匂い立つ北京

焼き芋 大地の香りを運ぶ人

                                       写真・文 林 望
 


 市場に続く狭い路地。午後になって道端の氷がようやくゆるみ始めたと思ったら、代わりに自転車が倒れるほどの風が吹き始めた。足もとからこみ上げてくる大陸の冷気。知らず知らずのうちに、からだ中の筋肉がこわ張ってしまう。

 その時ふと、全身の緊張を解きほぐすかのような甘い香りが漂ってきた。夏の太陽をたっぷり浴びた、土の匂いを思い出させる香り。足早に歩いていた人々が立ち止まり、焼き芋屋の自転車に近づいていく。

 焼き芋は日本でもなじみの深い食べ物だが、それにしても、こんなに濃厚な香りがするものだっただろうか。そう言えば、留学を終えて日本に帰った友人、特に女性の中で「北京の焼き芋が懐かしい」という人は多い。やはりその香りや味わいには、日本の焼き芋とは違う、特別な何かがあるということだろう。

 北京の焼き芋は、炭で焼く。自転車の後輪に取り付けたドラム缶に練炭を敷き、中に張られた金網に芋を並べるのだ。焼きあがった芋はドラム缶の上に並べられ、暖かい香りをあたりにまき散らす。

 はかり売りで、1斤(500グラム)あたり1・5〜2元が相場。何人かの焼き芋屋に聞いてみたところ、一日の売り上げはおよそ40〜70元だという。芋の仕入れ値は一斤0.6〜0・7元、炭代は一日1元もあれば足りるというから、少なくとも20元ほどの儲けが出る計算だ。(1元は約14円)

 北京で焼き芋を売っているのはほぼ例外なく、地方から出稼ぎにきた人々だ。農作業の終わった11月ごろ、河北、河南などの農村部からやってきて、安い宿に泊まり込んで春先まで商いをする。営業許可を得ていない、「もぐり」の人が多い。

 毎日、昼過ぎから夕方まで、海淀区内のある路地に立っている羅梨さん(24)もそんな一人。「田舎でぼんやり冬を過ごすより、少しでも多く稼いだ方がいいから」と、12月の初め、河南省周口市近くの村から夫と一緒にバスを乗り継いでやって来た。二人で郊外にひと月240元の部屋を借り、中古の自転車とドラム缶の炉を購入して商売を始めた。自転車は20元、炉は50元。地方から焼き芋を売りに来る人のために、専門にそうした道具を売る場所があるのだそうだ。

 身を切るような寒風の中、じっと客を待ちながら、一つ2元ほどの焼き芋を売る。真っ赤になった彼女の頬や鼻を見れば、決して楽な商売ではないことは分かる。それでも毎日焼き芋を売れば、ひと月でおよそ千元近い収入になる。「田舎での月収は約400元」と聞けば、彼らが親や子供を置いて、はるばる北京に出てくる気持ちも少しは分かるような気がしてくる。

 羅さんが北京に来たのは、これが初めて。感想を聞いてみると「毎日仕事をしているだけだから、感激なんて全然ない。せっかく首都に来たのにね」と笑う。赤いズボンとコートに白い毛糸の帽子。彼女の服装はいつも同じだ。買物らしい買物も、まだしていないのだろう。「田舎に帰る前には、一度王府井と西単に行ってみたい」と、彼女は言う。

 河北省石家荘市に近い村から一人で出稼ぎにきた劉東臣さん(28)は、妻と4歳になる息子が彼の帰りを待っている。週に一度、電話で息子の声を聞くのがはり合いだという。「いつ帰れるかは、稼ぎ次第だよ。できれば春節には戻りたい」。息子へのお土産に、石家荘にも売っていないような珍しいおもちゃを買っていくつもりだ。

 「熱いから気をつけて」と、彼が新聞紙にくるんで渡してくれた焼き芋は、見かけよりずっと重たい気がした。(2001年3月号より)