進化した遊具
|
北方交通大学4年生の黄錚くん(真ん中で手を挙げている男性)は夏休み、新しくオープンした「北京歓楽谷」に友人たちと遊びに来た |
今年の夏休み、北京にまた一つ大型遊園地がオープンした。「北京歓楽谷」という名のユニークなテーマパークで、多くの人々を引きつけている。
北京交通大学の黄錚くん(22歳)は、友人数人を誘って遊びに来た。友人たちは高校時代のクラスメート。現在はそれぞれ違う大学に通うが、子どもの頃から一緒に遊んでいたので、趣味が似通っている。そこでみんなが好きな遊園地へ遊びに行くことにしたのだ。
遊園地の案内図を見ながら、まずはどこへ行くかを相談。黄くんは刺激的なアトラクションが大好き。スリル満点の体験にワクワクするという。「もちろん、女友達の好みも考慮するよ」という言葉からは男らしさも伺える。
|
テーマパークにより人々のレジャー概念は変わった。レジャーは、子どもに付き添うことから一家全員で楽しむことになった |
今の若者たちには余暇の過ごし方がたくさんあるが、忘れがたい子どもの頃の思い出を遊園地に抱く人も少なくない。「子どもの頃、両親が公園へ連れて行ってくれた。僕はぶつけて遊ぶゴーカートが一番好きだった」と黄くんは話す。
黄くんが子どもの頃に遊んだゴーカートは、公園の遊技場にあった。一昔前の遊技場は、子どもを連れて公園へやってきた人の便を図るための付属設備だった。当初の設備はごく簡単で、滑り台や回転遊具などしかなかった。それが1980年代に入ると、ゴーカートや小型の汽車など機械式遊具が導入され、子どもたちを喜ばせた。
80年代末からは、大きな観覧車やスリル満点のジェットコースター、刺激的なウォーターシュートなど、大型のアトラクションも現れるようになった。これと同時に、遊技場も公園から分離。北京の「石景山遊楽園」と「北京遊楽園」は、まさにこの頃、86年と87年に相次いで建設された遊園地だ。
テーマパークの登場
|
大連のテーマパーク「極地世界」のポストモダン工業をテーマとした催しは多くの人々を魅了している |
中国には現在、各種の遊園地が約2500ある。ほとんどが80〜90年代に建設され、機械式のアトラクションを主としたものだ。しかしアトラクションはどれも似たり寄ったりで、斬新さに欠ける。このため、遊園地の発展は行き詰っていた。
98年、深センのある会社が海外の遊園地を参考に「歓楽谷」というテーマパークを作った。機械式の遊技場と体験型のアトラクションを結びつけた新しいスタイルは、消費者の人気を博し、来場者数と収益は驚くほど多かった。
その後、「歓楽谷」は北京や上海などにも進出。「北京歓楽谷」は、「フィヨルドの森」「アトランティス」「マヤの消失」「エーゲの港」「ジャングリラ」「アリの王国」の6つのエリアからなり、各テーマにそった文化が体験できるようになっている。
|
香港や東京のディズニーランドへ遊びに行くことはレジャーの選択肢のひとつだ |
約56万平方メートルのパーク内には、百以上の彫刻や壁画があり、ギリシャ風の町やヨーロッパの小楽団のようなステージを再現して、まるでその地にいるかのような気分を味わせてくれる。
来場者は物語の中に入り込みながら遊ぶ。以前から知っているジェットコースターやウォーターシュートでもストーリーが加わることによって、より面白く神秘的なものとなり、現実か幻かという感覚に酔いしれるのだ。
一方、今のテーマパークは文化を盛り込むことが重要だと強調しているのにもかかわらず、繁雑なテーマ景観のなか、かえって文化が不足していると考える専門家もいる。米国のディズニーランドが人気なのは、各ストーリーが幼少時代を思い起こさせるからだ。しかし今の中国のテーマパークは、海外の様々な民族の伝説や童話は導入しているものの、中国自身のものは欠けている。中国人が幼い頃からよく知っている物語や伝説、神話などが少なく、これは欠点と言わざるを得ないと指摘する。
ストレスを解消
|
深センの「歓楽谷」の水上ステージ。観客を神秘的な童話の世界へといざなう |
2004年、香港のある会社による移動型カーニバル「ワールドカーニバル」が中国の大都市を巡回した。たった数カ月の間に、来場者数は百万を超え、収益は一億元に達した。
今の中国人は、静かに風景などを楽しむ昔ながらのレジャーでは満足しなくなり、何かに参加したり、挑戦したりできる目新しいものを好むようになっている。
「カーニバル」はヨーロッパ風の祭りだという人がいるが、実は、中国の「廟会」(縁日)によく似ている。的当てゲームや輪投げなどの遊びは、中国の子どもたちも「廟会」で経験しているし、かわいらしいアニメキャラクターの着ぐるみのステージは、「廟会」の寄席演芸と変わらない。「カーニバル」にはヨーロッパの美食があるが、「廟会」には中国の小吃(軽食)がある。
「廟会」と異なる点は、訪れた人々がただ見ているだけではなく参加するということだ。「カーニバル」は音や光、電気でお祭り気分を作り出す。色とりどりのライトや野外で鳴り響くミュージック、刺激的なゲーム、大小さまざまなヌイグルミの賞品に、人々は大声で叫んだり笑ったりし、日ごろの悩みを忘れる。自由気ままに楽しみ、感情を解き放つのだ。
|
南京緑博園で開催された「ヨーロピアンスター・カーニバル」の高さ44メートルに達する大観覧車 |
中国人はこれまで、感情を表に出さず、いわゆる「おとなしく重厚であること」や「栄誉と恥辱に動じないこと」を重んじてきたため、心の中を平静に保ち、行動には一定の自制があることを求められてきた。
しかし現代の社会はいくらか異なるようだ。生活や仕事、勉強によってさまざまなストレスを感じることが増えている。そのため、ストレスを解消したり気持ちをリラックスさせたりする必要があり、刺激や快楽のなかで人と人との間の感情を豊かにしたいと欲している。
中国人はまだ「お祭り騒ぎ」によって感情を解き放つことには慣れていないが、「カーニバル」の遊技場で、自由に笑い、大声を出すことができるようになった。これにより、「カーニバル」は単なる子どもたちの楽園ではなくなった。若者ひいては中年の人にも喜ばれている。
「カーニバル」が北京にやってきたとき、黄錚くんも友人と一緒に出かけた。「高すぎた!一晩で、友人と2人で600元以上(約一万円)も使ったよ。あれじゃ、遊びつくしたかったら、いくらお金があっても足りないよ」。「カーニバル」に行ったことがある人のほとんどは、黄くんのように、お金がかかりすぎると不満を感じている。
中国人がレジャーにかけるお金は昔に比べ増えているとはいっても、大半の人の消費水準は海外の水準とは比べものにならない。
|
1980年代初頭、滑り台は公園にある数少ない遊具の一つだった |
「カーニバル」が初めて北京にやってきたときは、その目新しさと刺激のため、「お金をはたいてもいい」と思いっきり楽しんだ。しかし3回目の今年は状況が変わった。来場者は減り、多くのアトラクションが見向きもされなかった。人々は理性的になり、運がよければ賞品がもらえるといったゲームにはたからなくなった。たとえ試したとしても、数回やって成功しなければあきらめた。このような事情により、今年の「カーニバル」は3500万元の赤字だったという。
それでも、テーマパークに対しては並々ならぬ感情を抱いている人が多い。昔の公園のように山や水があるし、子どもから大人まで楽しめるたくさんのアトラクションがあるので、一家全員で遊ぶことができる。ただ一つ、料金を取るのは入場料だけにし、パーク内でひっきりなしにお金を徴収するのは止めてもらいたいと願っている。
遊園地へ遊びに来る人の年齢層は広がっている。黄くんのような若者だけでなく、幼い子どもを連れた夫婦や数人で連れ立ってくる高齢者たち、地方からやってくる観光客もいる。
遊園地で楽しむ理由は人それぞれだ。黄くんは次のように話す。「僕たちはもう大学4年生だから、卒業や就職を控えている。今は仕事探しも楽じゃないし、たとえ仕事が見つかっても、職場でのプレッシャーは大きい。だから、学生時代の最後の夏休みを利用して、遊園地の楽しい気分の中で一日を過ごしたいんだ。心配事もしばしの間、忘れられるよ」(2006年12月号より)
|