青海省の省都・西寧市と四川省との省境の町・果洛チベット族自治州久治県を結ぶ道路「西久公路」沿いに、民宿が建ち並ぶ一画がある。海南チベット族自治州の貴徳県下羅家村だ。道路沿いに建つ民家の一部は、ここを通る人々が休めるよう改築され、当地の特産品を売る露天商も何人かいる。 馬岩平さん(46歳)はここで民宿を営む一人だ。1000平方メートルほどの庭は、半分を野菜畑として利用しているが、訪れた人が休んだりお茶を飲んだりできる簡単な日よけもいくつか設けてある。 敷地内にある平屋は、外から見ると普通の民家と変わらない。しかし、中の設備は整っている。テレビや冷蔵庫、ステレオ、ウォーターサーバーなどの家電がすべて揃い、ソファーやベッドなどの家具のデザインも新しい。トイレやバスなどもきちんとしている。自分たち夫妻の部屋と娘の部屋以外はすべて客室にし、家の前の空き地は駐車場になっている。
民宿を始めようと思いついたのは、家の前に道路ができてからだ。貴徳から西寧市までは、標高の高い山道が続く。かつて運送の仕事をしていた馬さんは、「100キロ余りの山道を走る運転手には一休みする場所が必要」と考えた。 そこで、10万元の蓄えをはたいて、庭に日よけを作り、部屋を客室に改装することに決めた。こうして今年の5月1日、民宿をオープンした。 予想もしなかったことに、訪れる客はこの道を走る運転手だけでなかった。メーデーのゴールデンウィークには、さらに新しい道路が開通したため、多くの観光客がやってきた。そのころはまだ、下羅家村には馬さんが経営する民宿しかなかったから、非常に忙しかった。観光客に提供する食事や宿泊などで、一日に少なくとも1000元以上の収入があったという。
「農業をしていた頃は、一家の年収はわずか6000元でした。今はメーデーのゴールデンウィークだけで、かるく一年分を超えてしまいましたよ」と妻の羅生蓮さんは信じられないという口ぶりで話す。 県の給水ステーションで働く聶英萍さんによると、県城(県人民政府が置かれている町)の住民たちもここへやって来て休んだり、遊んだりするという。県城からここまではたったの十分。昼休みにやってきて、午後はまた県城に戻って仕事をする人も少なくない。「道路が富を運んでくれました」と馬さんはニコニコ顔だ。 外との往来が盛んに 周りを山々に囲まれた貴徳県は、青海省とチベット自治区に跨がる青蔵高原と黄土高原が接する地にある。黄河の上流に位置するため、ここを流れる黄河は、「一碗の黄河の水で半碗の砂」といわれる中・下流とは違い、底が見えるほど澄んでいる。人口は10万人ほどで、主に農業や牧畜業に従事している。 交通の便の悪さから外界と交流ができなかった彼らは、自分たちの近くにある澄んだ黄河や真っ赤な丹霞地形(赤い堆積岩で形成された地形)、美しい田園風景が富であるとは思いもしなかった。
かつて、西寧市から貴徳県までは8メートル幅の土の道しかなく、往復するのに車で2、3日かかった。さらに標高の高さと道の険しさが加わり、貴徳のすばらしい風景と物産は長年、山中に隠されていた。外の人々は「天下の黄河も貴徳では澄んでいる」という名声を聞くだけで、実際にはほとんど見ることができなかったのだ。 2005年末、この狭い道が17メートル幅のアスファルトの道路に拡張され、トラックや観光客を乗せた車、路線バスなどの流れが絶えなくなった。これにともない、馬さんや村人の生活も変化した。路線バスで一日のうちに西寧まで往復できるようになったからだ。村人たちは市内で家電や家具を購入して村へ持ち帰り、市内の人々も貴徳の特産である長把梨(ナシの一種)やクワの実を食べられるようになった。 村人たちを最も喜ばせたのは、絶え間なくやってくる観光客だった。今では、多くの村人が「農家楽」(農家に泊まり、家庭料理や農村の景色を楽しむレジャー)を営み始めた。黄河水上ツアーを催している人もいる。
馬さんはもう農業をやらなくなった。毎日朝早くにバイクで町へ買い物に行く。自宅で栽培している果物や野菜だけでは、観光客を満足させることができないからだ。 妻の羅さんも休んではいられない。客室の掃除や食事の支度など、朝から晩まで忙しい。地方色が出るようにと、馬さん夫妻は「黄河鯉」などの特色料理を提供する。また、4000元余りでステレオを購入し、当地の民謡を流している。「都市の人々を相手にするには、どうやったら彼らを引きつけることができるか、よく考えなければなりません」と羅さんは話す。 農家が商家に 鮑徳生さん(55歳)と弟の鮑応徳さん(49歳)が所有する3ムー(一ムーは6.67アール)のナシ園は、道路に面しているため、花が盛りの時には、多くの人が足をとめる。しかしナシの収穫量は少ない。運送して販売するとコストもかかる。そこで、収穫したナシは村人たちに分けてしまい、ナシ園の収入はほとんどゼロに近かった。
そんなとき、海南自治州対外経済貿易合作局の公務員だった馬克強さん(30歳)がこのナシ園に目をつけた。貴徳県の「農家楽」が人気だと聞いた彼は、仕事を辞め、50万元を投入して、ここで飲食、宿泊、黄河ツアーが一体になった民宿を始めようと考えたのだ。そして今年の春、ナシ園を6年間12万元で、家屋を一年間5000元で借りたいと鮑徳生さんに持ちかけた。しかも、園内の果樹の管理は鮑さんに任せようとした。 この話に、鮑さんの息子は非常に乗り気だった。一家が一生懸命働いても年収は6000元にもならないのに、土地を貸すだけで2万5000元になるからだ。しかし鮑さんは同意しなかった。「ナシ園と家屋は、曽祖父が遺してくれたものだ。家の神様を他人にやって、財の神様を手にして何になる」と、息子と激しく口げんかした。しかし結局、息子の一存で、ナシ園と家屋を貸すことになった。 数カ月で、ナシの木の下にはテーブルが並べられ、平屋は2階建ての建物に変わった。家の外の空き地は大型バスでいっぱいになった。 現在、鮑さんはというと、ナシ園の前でナシを売っている。自宅を貸し出してから、黄河の側に住むところを借りた。借り賃は一年間500元。自宅を貸し出したことについてはまだ納得できないが、そのおかげで家に金ができ、テレビや電話も買えて、生活に困らなくなったため、もう息子をとがめることはない。
それでもやはりナシ園からは離れがたく、毎日ナシを売っている。観光客は争うように買って行くため、売れゆきはよいという。自分で栽培したものだけでは足りず、卸売市場へ仕入れに行かなければならないほどだ。 今では、ナシ園の前に特産品を売る商店を開き、家族と一緒に経営している。息子を怒っていたことについては「考えは変えなければいけません」と笑う。ナシ園と家屋の賃貸期間が満了になったら、「家の神様」も「財の神様」も両方手に入れて、自分で民宿を経営する予定だという。 青海省で交通の便が良くなったことにより観光業が発展したのは、貴徳県だけではない。中国唯一のトゥー族自治県である互助県の村落は「民族風情園」に変わった。毎年数十万人の観光客が訪れ、トゥー族の家に宿泊し、トゥー族の料理を食べる。県全体の観光収入は一年間で2000万元にのぼるという。また、青海湖の湖畔には小さな町ができ、人跡まれな山の上にもリゾート地が作られた。 馬さんの娘の馬瑜芳さんは西安翻訳学院で英語を専攻している。下羅家村の若者たちのほとんどは、村に残って観光業に従事したり、外へ出て進学したりする。土地の貸し出しを専門とし、ビジネス誘致をする若者もいる。「道路が外界との大きな門を開いてくれました。もっとたくさんの村人が外へ出て行き、外の人が貴徳県にやって来ることを望みます」と瑜芳さんは話す。(2006年11月号より) |
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