舟の上の暮らし
湖北省出身の楊老三さん(40歳)は十数年にわたり、湖南省北部の洞庭湖で魚を捕って暮らしてきた。家は湖南省岳陽市の漁港の近くに泊まっている舟の上。20艘余りの舟が寄り集まって泊まり、各舟に漁民の家族が住んでいる。舟と舟の間には渡り板が架かっている。 楊さんが自宅にしている舟は長さ20メートル、幅5メートルほどで、部屋の広さは十数平方メートル。部屋の中では娘さんがテレビを見ていた。テレビの側には大きなスピーカーが2つある。娘さんはカラオケが大好きなのだ。 舟の中には、木製のベッドやユニット棚、クローゼットそしてウォーターサーバーまですべて揃っている。陸上での暮らしと違うのは、甲板が広々とした露天の客間になっていること。椅子や腰掛が置かれ、近所の人々がやって来ておしゃべりをしたりお茶を飲んだりする。甲板は台所や洗面所にもなる。洗濯や料理をするのはすべて甲板の上だ。
楊さんは自宅にしているこの舟のほかに、もう一艘、木舟を持っている。漁に使う舟だ。通常、夏は漁をし、冬は商売をする。「近年、魚はあまり捕れなくなりましたが、商売で稼げるようになりました」と楊さんは話す。 楊さんの言う商売とは、自分で作った塩漬け魚を市場で売ること。自宅の甲板には塩漬け用の大きなかめがある。小さく切った草魚をかめの中に入れ、塩で2、3日漬け込んだあと、日に干す。「半干」の状態になったら出来上がりだ。 現地の人々は、これを蒸したり油で焼いたり、あるいはしょう油煮込みにして食べる。塩漬けの魚は新鮮なものより長時間保存が可能なので喜ばれている。毎年、旧暦12月の売れゆきが最も良いそうだ。「春節(旧正月)前には買う人が増えます。買う量も多いですよ。一番の稼ぎ時です」
楊さんの舟の隣の舟の上では、木舟を作っていた。この舟の主人は張斉恩さん(40歳)。やはり湖北省の出身だ。張さんは近くの漁民たちのために木舟を作って生計を立てている。 舟作りの技術は父親から受け継いだ。腕が確かなため、多くの漁民が張さんに舟を注文する。息子が2人いるが、17歳の長男は張さんについて舟作りを習っている。舟を一艘作ると数百元稼げる。注文は夏に多い。冬、仕事がないときは、市場で魚を売る。 舟の上で暮らしているのは漁民だけではない。黄小紅さんは舟の上で商店を営んでいる。漁民たちにインスタントラーメンやビスケット、各種の軽食、それに洗剤や石鹸、タオルなど数々の日用品を提供するのだ。舟の半分は飲用水の桶が占拠している。「わが家は岸辺でも、漁の道具を扱う商店を一軒営んでいます。漁民が必要なものはほとんど置いてありますよ」と黄さんは話す。 捕りすぎた水産資源
洞庭湖は湖南省と湖北省にまたがる中国で二番目に大きい淡水湖で、「八百里洞庭」と称される。古くは「雲夢沢」と呼ばれていた。土砂の堆積と干拓により、現在は東洞庭湖、南洞庭湖、西洞庭湖、大通湖などいくつかの湖に分かれている。岳陽市は面積が最大の東洞庭湖の湖畔にあり、北宋の文学者・范仲淹(989〜1052年)の散文『岳陽楼記』で有名な岳陽楼はここに建っている。 東洞庭湖は長江に通じている。水域は広く、支流は縦横に入り混じり、池がたくさんある。水産資源も豊かで、中国の「魚と米の郷」として有名だ。楊老三さんによると、漁が最も盛んだったのは1990年代。「あの頃は伝統的な網漁で、1日100〜150キロも魚が捕れました」。当時、漁民の年収は5万元に達していたという。 湖畔には、灰色の6階建てのアパートが建ち並ぶ。90年代に建設された漁民の住宅だ。ここに住む漁民たちは、以前は舟の上や岸辺の粗末な平屋建てに住んでいたという。現在、漁を引退したお年寄りたちがアパートの階下で、トランプやマージャンに興じたり、おしゃべりをしたりしてのんびりした日々を過ごしている。 近年、豊富な水産資源と市場経済の煽りにより、他の省の漁民たちも次々と洞庭湖へやってきた。ここ数年の漁のシーズン中、最も多いときで周辺の各省から一万人以上の漁民が洞庭湖へやってきて、漁獲量は年間750万キロに達した。
漁民の暮らしが日に日に豊かになっていく一方、彼らが依存する漁業環境にも変化が現れ始めた。漁民が増え、市場の需要も絶え間なく増大したため、限りある資源がこれまでにない危機にさらされたのだ。さらに、経済発展による環境汚染や水利施設の一部が回遊性魚類の遡上ルートに影響を与えている問題が加わり、洞庭湖の水産資源はしだいに減少した。 漁獲量の向上をねらって、伝統的な方法をやめ、電流が流れる網を使用したり、目の細かい網を使った「エリ」(参考データ参照)などの方法で漁をする人も出てきた。冬になっても、目先の利益ばかりを考え、湖を干して魚を捕る人さえもいた。こうして、洞庭湖の水産資源は深刻な危機に瀕した。 「エリ」については、楊さんもバツが悪そうに話す。「20年以上漁師をやっていますが、小さな魚までかかっているのを見るのはあまり気分のいいものではありません。先を見通したやり方ではないことも知っています。でも、目の細かい網を使わなければ、他の人がそれを使って自分より魚をたくさん捕ってしまいます。多くの収入を得たいと思ったら、それを使うほかないのです」 洞庭湖の漁民たちはみな、近年魚が少なくなってきたと感じている。楊さんが塩漬けにする魚も、自分が捕ったものでは足りず、他の省から買ってくることもある。 長期的な豊かさを
洞庭湖の魚が減ったことを政府も心配している。岳陽市政府は洞庭湖の水産資源と環境を守るため、さまざまな努力を続けている。まずは、環境と魚類の生態系を徐々に改善しようと、ある範囲を禁漁区と定め、一定の期間内は漁を禁じた。そして、国家の関連部門の統一的な指導のもと、2002年から全湖で春季の禁漁を実施。春は魚が卵を産み、成長する重要な時期であるため、4月1日から6月30日の3カ月間、湖を封鎖して漁を禁止した。こうして、魚に生殖し成長する時間を与えたのだ。 毎年90日間も漁が出来ないとなると、漁民の収入はもちろん減り、生活は困難になる。そこで禁漁が確実に実施されるよう、市政府はこの期間、漁民たちに一人当たり毎月80〜100元の最低生活保障費を支給した。また、禁漁期間の新しい仕事探しを奨励し、漁民の収入を増やした。 「私たちは禁漁を歓迎しています。こうすれば、湖の魚は増えるし、大きくなります。私たちの収入も増えます」。楊老三さんは禁漁期間中、後日の漁に備え、舟や網を修理して過ごす。残りの時間は商売に出かける。
政府の関連部門は、漁民に有害な漁法を止めさせるだけでなく、漁の許可証も発行。湖に入る漁船の数を制限し、捕獲量を抑制している。さらに水上パトロールも実施して、不法な漁を取り締まっている。 世界自然保護基金(WWF)は04年、洞庭湖の一部区域で、住民たちが共同で自然資源を管理するテストを始めた。現地の漁民たちに対して協定や規則を厳格に遵守して漁を行うように要求し、自分勝手な漁を禁止した。漁は渡り鳥がやってくる季節をさけ、毎年夏と秋に2、3回集中して行われるようになった。また、1キロ以下の小さな魚は捕ってはいけないと規定した。 このようにして、毎回の漁で1万キロ近くの小さな魚が湖に戻された。小さな魚は引き続き成長するものあり、渡り鳥のエサとなるものありで、自然界の均衡が保たれ、洞庭湖の自然環境にプラスの役割を果たしている。 このテスト区域における水産資源の調査から、現地の多くの魚類の生態系が回復していることが分かった。種類や数も以前と比べて増加し、大きな魚も増えた。 (2007年1月号より) |
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