元米易県人民政府副県長・卿尚達氏に聞く

米易県の立体農業


き手 丘桓興

 
   

  卿さんは副県長時代、主に農業を担当なさっていたと伺っています。今は定年退職し、県政府の顧問をしている立場から米易県の立体農業について詳しくお話しいただきたいと思います。

  米易の立体農業には日本も関係しています。数年前、日本の二つの県から農協が米易を訪問したことがありますし、広島の富永菌類研究所の富永保人所長が、モリノカレハタケの生長状況を研究するため米易にいらしたこともあります。京都大学の博士課程研究生、月原敏博さんは、米易の立体農業の資料を見て、人口に対して耕地が少ない日本の現状を解決するために、有効なヒントとなる方法だとして、米易の立体農業の研究を論文のテーマになさいました。そして、八日間もここで調査を行いました。

        立体農業の歴史

  立体農業について説明してください。

  これはイギリスとフランスに最初に生まれた概念です。あるリンゴ園の持ち主が、果樹園の中で牧草を植え、さらに牧草を利用して牛を飼い、その牛の糞を肥料に使いつつ、さらにリンゴ園の周りをブドウの木で囲みました。ただのリンゴ園は、リンゴ、牧草、肥料、ブドウ、それに牛の飼育もできる場所に変え、資源を循環的に利用できる環境を生み出しました。ところが、似たような農業のスタイルが六世紀、中国北魏の賈思ロトの著作『斉民要術』のなかにすでに記されていたのです。そこでは桑畑にカブ、リョクトウと大豆を多毛作にする例が挙げられていました。これこそ、立体農業の雛型と言えるでしょう。

  米易で立体農業が始まったのはいつでしょう。

  一九八四年、四川省が省内で立体農業の試験田を探していると聞き、わが県はすぐ申請しました。米易は地形や気候が複雑で、県内に亜熱帯の渓谷地帯もあり、温帯の低山地帯と少し寒い高山地帯もあります。さまざまな作物の生長条件が揃っています。それに、土地と資源の全面的調査、農業に関する総合的な計画を終えたばかりで、しかも交通面の条件もよくなっている。申請が順調に認められ、さっそく実行に移しました。

  立体農業の米易の具体例を教えてください。

  立体農業については、最初われわれもよく分からなかったのですよ。一九八四年八月米易で立体農業経済計画会が開かれ、蒋民寛省長がスピーチしました。第一に、立体農業にモデルとなるものはない。四川省では、変化に富んだ気候と険しい山々を利用して、麓から頂上まで、温帯から亜熱帯までの高山地帯、低山地帯と渓谷地帯に対して条件にあった開発を行う。第二に、動植物を始め、あらゆる自然資源を利用する。第三に、平地での立体農業。つまりサトウキビやトウモロコシや野菜と果樹園などを間作する。第四に、立体農業経済によって得た作物をさらに商品開発をすること。つまり栽培、養殖、加工業と流通業を同時に行う。とにかく、自然資源を充分に生かし、できる限りの経済効果を得て、四川省の八千七百万人の農民が二〇〇〇年までに、全て万元戸になる。これが政府の目標でした。

  計画はどのように進められたのでしょう。

  まず専門家の力を借りて、調査を行いました。八四年から、四川省科学技術協会が相次いで農業科学学会など七十二組織、百三十名の専門家を米易に招きました。穀物、サトウキビ、果物、野菜、家畜、生薬、それに希少な野生動物などさまざまな分野にわたる専門家です。それだけではなく、トマト、トウガンの栽培、アヒルの飼育など現場からの専門家も三十四名招き、それに米易県の研究スタッフも加わって、皆手分けして調査したうえで、四百余りの提案を行いました。検討を三回重ね、そのうちの百二十一項目が実施されることとなりました。

  結果はいかがでしたか。

  よかったですよ。トマトの専門家、張文康さんが草場村で、優良品種の選択、育苗、棚作りから、病虫害の予防、結実後の品質管理まで細かく村民に指導してくれました。おかげで、冬季のトマトは一ムーあたりの生産高が平均五千キロ以上もあって、農民の生活はとたんに豊かになりました。もちろん失敗例もあります。例えば、ヘビを飼ったこと。初めは年に何万匹も飼って、ヘビにかまれた時に使う血清も作り、相当利益が出ていました。しかし、技術者が引きあげたとたん、続けていけなくなってしまいました。

         伝統的農業の改革

  立体農業の実施は米易にどんな影響を与えましたか。

  まずは伝統的な耕作システムが改革されたということでしょう。米易は一年に乾季と雨季に分かれて、六月から九月までは雨季で、九月から翌年の五月までは乾季です。雨季に年間降雨量千百ミリの九二%も降って、乾季になると雨がほとんど降らない。四、五月は猛暑です。昔ながらの麦と稲の二毛作、または稲の二期作は、ここの気候には本当はあわないのです。春季の麦は暑さのせいで早熟し、収穫量が低い。早稲は乾季になると、水が足りません。晩稲が花粉を飛ばすときは、気温が低く、梅雨にも影響され、実りがよくなかった。というわけで、穀物の収穫量はずっと一ムーあたり四百五十〜五百五十キロの低い水準でした。でも、改革後、米易の気候に合うよう、トウモロコシと稲を連作することになって、優良品種のトウモロコシと交雑水稲が普及したこともあって、一ムーあたりの生産高が千二百キロに上ったのです。要するに第一歩として農民自身の食糧問題はまず解決できたというわけです。

  それでは、第二のステップは?

  それは農民の収入を増やすことでした。八〇年代に中国各地の都市で野菜が不足していた現状を知り、冬と春が暖かい米易県の「天然温室」の優勢を生かし、野菜の栽培を大幅に増やしました。八五年では全県の野菜栽培面積は二百五十ムーでしたが、八八年になると三万ムー余りに急増し、九四年には、さらに七万ムーに上って、北方に野菜を供給する拠点となりました。特に野菜が乏しい二、三月に、トマト、キュウリ、ササゲなどを列車で東北や西北地区に大量に運びます。新鮮な野菜が食べられたら、都市の住民は喜ぶし、米易の農民が儲かって大喜びです。

  村の中にたくさん新しい建物が見えて、なかなか立派ですね。

  農民は財産ができたら、まず家を建てるのです。それからテレビや洗濯機を買ったり、トラックを買って輸送業に進出する人もいます。

  野菜畑もすべて立体農業方式ですか。

  野菜畑には全部棚でおおっています。棚の上にキュウリやササゲ、その下にチンゲンサイやニラ。他省から見学に訪れた多くの専門家は米易の野菜畑を見て、北京郊外の野菜農家にも負けないほどだとほめてくれました。

  それはすごいですね。でも、畑に野菜を栽培したら、穀物には影響を与えないでしょうか。

  稲と野菜の多毛作は、稲の生長に悪影響をもたらさないばかりか、野菜の栽培によって土壌に多くの養分が与えられます。稲も増産になりました。ただ、渓谷地帯に野菜畑が多くなると、自然にサトウキビ畑が減ってしまった。そして二つの製糖工場が一時原料不足に陥りました。

  問題は解決しましたか。

  製糖は米易にとって重要な財源です。サトウキビの生産高が下がったら、こまりますよ。実はサトウキビは日照りに強いため、山の斜面でも手軽に栽培できます。政府はそれに目をつけ、農民が山の斜面でサトウキビを植えるよう八八年に優遇政策を実施しました。それでサトウキビが山に移り、製糖工場は充分な原料を得て、農民の懐も膨らんでいます。サトウキビは一トン二百十元で、一人当たりの生産高が三十トンの村もあります。

  サトウキビ畑でも立体農業が行われているのでしょうか。

  はい。かつてはサトウキビ畑に大豆を植えていたのですが、それはあまり効果がなく、次第にサトウキビにナスやスイカを組み合わせるようになりました。その結果一ムーあたり五、六百元の増収になったほか、サトウキビも一、二トンの増産になりました。

  今の農民は本当にやり手ですね。

  そうですね。農民の間にこういう言葉が流行っています。「立体農業は季節を長く、土地を広く」と。例えば、昔の耕作の仕方では、渓谷地帯の一年は三期作に足りず、二期作に余ったのです。毎年百日間ほどが無駄になっていました。しかし、今は麦―スイカ―稲、あるいはエンドウマメ―トウモロコシ―稲のように穀物の二期作を他品種の多毛作に変え、栽培の時間を延長したわけです。それと同時に立体栽培は、例えばサトウキビ畑にスイカや野菜を同時に栽培したり、果樹の下にサツマイモ、野菜と薬草などを植えたり、一ムーが二ムーに変わって、土地を広くしたわけです。

        作付け計画の難しさ

  現在農民が新たに注目していることは何でしょう。

  この二、三年北方では温室やビニールハウスを建てているため、北方でも冬季、春季に野菜がとれるようになりました。米易の「天然温室」は有利な条件を失って、野菜が売れなくなり、農民は焦っています。もちろん方法がないわけではない。こちらも野菜畑を三万ムーいっぺんに減らしました。

  その三万ムーの野菜畑は何に?

  特色のある、利益率の高い作物にしました。まず煙草。雲南省は有名な煙草産地です。ここの気候も土壌も雲南省に似て、優良品種の煙草の生長条件が揃っています。三万ムーの畑に煙草を植え、これは相当な利益が期待できます。第二に、ここの気候はマンゴー、ビワとリュウガンなど高価な果物の生長にあっています。特にここで採れたビワは、アヒルの卵ほど大きく、皮が薄く、味が甘くて、他所ではまだ収穫できない十二月から翌年二月までの間に、すでに市場に出回り始めるのです。この時期はクリスマス、新年、旧正月にあたり、良い値段で売ることができます。第三、薬草の栽培です。山が多く、気候と地形が複雑なため、いろんな薬草の栽培ができます。例えば、伝統的な薬草ボウフウ、バイモとトチュウなど。最近広東省から導入した南方の薬草も、パチョリや肝炎に用いるリンドウとか、売れ行きが期待できます。

  市場の需要に応じて作柄を調整するとは、本当に知恵がいりますね。

  市場は毎日のように目まぐるしく変化しますが、農業生産は周期が長いし、しかも米易は資金も技術も人材も足りなくて、なかなか市場の需要にすぐ応じることができません。でも、市場経済に鍛えられ、農民もだんだん賢くなりました。例えば、煙草の栽培を始める前に、四川省煙草専売会社と取引きの契約を結びました。同じように、リンドウやパチョリも成都市の製薬工場の注文書を受け取って、栽培を始めたのです。

  市場の動向をにらんだうえで、先進技術を取り入れた米易の立体農業は、明るい未来が待っていることでしょう。(2001年3月号より)

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