの方式で、在宅学習を余儀なくされた子どもたちに教育サービスを提供し、バーチャル教室が現実の教室の大問題を解決した。

 2002年、中国教育テレビ局は、西部地域の「インターネット教室」のIP(インターネット・プロトコル)チャンネルに向けて、新しい教育番組を放送した。これは、西部地域と貧困山間部の子どもが、沿海部の先進地域の学生と同様の授業を受け、先進地域の優秀な教育資源を共有することを可能にしている。

学びを楽しむ

北京の中国科学技術館は、小中学生の実習教育基地。本からでは学べない体験ができる

 「文革」終了からこれまで、学ぶことは、多くの中国人の生活の一部だった。それが徐々に、学ぶことを証明書獲得や人に自慢するためだけではなく、より強く、人生や事業への投資ととらえる人が増えている。

 一部の家庭では、経済上の困難を克服し、知恵をしぼって子どもを外国に留学させている。これは将来、子どもが多くを学んで帰国し、外国の学歴と十分な能力を持ち、独自に事業を立ち上げることを望んでいるからだ。また、少なくとも高収入の職業につけるように望むのが親で、のちの生活の道しるべを与えているのである。

 もちろん、すべての人の学習が、必ずしも功利主義的であるわけではなく、学習の楽しみを享受している人も少なくない。

 筆者が住む社区(コミュニティー)には、お年寄りの活動センターがある。年配者は、単にマージャンやおしゃべり、合唱の練習に参加するだけでなく、毎週、一日か二日は授業を受けている。参加者がもっとも多いのは、絵画のクラスだ。

子どもが入学したその日から、親は学業で成果をあげてほしいと望む

 外部から招聘された先生は、基本中の基本の技法から指導をはじめ、毎回、宿題も出す。近所に住む宋じいさんは、絵画にのめりこみ、宿題の絵を嬉々として先生に見せ、もし高い評価をもらえば、一日中楽しく過ごせるようだ。

 彼の家にお邪魔するごとに、いつでも新しく描いた水墨画を見せられる。宋じいさんは、定年退職後の生活は単調でさびしかったが、絵画クラスが生活の楽しみを与えてくれていて、若返ったような気がするという。

 最近では、大都市のお年寄りが、定年退職後に育成班や高齢者大学に通うことは、めずらしいことではない。学習内容は広く、多くは趣味と関係がある。中には若い頃の願いを叶えるために学ぶ人もいるが、多くは生活に彩りを添えるために学校に通い、晩年の生活を楽しんでいる。書道、絵画、英語、コンピューター、鉢植え、茶道、写真、ピアノ、エレクトーン、ダンス、料理などが、選択肢になっている。

高齢者大学の開設により、定年退職した多くのお年寄りも、自身の「居場所」を確認できるようになった

 定年前の人でも、時間と興味さえあれば、おのおの何かを学ぼうとしている。鉢植えが好きでも、株に熱中していても、生活に彩りを添えるために、学びたいという気持ちさえあれば、実現できるに違いない。

 今日、ますます多くの人が、質の高い生活と精神的な楽しみを追い求めたいと望み、学ぶことが、その重要な手段になっている。学ぶ楽しさを享受し、勉強してからの収穫を味わうとき、人々の生活は、ますます充実したものに変わっていく。(2004年6月号より)





▽1998〜2003年までに、全国の職業大学の学生募集数は43万人から200万人に、在校生数は117万人から480万人に増加した。2003年末には、職業大学の卒業生の就職率は、87.6%になった。

▽中国教育部は、5〜10年の時間をかけて、全国の90%前後の小中学校で、インターネット接続を行い、ウェブ上の教育資源を共有する計画を立てている。

▽中国初の高齢者大学は1983年、山東省に設立された。現在、全国に1万7000校の高齢者大学と高齢者学校がある。