押し合う乗車、快適な乗車
50歳の蒋鴻霞さんは北京大方百貨店の店員である。北京大方百貨店は中規模なデパートで、市中心の旧市街地にある。蒋さんは通勤に一時間以上かかり、まず公共バス(トロリーバスも含む)に乗って地下鉄の駅まで行き、その後地下鉄に乗り換えて市中心へ行き、最後に徒歩10分で勤め先に到着する。北京では蒋さんのように、通勤に毎日1、2時間かかる人は珍しくない。 いかなる都市でも、公共バスは外出時の主要な交通手段だ。しかし時代によって公共バスのイメージは異なる。年配の人々はまだ覚えているだろう。197、80年代、北京の公共バスは路線も車両も少なく、だが乗客は多かった。人々が毎日通勤の際に感じることはただ一つ―「押し合いへし合う」。
乗車する時は押し合ってようやく乗れ、下車の時はさらに命がけだ。さもなければ降りることができない。通勤のラッシュ・アワーに、乗車できなかった数人がそれでも離れたくなくて乗車口にしがみついていて、動けなくなってしまったバスをよく見かけた。その頃人々は公共バスに乗ることを「押し合う乗車」と呼んだ。この頃広く伝わった笑い話がある。 「押すな! これ以上押したら写真のようにピラピラになってしまう!」 このような交通情況の中で、ひとたび悪天候に遭遇すると、おのずと結果は想像できるだろう。雪が降った日はバスが来るのがいつになるのかわからなかった。たとえ乗車しても、本来三十分の道のりが一時間半かかったため、多くの人が徒歩で出勤することを選ぶしかなかった。
蒋さんが以前実家に住んでいた時には勤め先が近かったという。その頃は毎日自転車で通勤し、たったの十分強と非常に便利だった。1984年、夫が勤務先で家を割り当てられ、遠く市の西側の海淀区に住むようになった。その時から公共バスでの通勤が始まった。 蒋さんは20年間公共バスに乗りつづけているが、現在の変化は非常に大きいと感じている。もともと、自宅から地下鉄の駅までの路線はたったの一本だった。もしバスが来なければ、いたずらに待つしかなかった。今は、一つのバス停に3、4本の路線があり、これがバスを待つ時間を大幅に短縮させた。北京の道路建設の発展につれ、四方八方に通じた公共の交通網が形成され、多くの路線が街じゅうに張り巡らされ、一路線の停留所は最も多くて三、四十カ所にもなる。市内のどこから出かけても、目的地にたどり着くまでにおおかた1、2回乗り換えるだけでいい。
路線が多いだけではなく、車両も多くなった。今日の公共バスは以前のように国営企業の一社のみが経営しているのではなく、株式会社、合資会社など、様々な経営方式で、それぞれの会社間での競争が、車両の情況からサービスまですべてにおいて大きな改善を促している。道路には広々として快適な新しいバスがどんどん増加していて、多くの車両が空調を備えている。運転手や切符販売員のサービスも親切で行き届くようになり、乗車しようと思っている人々すべてに心をこめて声をかけている。また、何年か前のように勝手に停留所をとばしたり、乗客と喧嘩したりすることはなくなった。
路線と車両の増加は人々にさらに多くの選択の余地を与えた。公共バス定期券を使用するバス(定期券のない乗客の料金は1元)は比較的古く、乗客数も多い。大型空調バスはとても快適だが、料金は少し高く2元からで走行距離によって決まる。ある公共バスは空調がないが車両の状態がよく、1元からでやはり走行距離によって料金が決まる。比較してみると、定期券を利用するバスは乗客が最も多く、通勤のラッシュ・アワーはわりと込み合っている。 路線や車両が増え待つ時間が減ったとはいえ、公共バスはやはり定刻どおりではない。道路がスムーズに流れず渋滞しているからだ。交通管理部門は主要路に公共バス専用車線を作ったが、多くの交差路やバス停が集中する場所では、状況に大きな改善はないようだ。 衰退する自転車の「奔流」
中国はもともと「自転車王国」の呼び名があった。改革開放以前は朝晩の通勤時間になると、いつも自転車の奔流がわきあがるのが壮観な光景であった。 あの頃、市民にとって自転車は主要な交通手段であった。当時の都市構造は、各種のサービス施設が居住区から自転車に乗っておおむね十分の距離内であった。映画館、デパート、公園などに設けられていたのは駐輪場であって駐車場ではなかった。 改革開放が絶えず進むにつれ、1980年代からこの構造に変化が生じてきた。特に90年代以降、住居が商品化され、都市の規模が途切れなく拡大し、多くの工場や企業・事業体が旧市街地から移転し、さらに多くの住宅が三環、四環、さらには五環路の外へ建設された。居住区と勤務区の分離が多くの通勤族の通勤距離を長くし、自転車通勤を難しくした。同時に、公共バスの便利さ、地下鉄や都市鉄道の快速さが、人々にさらに多くの選択を与えている。
西城区の二竜路に自宅がある陳さんは三人家族で四台の自転車を持っている。近頃、陳さんの勤め先は市内から通州区(北京市の東部)に移転し、職員の通勤が便利なように通勤バスを走らせ、市内のいくつかの場所に停留所を設置した。そこで陳さんは毎日公共バスに乗り次に通勤バスに乗り換えて通勤するため、自転車に乗る機会が非常に少なくなった。陳さんの妻の勤め先は地下鉄から遠くないので、毎日地下鉄で通勤するのに十分便利だ。現在、高校生の息子が毎日自転車で通学するのを除いて、残りの何台かの自転車は使われていない状態にある。 陳さんの状況と同じように、何さんは近頃、北京の北の郊外である回竜観に三LDKの新居を購入した。「勤め先は市内の阜成門でもともと自転車で通勤していました。だけど今は公共バスか都市鉄道に乗るしかありません。自転車は私が家からバス停や駅まで行くときか買い物のときに利用するだけのものとなってしまいました」と彼女は話す。 中国自転車協会の統計によると、2002年、中国の都市における百戸ごとの自転車所有数は、1998年182・1台から142・7台に下降した。今日、北京において毎日自転車で勤め先と自宅を往復する人は10年以上前の60%から20%に減少した。
しかし自転車が完全に中国人の生活から離れてしまったわけではない。もし勤め先から自宅までの距離が自転車で一時間以内ならば、多くの人はやはり自転車通勤を選ぶだろう。そうすれば交通費が節約でき、またついでに買い物や子供の送り迎えもできる。さらに、自転車であれば路地を通り抜けたり、横町に入ったり、便利で快速にそして渋滞を我慢する必要もない。 また多くの人は自転車の新しい機能を探究している。北京航輪自転車倶楽部はサイクリングやトライアルなどのチームを運営している専門のクラブだ。責任者の張栄秦さんは、このクラブには200以上のチームがあり、各チームの人数は20〜50人とまちまちだと紹介する。休日になると、彼らはサイクリングや競技を行い、自転車の新しい楽しみ方を体験する。他にも天津、厦門、成都など多くの都市にも比較的大きな民間の自転車クラブがある。 快速な軌道交通
蒋さんの現在の交通手段は「公共バス、地下鉄、徒歩」。悪天候に遭遇すると、「タクシー、地下鉄、徒歩」に変わる。昨年のSARS時期には、まったく自転車で通勤した期間もあった。 現在の通勤族にとって、交通手段の選択が多様化し、以前は自転車の「乗り手」がマイカーの「運転手」に変わったとはいえ、それは一部で、大多数の人は自分の経済状況や道程、駅やバス停までの便利さを考え交通手段を決める。一般的には大多数の通勤族が「自転車、公共バス、地下鉄、通勤バス」のどちらかを組み合わせている。 北京のどの地下鉄の駅にも必ず大きな駐輪場があり、自転車でやってきて地下鉄に乗る人々が利用している。
北京の地下鉄の設備は古くさく、込み合ったときは我慢できないという不満もあるが、時間どおりで快速なので、利用者は増加する一方だ。特に悪天候に遭遇した時は、多くの人が地下鉄に流れ込む。 北京の地下鉄は1965年に建設が施行され、69年10月にようやく試運転が始まった。これは中国で建設された第一号の地下鉄である。30年以上が過ぎ、北京には現在三本の地下鉄路線が運営され、さらに数本の路線を建設中である。 北京の地下鉄の設備と車両状況は、新しく建設された上海、広州、天津の地下鉄と比べようがないことは疑問の余地がない。だが近年、北京の地下鉄も設備の改善に努力をしており、人間的な温もりを感じるサービス機能を高めている。例えば駅に市街区地図を設置し、当駅の所在地及び周辺の方角や目印となる有名な建築物に詳しく説明をしている。また、各駅の駅名に数字で順番をつけ、中国語がわからない乗客にも都合をよくした。 2003年1月、北京はさらに地上と高架橋を主要線路とする都市鉄道を開通した。市街の中心地と北部、東北部の郊外が一線につながり、近年の都市周辺に住む多くの人々の交通問題を解決した。急速に発展する中国の都市にとって、地下鉄でも都市鉄道でも、軌道交通の運行は、定刻どおり、快適、省エネ、環境にやさしい、と非常に大きな吸引力を持っているのは間違いない。
2008年、北京の軌道交通の総道程は300キロに達する。現在、大連、深セン、南京、武漢、重慶、長春などの都市もすでに地下鉄の建設を開始し、さらにいくつかの都市も地下鉄建設の計画を提出している。 重慶市は第一号軽軌鉄道の試運転を間近にしている。これは長江と嘉陵江の間の細長い渝中半島を縦貫した全長19キロの鉄道で、日本政府の20億元の貸付と技術面の協力を得ている。来年6月、この鉄道は正式に運転を開始する。(2004年10月号より) |
北京公共バスの定期券 北京で公共バスの定期券を開始したのは1950年代。実際、定期券の発行は政府から市民への補助の一環であった。現在、いまだに定期券を使用している都市は多くはない。上海はすでに1996年に廃止しており、広州も今年の5月に正式に廃止した。他にも、南京、杭州、長沙など十数カ所の都市が相次いで廃止している。北京が今日まで定期券を残している最大の理由は需要が高いからである。今年、北京は市政交通のワンカード制をはじめ、公共バス、地下鉄、そしてタクシーまでICカードの料金システムを利用できる。管理者は今後の普及を期待していて、もしかすると定期券に取って代わるかもしれない。
定期券の使用範囲 北京公共バスのあらまし 1935年 初の公共バス路線が開通する。30台の大型バスを購入。
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