私が北京に来て間もない頃、あちこちから立ち上ってくる雑多なにおいは、そのままこの街のエネルギーのように感じられた。ところが、それから数年が過ぎ、香ばしいにおいに誘われて思わず立ち止まったり、異臭に顔をしかめることが極端に減っていることにふと気がついた。北京暮らしが長くなるにつれ、私の鼻が鈍ってしまったのは確かだが、原因はそれだけではなさそうだ。北京からにおいが消えて行く――。目に見えないところで、何か大きな変化が進行しているような気がした。
これまでに取り上げてきた「におい」の中には、消え去りつつあるもの、薄まりつつあるものが少なくない。そして、においの向こうには必ず変わりゆく人の暮らしがあった。
第二回(「羊の肉」二〇〇〇年九月号)で紹介した新疆街では、軒を並べていたレストランが取り壊され、フェンスの向こうで高層アパートの建設が続いている。一変した風景の前に立つと、かつてここに羊の脂のにおいが満ちていたという記憶すら曖昧になる。あの時話を聞かせてくれたファートマン・バイクリさんは、周りの店がほとんど立ち退いた後も細々とレストランの営業を続けていたが、ある日突然店じまいをして姿を消してしまった。彼女が北京のほかの場所で店を開いたのか、それとも故郷に戻ったのか、いまでは確かめようもない。
第八回(「焼き芋」二〇〇一年三月号)の取材では、焼き芋屋を探すのに苦労した。たいていの路地には彼らの姿があるような気がしていたが、いざ探してみると、なかなか見つからない。昨年の冬、いつも焼き芋屋が立っていた市場にも行ってみたが、やはり無駄足だった。野菜売りのおじさんに聞いてみると、「今年は北京に来ていないみたいだよ。警察の取り締まりが厳しくなる一方なんで、商売は諦めたんだろう」という話だった。別の路地でようやく劉東臣さんという焼き芋屋を見つけたが、彼も「商売しづらくなっているのは確かさ。来年、また北京に来られるかどうかは何とも言えないよ」と、やるせなさそうにつぶやいた。
それにしても北京の変化は急速だ。一九九九年の建国五十周年が終わったかと思うと、今度は二〇〇八年の五輪招致に向けた都市整備が始まった。街路樹のエンジュやプラタナスが惜しげもなく切り倒され、道路が広がる。煉瓦造りの古い平屋がつぶされ、公園ができる。雑然とした市場が姿を消し、肉や野菜をパックに入れて売るスーパーマーケットが益々繁盛する。街は着実に清潔に、そして便利になりつつある。北京で生活する私は、その恩恵に浴しながらも、少し複雑な気持ちでこの変化を眺めている。
先日、第十回(「香菜」二〇〇一年五月号)の取材をするため、大鐘寺の卸市場に行った時のことだ。大きなたらいの中で跳ねるコイやナマズの泥臭いにおい、無造作に積み上げられた色とりどりの野菜、卸商人たちの威勢の良い掛け声…。においと色と音の洪水の中に身を置きながら、私は「ああ、これだ、これだ」と久しぶりに気持ちが湧き立つのを感じていた。初めて北京に足を運んだとき、まず私を魅了したのはこういう圧倒的なエネルギーだった。
外国人が身勝手なノスタルジーから、ある国や街の変化を憂うことは控えなければいけないが、やはりこの活気や活力は北京の大きな魅力だと思う。変貌する北京にどこかよそよそしさを感じてしまうのは、そうした無骨でダイナミックな部分が切り捨てられようとしているからなのだろう。街のにおいが薄れているのも、そうした動きの現われに違いない。
あちこちの建設現場を通り過ぎる時、無駄なことは承知で「将来、この街角からはどんなにおいが立ち上っているだろうか」と想像してみる。北京は今、どこに向かおうとしているのだろうか。例えば十年後、道端に足を止め、鼻をクンクンとならしながらこの街の来し方行く末に思いを巡らせてみたい。(最終回)
(2001年6月号より)
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