匂い立つ北京
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羊の肉 都市に厚みを添える人々
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写真・文 林 望 |
ここは海淀区魏公村にある通称「新疆街」。二百bほどの路地に、「新疆風味」の看板を掲げる小さなレストランが二十五店も軒を連ねる。八〇年代の末からウイグル族の人々が住みはじめ、今では子どもを含め、三百人ほどが生活している。
「お客さん、外国人?」と、なかなか流暢な普通話で話しかけてきたのはカタル・シャタールさん(27)。この路地で十年間、羊肉串を焼いてきた。切れ長の目が特徴的な、なかなかの色男だ。新疆ウイグル自治区トルファン市の生まれ。「北京に来たばかりのころは、普通話が全然分かんなくてね。客にからかわれても、ただバカみたいに笑っているしかなかったんだ」 中国は五十五の少数民族を抱える多民族国家だ。北京にも五十万人前後の少数民族が生活している。戸籍を持たない流動人口を加えれば、その数はもっと増えるはず。その中にはかつてのカタルさんのように、満足に普通話を話せない人たちもいる。言葉の壁、文化の壁。そういった苦労を覚悟で北京にやってきた理由を、カタルさんは「広い世界を見たいという気持ちと、やっぱりお金だね。なんだかんだいっても、トルファンの倍は稼げるから」という。 北京には古くから異なる民族が集い、暮らしてきた。そして異民族の文化を吸収することで、北京は都市としての厚みと魅力を増し続けてきたのだと思う。 ここにある「聚宝齋牛羊肉店」は、六十年以上の歴史を持つ老舗の肉屋。毎日、夕方になると行列ができ、客たちが新鮮な羊や牛の肉を買い求めていく。店長の謝立銀さん(43)は「お客さんは、イスラム教徒と漢民族が半々くらいだね。羊の肉は案外脂肪分が低いというんで、健康志向の人の間で人気なんだ」という。 最もポピュラーな食べ方は、北京の冬の名物でもある「シュアン羊(ヤン)肉(ロウ)」(羊のしゃぶしゃぶ)。沸騰しただし汁に通して、ゴマだれなどにつけて食べる。謝さんは「シュアン羊肉はもともと、回族の料理だった。それがいつのまにか漢族の間にも広まって、北京の名物になったというわけさ」と、誇らしげに話す。 北京でのイスラム文化の拠点とも言える牛街だが、周囲の都市開発が進むに連れ、その規模は年々小さくなっている。最近も、安い洋服を売る店が並んでいた一角が取り壊され、ビルを建てるための整地が始まった。 牛街だけではない。北京最大のウイグル族居住区だった甘家口は、昨年の建国五十周年に合わせて道路拡幅工事が施され、雑然と並んでいたレストランや雑貨店は、ほぼ跡形もなく取り壊されてしまった。「数千人はいた」とも言われるウイグル族の住民たちのほとんどが故郷に帰り、一部は魏公村の新疆街に移っていったという。 ところが、その新疆街にもいよいよ再開発の波が押し寄せている。年内には、すべてのレストランが取り壊される。あるレストランの女性オーナー、ファートマン・バイクリさん(35)は「さて、どうしたものかしらね」と、苦笑いする。 ウルムチ市の高校を卒業後、八七年に今の夫と共に上京。昼間は印刷工場で働き、夜は魏公村の道端で羊肉串を売った。そうやって貯めたお金で、二年後に今のレストランを開店した。新疆街では三番目のレストラン。当時はまだ、新疆街という名前もなかった。 「この十三年間、故郷に帰った回数は片手で数えられるくらい。私はここにしがみついて、やっと今の生活を築いたの」。彼女の隣に座っていた小学校六年生の娘さんが、突然電卓をはじいて、私にその数字を見せた。四七四五。何のことだろうと思って彼女を見つめ返すと、ニッコリ笑って「ママが北京で働いた日にち」と言った。 |