匂い立つ北京
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お茶 一杯分のゆとり
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写真・文 林 望 |
「同じ種類の茶葉でも、産地によって香りは違うものなんです」というのは、西直門で茶藝館「燕趙茶苑」を経営する張修源さん(40)。「茶は周りの山や森の空気を吸って育つわけですから、森の匂いが違えばお茶の香りも変わる。とても繊細なんですよ」 もともと温厚な印象を与える人だが、お茶について語り始めると、そのまなざしは一層柔らかくなる。まるで自分の子どもの自慢話でもしているかのようだ。 台湾出身の張さんは以前、台湾産の茶葉を扱う貿易商だった。台湾では一九八〇年代から茶藝館が流行し始めたが、当時の大陸、特に北京には気軽にお茶が飲める場所がほとんどなかった。例えば友人と会う時も、腰を下ろしておしゃべりする場所を探すのに苦労した。これは商売になる、と思った。九一年にまず上海で茶藝館を出店。北京に進出したのは九四年のことだ。最初の一年間は赤字が続いたが、少しも慌てなかった。「生活が慌ただしくなればなるほど、逆に人々は静かで落ち着いた環境を求めるはず」との確信があったという。九六年ころから北京でも採算が取れるようになり、今では毎日平均して五十〜六十人の客がある。客層は三十代から五十代が中心で、ビジネスマンや医師、弁護士などが仲間や顧客と連れだって来るケースが多いという。 張さんは今、北京二号店の出店に向けて準備中。現在、北京市内にはおよそ三百店の茶藝館があるが、「まだまだ需要はあります。北京に千店あっても、商売は成り立ちますよ」と言い切る。 * * * * * * そうした茶藝館人気の一方で、若い知人や友人の中には「お茶は滅多に飲まない」という人が多い。北京のように乾燥した町では、身体も十分な水分の補給を求めるはず。「のどが渇いた時は何を飲むの?」と、彼らに尋ねると、ミネラルウォーター、ジュースあるいは白湯(さゆ)という答えが返ってくる。とりわけ、小型のペットボトルに入った清涼飲料が出回り始めてから、若者のお茶離れは一層進んでいるようだ。お茶の味が好きではない、という人もいるが、むしろ多くの若者が口にするのは「お茶を入れるのは面倒」ということだ。中国の人がふだんお茶を飲む場合は、急須を使うわけでもなく、取っ手付きの湯呑みやガラスの瓶に直接茶葉を入れ、そこにお湯を注ぐだけだ。「何が面倒なんだろう」という気もするが、葉から茶の成分の出るその数分間が、彼らにはじれったく感じられるらしい。忙しい人にとって、待つということは一種の苦痛だ。彼らにしてみれば、わざわざお茶をいれなくても便利な飲み物はほかにいくらでもある、ということなのだろう。 * * * * * * もちろん、彼らもまったくお茶を飲まないわけではない。例えば、外資系メーカーに務める張永さん(24)は「普段はミネラルウォーターばかりだけれど、休日の午後、ゆっくりと本を読んだり、音楽を聴いたりするときはお茶が飲みたくなる」と言う。彼女にとっては、仕事に追われる日々の中で、自分を取り戻す大切な時間だ。 お茶の周辺にはいつもゆるやかな時間が流れている。張修源さんは「茶葉は山の空気をたっぷり吸って育つのですから、喫茶には森林浴と同じ作用があるのです」という。茶藝館で飲むにしろ、自分の部屋で飲むにしろ、お茶は単にのどを潤すためのものではないのだろう。改革開放政策が始まって二十年余り。茶藝館人気の背景には、豊かさに向かって走り続けてきた人々の「ここらでちょと一息つきたい」という思いがあるのかも、などと思ってみたりする。(2000年12月号より) |