匂い立つ北京

タバコ 煙と共に消え行くもの

                                       写真・文 林 望
 


 宣武大街に面した南堂教会。その門前の木陰に男たちが集まり、囲碁やトランプに興じている。人垣に加わって見物していた私のところに、ふと、焦げ臭いような、それでいてかすかに甘いようなにおいが漂ってきた。

 振り返ってみると、男たちの賑わいから少し離れた所に、青い人民帽と人民服姿のおじいさんが座っている。においの元は、おじいさんの左手に挟まれたタバコだった。

 遠くを見つめながら、時折、思い出したようにタバコを口元に運ぶ。プカリ、プカリ。その所作はひどくゆったりとして、目の前を行きすぎる若者たちの歩みとは対照的なリズムを生みだしている。久しぶりに見る、タバコの似合う男の姿だ。

 「ライターを忘れてしまったんです。貸していただけませんか」。私は小さな嘘をついて彼の横に座った。彼はしわだらけの目尻をちょっと下げ、赤い百円ライターを手渡してくれた。よく見ると、タバコを挟む中指がヤニで黄色くなっている。長年、一本一本のタバコを愛おしむように根元まで吸ってきたのだろう。

 「どうですか、一本」。私はポケットから取り出した日本製のタバコを勧めてみた。彼はタバコを挟んだままの左手をちょっと上げて「いやいや、ワシはこれが一番なんでね」と穏やかに答えた。「哈徳門」というそのタバコ。「老牌子(歴史の古い定番ブランド)じゃよ」。二十五年間、一日一箱ずつ吸い続けてきたという。

 呂志軒さんというこのおじいさん。今年八十歳になる。曾孫の顔を見るのが一番の楽しみとか。二十歳の時に山東省から北京に出てきて、野菜市場でセロリの仕入れを担当してきた。三十歳のころから、仕事の合間に手巻きの安タバコを吸い始めたという。それまでは、吸いたくても買うお金がなかったのだそうだ。

 タバコ一本分のよもやま話。呂さんはフィルターだけが残った吸い殻をポーンと指で器用にはじき飛ばし、「あんたは真似しちゃいかんよ。最近、警察もタバコの投げ捨てにはうるさいから」と、いたずらっぽく笑った。

 ここ数年、北京でも愛煙家は肩身の狭い思いをしている。若者たちに人気のファーストフード店には灰皿を置いてない所が多い。小綺麗なデパートなどでは至る所に「禁止吸煙」の表示がある。先日、仕事帰りにバスに乗った時も、タバコを吸っていた若い男が車掌の女性に「あんた、何やってんの!」と、それはそれは大変な剣幕で叱られ、見ている方が気の毒になるほどだった。中国消費者協会が一九九九年に実施した全国調査によると、十五歳以上の喫煙率は三一・一%。九六年の調査と比べ六・五ポイントも減っている。

 中国には、列車の中やどこかの休憩所などで見ず知らずの人が一緒になったとき、互いにタバコを勧め合う習慣がある。相手がくれた両切りタバコの強烈な味にむせかえりながら、私も随分たくさんの中国の人と話をさせてもらったものだ。そんな出会いが、最近とみに少なくなっている。

 「僕らのようなタバコ吸いには、暮らしにくいご時世になりましたね」。そう話しかけると、呂さんは「いいことさ。タバコは百害あって一利なし」と、言い切った。その反応にちょっと驚いていると、彼は急に笑い出して「と言っても、ワシは今更やめるつもりはないがね。あんたら若い人は苦労するね」と、私の肩を叩いた。

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 凄まじい勢いでその姿を変える北京の街。ここでは一日たりとも、槌の音が途絶えることはないかのようだ。人々の暮らしもまた同様。街中が「現代化」に向けて邁進している。

 北京は、においに満ちた街だと思う。においは街の活気そのものだ。ところが最近、何かに鼻腔を刺激され、思わず立ち止まるということが少なくなった。現代化の中で失われていくにおい、あるいは新たに立ち上ってくる臭いに、ぐっと鼻の穴を近づけていきたい。(2000年8月号より)