野菜農家の生活

自分の菜園の中で青々と育つ野菜を見ながら、次の栽培計画を考える解宝華さん(左)

 解宝華さん(39歳)は雲南省の呈貢県梅子村の農民で、野菜を栽培している。言葉少ない彼は一家の大黒柱であり、家族は妻と中学一年生の娘、そして病弱な母。一家の生活はすべて野菜栽培の収入にかかっている。

 村の中で、解さんの家庭は中流階層にあたる。家は総建築面積270平方メートルの三階建て。テレビ、洗濯機、冷蔵庫、電気炊飯器、電子レンジなどの家電がそろい、庭には毎日の農作業で用いるトラクターがある。

梅子村の野菜農家は、収穫した新鮮な野菜を種類別に分けて包装した後、すばやく各地に出荷する

 梅子村は省都の昆明市からわずか16キロの距離にあり、温和な気候、平坦な地形、肥沃な土壌、豊富な水源と自然環境が良く、野菜の栽培に適している。

 解さんによると、生産隊(人民公社の基礎となった1960〜70年代の農村生産組織)の時代は、栽培する野菜の品種が少なく、販売ルートも限られていた。当時、農民の平均年収はたったの数百元。とても苦しい暮らしだった。

 解さんの立派な家の隣には、今は使われていない古い家がある。黄土とわらで作った土レンガを積み重ねた家屋で、かつて村人たちはみんなこのような家に住んでいた。

野菜栽培によって生活が豊かになった梅子村には、立派な家が建てられている

 現在、村に整然と立ち並ぶ家は、ほとんどが二、三階建てのレンガ造り。村民委員会の主任の李有財さんは「1980年代半ばに農家生産請負制を始め、村人たちは自分たちの栽培技術と勤勉な労働により、今までと同じ土地ではるかに多い収入を得るようになったのです。生産に対する積極性も高まり、生活レベルも目に見えて上がりました」と話す。

 豊かになった村人たちはまず、新しい家を建てたいと考えた。1990年代末、古い家屋を次々と取り壊し、新しい家を建て始めた。今では、全村587戸のうち515戸が新居に住んでいる。

 解さんの家を訪問したのはちょうど週末だったので、娘さんの応楽さん(13歳)は家で宿題をしていた。解さんは彼女に大きな希望を託し、将来大学に進学できるよう、しっかり勉強させている。農村ではこのような女の子一人だけの家庭はあまり多くない。しかし解さんは、もう子どもはいらないと明言する。「子どもが多いと負担も重く、同じ収入でも生活レベルはぐっと下がってしまいます」。将来子どもが大きくなれば労働力になるのではと問いかけると「今、労働力が必要なのです。しかし子どもを労働力として使おうとは考えていません。人を雇えばいいのですから」と笑って答えた。

菜園の「緑色革命」

菜園に水をまく解宝華さん

 梅子村の農民は、昔から野菜を栽培していてその技術もある。しかし土地が少なく人が多いため、一人当たり0.5ムー(一ムーは6.667アール)の土地しかない。社会や経済の急速な発展につれ、野菜の需要が増えつづけている近年、土地不足は当地の経済発展を制約し、農民の増収を妨げていた。

 しかし2001年から、一部の村人は梅子村を出て、付近の官渡、晋寧などの地域で土地を借りて野菜を栽培するようになった。借り賃は年間一ムー当たり500〜600元ぐらい。これにより、多くの収益を得ることが可能になった。それ以降、借り地での野菜栽培は、富を得るための新しい道となった。今では、80人以上の村人が外部に土地を借り、その総面積は1000ムーに及ぶ。

 解さんの家には3ムーの土地があり、その他に官渡郷で10ムーの土地を借りている。そしてさらに二人の農民を雇っている。現在、年収は3万元に達した。土地の借用や人の雇用について「政府は農民が豊かになることを奨励してくれています。それに、良い技術があってこそ、野菜栽培のために土地を借りることができるのです」と話す。

各地から野菜卸売商人が次々とやって来て、呈貢県の野菜取引市場で新鮮な野菜を買い付ける

 解さんは十代の頃から野菜栽培を始めた。村の中でもベテランである。ここ十数年、村の野菜栽培技術や方法は、少しずつ変化してきていると彼は言う。

 雲南の恵まれた気候条件のもと、四季の変化が激しくない梅子村では、年中、野菜が栽培でき、二期作を行っていた。

 1980年代末になると、増えつづける市場の需要に応えるため、県農業局がビニールハウスを作るように指導した。ビニールハウスは、雨や凍害を防ぎ、野菜の生長に適した一定の温度や湿度を調節することができる。現在、村のビニールハウスでは、一年に三回も四回も収穫可能で、生長周期が最も短い油麦菜(青菜の一種)は40日で収穫できる。こうして、野菜農家の収入は著しく増えた。

 1990年代末になると、当地の政府は無公害野菜(有機野菜)の栽培を推進した。農民たちに堆肥や馬糞などを元肥として使わせ、効果的で毒性や残留性が少ない化学農薬や生物農薬の使用を普及させた。また、農薬や化学肥料の科学的使用法、安全基準などを教えた。

解宝華さんの家は、村の中では一般的なものだ

 政府が提唱したこのような操作規定や方法は、コストが今までの倍ぐらいかかるので、始めの頃は積極的に受け入れられなかった。しかし農業技術者たちの説明を通して、農民たちは農薬や化学肥料を不合理に使うことがどんな危害をもたらすかを理解するようになった。「何と言っても、人は健康のために野菜を食べるのです。私たちが栽培した野菜が害になってはなりません」と解さんは話す。

 農民たちはだんだんと、無公害野菜は市場での人気や価格が高く、需要も増えていることを知り、積極的に操作規程に従って野菜を栽培するようになった。こうして農家の「緑色革命」(「緑色」はエコロジーや有機農業を象徴する)が始まったのだ。現在、彼らが栽培した無公害野菜は昆明市の市場だけではなく、他の省や香港、澳門まで出荷されている。

「緑色」のビジネスチャンス

晨農緑色産品有限公司の野菜加工工場

 雲南省には16カ所の無公害野菜モデル基地があり、梅子村が所属する呈貢県はその中の一つ。県農業局の担当者によると、2003年までに無公害野菜の栽培技術は五つの郷(鎮)の29の村、合わせて2000ヘクタールの菜園に普及した。

 呈貢県には解さんのような個々の農家以外にも、大規模な無公害野菜栽培企業がある。洛羊鎮にある晨農緑色産品有限公司もその一つ。社長の李雲鎖さんは同県小新冊村の農民で、ずっと野菜を栽培してきた。

 李さんは1984年に高校を卒業し、農業に従事するようになった。農業技術に興味があったので、昆明農業学校で2年間学び、村に戻って農業技術普及員や農業科学ステーションの技術員になった。

晨農緑色産品有限公司の野菜の種を育てるビニールハウス

 自らも農民なので、野菜栽培の苦労と売れない苦悩をよく知っている。また、農業技術普及員でもあったので、市場と販売に関しても理解がある。そんな李さんは、自分の努力で農民たちの生活情況を改善したいと願った。

 1992年、5000元を元手に野菜販売会社を設立した。農民に販売ルートを探し、市場の要求も伝える。これによって村人の生活は変わった。李さんの商売もどんどん繁盛した。

 商売していく中で、多くの都市では市場に出回る野菜の基準が徐々に設けられ始め、その要求の境界線はまさに「緑色」であることに気がついた。そしてそれが新しいビジネスチャンスであると考えた。

 雲南の気候や地理条件は独特で、特に昆明市は一年中春のような気候で、冬の寒さと夏の暑さは厳しくない。栽培しているさまざまな野菜も、一年中市場に提供することができる。もちろん環境汚染も少なく、無公害野菜の栽培に有利。このような訳で、李さんは積極的に無公害野菜の栽培を進めた。

晨農緑色産品有限公司の野菜は、厳格な技術検査を通って市場に出される

 土地を借りて野菜栽培基地を建設し、ビニールハウスやスプリンクラーなどの農業設備を取り揃えた。育苗も工場化して行った。「企業+基地+農家」の形式で、呈貢県を中心として雲南省の玉渓、楚雄、思茅、シーサンパンナなど各地に大規模な野菜栽培基地を設けた。これにより、さらに多くの農民が豊かになった。

 李さんの会社では、野菜栽培基地を広げると同時に、カラーピーマン、ミニキュウリ、サニーレタス、サヤエンドウなど、国際市場の野菜の新品種を積極的に導入した。

 十数年の発展の結果、現在は野菜の育種、栽培、加工、貯蔵、運送、販売などを一体化させた現代的な企業となった。栽培している野菜はレタス、ブロッコリー、スナックエンドウ、サヤエンドウ、エンドウの若芽、セロリ、黄ニラ、アスパラガスなど多種に及ぶ。全国十八の省、直轄市、自治区及び香港と台湾、さらにはオーストラリアやシンガポール、日本、マレーシアなどの国にも出荷されている。

「緑色」に関心を持つ消費者

晨農公司の社長である李雲鎖さんは野菜栽培によって裕福になり、生活レベルも驚くほど向上した

 中国の消費者が食品の安全に関心を持ち始めたのは、1990年代半ば頃である。当時、経済情況が好転し、貴重であった魚や肉、卵などもしょっちゅう食卓に上るようになった。野菜の種類もだんだん増え、食事の科学的な健康観念によって、野菜は単に食卓を彩るものではなくなった。

 急速に増えた市場の需要は、野菜栽培業を目覚しく発展させたが、一部の農家は生産量を増やすため、化学肥料や農薬の合理的な使用を疎かにした。過度に農薬の残留した野菜が消費者に害を与えていることをメディアが伝えたことにより、多くの消費者は警戒し始めた。政府の関連部門も問題の深刻性に気がつき、「安心野菜プロジェクト」が実施され、栽培から出荷まで、管理・監督が行われるようになった。

 無公害野菜が市場に出回り始めた頃は、解さんたち農民がその栽培コストの高さを嘆くのと同じように、都市の人々も販売価格の高さに唖然とし、受け入れられなかった。朝市で一束5角(約6円)のホウレンソウが、スーパーマーケットの無公害野菜の棚上では2元(25円)で販売されている。「同じ野菜なのにこんなに高くていいのか」と消費者たちは納得できなかったのだ。

 ここ数年、大部分の都市で野菜集配の要となる第一関門――野菜卸売市場では、厳格なモニタリング制度を設け、農薬残留度が基準を超えている野菜は、市場の外に出されるようになった。こうして、人々はスーパーマーケットでも朝市でも安全な野菜が買えるようになった。厳格で規範化された野菜市場の制度の施行により、無公害野菜は各産地の生産を発展させるための先決条件となった。栽培面積はどんどん広がり、大量の無公害野菜が市場に出回るようになったため、価格も適当になった。

勤勉に働いて豊かになった梅子村の村人たちの多くは新しい家を建てた

 人々の消費観念も変化した。「お腹いっぱいに、おいしく食べられればいい」という考えから、「安全で健康的なもの」に関心が向くようになった。野菜だけではなく、穀物も汚染がない大地で栽培されたもの、飲み物も天然のものを求めるようになった。「緑色食品(安全・優良・健康な食品)」の概念は日増しに人々の心に入り込み、食品の安全に関心を持つことは社会の共通認識となっている。少し多くお金を出して健康を手に入れることは、人々の一般的な要求となったのだ。(2005年4月号より)



 ▽ 中国の野菜年産量は5億2900万トン、生産総額は3200億元に達する。1人当たりの平均占有量は約400キロ、世界の平均水準を超えている。

 ▽「緑色食品」の発展において、「畑から食卓まで」の全過程の品質を管理する技術の基準システムが作られた。これには産地の環境、生産過程、品質、包装・ラベル、貯蔵・運送など各過程が含まれる。全体水準は、EU、アメリカ、日本など先進国の食品品質の安全基準に達した。

 ▽ 雲南省昆明市は無公害野菜の発展に努めている。2004年の野菜総生産量の65%はよそに出荷され、その量は97万5000トンに達する。出荷先は国内20以上の省・直轄市・自治区のほか、フランス、イギリス、アメリカ、カナダ、日本、韓国など10以上の国や地域にも輸出される。

梅子村の野菜農家が利用する専用の肥料


  本社:中国北京西城区車公荘大街3号
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