商売は信用第一
秋風が吹き始めると、「大閘蟹」(上海蟹)の季節になる。戴暁中さん(38歳)にとって最も忙しい時期だ。毎晩、湖でカニを獲り、翌朝早く店で売る。他にも、市場へ出向いて仕入れをしたり、商品を配達したりと、てんてこまいの忙しさだ。この時期は基本的に家へは帰れず、船の上や店で寝泊りする。 戴さんは江蘇省常熟市の昆承湖のほとりに住む漁民であり、先祖代々、魚やカニを捕らえて生活してきた。しかし今では、単なる漁民ではなく、商売人でもある。 湖畔の沙家浜鎮にある水産物市場では、各店舗が主人の名前を看板に掲げている。戴さんもここに店を出し、自分で養殖した上海蟹を売っている。商売は上々で、需要に応じきれないこともある。そんなときは、臨時に卸売市場へ行き、上海蟹を仕入れる。「私は自分でも養殖しているので、上海蟹の良し悪しはよくわかります。卸売市場から買ってくるものも、品質は折り紙つきです」
戴さんの店では、カニを大きさごとに異なった水槽に入れている。店へやって来て買っていく客も少なくはないが、得意客からは電話で注文が入る。注文を受けたらすぐに商品を準備し、客が指定した時間に届ける。得意客は、蘇州や南京、上海など至るところにいるため、戴さんは配達用のマイクロバスを一台持っている。 「私たちの仕事で最も重要なのは、誠意と信用です。お客は、昆承湖のきれいな水域で放し飼いにされた上海蟹であると信じて購入します。もし自家の上海蟹が足りなくなり、市場で手に入れざるを得ないときでも、必ず昆承湖で放し飼いにされたものを買います。養殖場の上海蟹をお客に売ったら、次は絶対に私のところで買ってはくれなくなるでしょう。今のお客のほとんどは得意客なので、信用がなければ商売は成り立ちません」と、戴さんは自分の商売方法について語る。 現地の人はみな、湖で飼っているカニは養殖場のカニとは味が異なり、価格にも大きな差があることを知っているのだ。 ブームにのる
戴暁中さんの生活は、同じ漁民とはいっても、父親の代の生活とは大きく異なる。戴さんが幼い頃、父親は魚を捕まえては「生産隊」(農村の生産組織)に渡し、その量によって労働点数がつけられていた。当時、月収はたったの20〜30元で、生活は苦しかった。 1970〜80年代になると、請負制が始まり、「生産隊」は解体されたが、漁民たちは湖で魚やカニを捕まえて岸辺で売るだけで、収入には限りがあった。 「95年頃からか、突然、湖のカニが歓迎されるようになりました。カニの買い手も増え、価格も数倍に上がりました!」と戴さんは当時を振り返る。 カニはこれまでずっと、季節性の水産物で、市場に出回る量も少なく、価格も高くはなかった。北京の一般家庭では、1年に1〜2回、カニを食べられるか食べられないかという程度だった。
しかし改革開放から十数年後、人々の暮らしも豊かになり、生活に楽しみを追い求めるようになった。旬のものをその季節に食べるといった伝統的な生活習慣も、少しずつ人々の生活の中に戻ってきた。今では、中秋節に月や菊を愛でながらカニを食べることが、大きな楽しみとなっている。 毎年中秋節になると、北京の市場にはカニがたくさん出回る。中でも、江南(江蘇、浙江の両省)の水郷で獲れた上海蟹は、非常に高値で、市価は500グラムあたり200元以上する。渤海で獲れた海のカニよりも高価だ。 ここ数年のブームは、なんといっても陽澄湖産の上海蟹だ。陽澄湖だけでなく、周辺の水域の漁民たちも、このチャンスを逃してはいない。戴さんも昆承湖でもっぱら上海蟹を養殖し、販売し始めた。 毎年3月になると、張家港や崇明島など海水と淡水が合流する地から良質の稚蟹を購入し、清明節(4月5日前後)の前に湖へ放す。カニは湖中の水草やマキガイだけでなく、漁民が毎日投げ与えるトウモロコシや小魚などの飼料も食べる。品質を保証するため、湖に放つ稚蟹の数は制限されていて、1ムー(6.667アール)あたりたったの400から500匹だ。秋風が吹き、カニの美味しい季節が到来すると、成熟したカニたちは争うように湖畔に仕掛けられた巻き網の中に入ってくる。こうして上海蟹が市場に出回るのだ。
戴さんには5人の兄弟がいるが、自分も含めて4人が父親と同じ漁民となっている。しかし生活の変化は大きい。彼らはカニ養殖の達人でありながら、やり手の商売人でもある。 戴さん兄弟は、沙家浜の高速道路沿いの河に、コンクリート製の2艘の船を使ってレストランをオープンした。一般客を招くわけではなく、カニの買い手に簡単な食事を提供し、カニを味わってもらう専門の店だ。一艘は宿泊と事務所に利用している。客が来たら、販売するために臨時的に船の周りで飼っているカニを見せ、味わってもらう。そして商売の契約まで、すべてがここで行われる。 豊かになった暮らし 戴さん一家が代々暮らしてきた漁村に、戴暁中さんの家は見当たらない。古い家はすでに取り壊され、現在新居を建築中なのだという。 村の建設現場には、4階建ての建物の骨組みがすでに完成している。戴さんは、その中の3戸を指差して「この3戸分が我が家です。すべて1階から4階まであるのですよ」と話す。 この建物は村民が共同で出資して建設している住宅だ。土地が狭いため、地元の政府は統一の規格で集合住宅を建設し、村民の居住環境を改善しようとしている。村民は自分の経済状況と需要に合わせ、自由意志で出資した。戴さんは500平方メートルに40万元を投資した。
この住宅の内部設計は、大都市の住宅と何ら変わりはない。キッチンがあり、バスルームがあり、上下水道も完備している。戴さんは、家が建ったら街へ行って家具を一式購入し、新居を飾りつけようと考えている。 この漁村には約300世帯が住んでいるが、漁民のほか、1部の人は近くの服装工場に勤めていて、収入は悪くない。戴さんの1人の弟もアルバイトから始め、今では衣料品の商売をしている。年収は数十万元だ。 戴さんによると、改革開放の初期に、生産組織が湖をそれぞれ個人に請け負わせたという。家族の頭数に準じて、戴さん一家は30ムー以上を所有していた。ここ数年はカニの売れ行きがいいので、さらに別の家が請け負った分を賃借りし、今では合わせて200ムー以上の養殖基地を持っている。養殖面積が拡大してからは、年間5000キロ以上のカニを出荷することができ、30万〜50万元稼いでいる。 この仕事は1年のうち9カ月間忙しい。9月から12月は市場でカニを販売する。戴さんは、「家のことはすべて妻がやってくれます」と満足げに話す。奥さんの張前梅さんも漁家の出身で、漁業だけでなく、家事や子育てもこなす。 15歳になる娘の戴静潔さんは、沙家浜中学校の3年生。高校受験の準備で大切な時期だ。戴さんは、娘のことを気にかけてはいるものの、時間がなくてあまり構ってやれない。娘は何が好きなのかさえもよく知らないが、マスターでもドクターでも必要な費用はすべて出してあげるつもりでいる。「子どもにはしっかり勉強させてやりたい。私のように苦労をしなくてもいいように。私よりいい仕事であれば、娘が何をやっても構いません」(2006年1月号より)
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〇大閘蟹 カニを捕まえる際、まず竹枝と稲わらで「大閘」(堰)を作り、その内側に網を張る。そして、夜にカンテラを灯して湖中のカニを誘い出し、堰の中におびき寄せて網の中に追い込んだことからこの名が付いた。日本では「上海蟹」と呼ばれる。 〇陽澄湖 〇七尖八団 〇青菜で手洗い |
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