麻薬三角地帯発
  ケシ畑を変える闘い
 

文・李要武 写真・戚静涛 釧相新 馬傑ほか

 
 

 「環境対策」「麻薬対策」「テロリズム対策」は、21世紀の三大課題だと言われている。これらの課題を解決するため、ケシの栽培地として名高いゴールデン・トライアングル(麻薬三角地帯)では、「ケシの代替作物の試験栽培」が進められている。なぜなら、ここで生産されるケシはヘロインやアヘンの原料となるため、全世界に約1億3000万人いるといわれる麻薬常用者――しかもその大部分は青少年――と直接関係があるだけでなく、私たち人類の未来にも大きな影響を与えるからだ。

 

 今回の特集で取材した二つのモデル地区の実態から、試験栽培の一端が見えてくる。

 ある日、本誌を知る雲南省公安庁禁毒局・董勝さんから、「『人民中国』誌上で、中国、ミャンマー、ラオスの三カ国がゴールデン・トライアングルで進めている『ケシの代替作物の試験栽培』を取り上げてはどうか」という提案を頂いた。この試験栽培の提唱者は国連麻薬委員会で、中国、日本、米国、ドイツ、オーストラリアなどが参加している。同活動の趣旨は、穀物やその他の経済価値が高い作物(工芸作物)を栽培し、エコロジー産業を徹底的に育成することによって、貧困をなくし、収入を増加させ、合わせてケシ栽培を徐々に減らし、最終的には代替作物を百パーセント栽培し、麻薬流通の根源を断ち切ることにある。

 編集部は、国際麻薬禁止デーである6月26日の前夜、私を雲南省の省都昆明に派遣した。まず情報提供者の董さんと会い、ゴールデン・トライアングルの取材を開始する予定だったが、彼はあいにく麻薬がらみの汚職事件の調査で昆明を離れていて、直接お会いすることはかなわなかった。彼が手配してくれた資料によると、中国とミャンマー、中国とラオスの国境沿いにある中国領内の7、8の県・市では、国境を越えた協力関係を作り、ケシの代替作物の試験栽培を進めているという。そこで私は、三つのモデル地区を見学する予定を立て、最終的には二つの地区を訪問した。雨期による通行止めで、ラオスにある試験栽培地区行きはあきらめざるを得なかった。

訪問地1

      雲南省騰冲県と
  ミャンマー・カチン第一特区


    ケシからエコロジー作物への栽培転換


雨の中、ミャンマー・カチン第
一特区で電線架設を行う中国の
技術者たち(写真・劉世昭)

中国国内にある雲徳香料公
司は、ミャンマーの試験栽
培地区で取れた作物を原料
に香料生産をしている

 最初の訪問地は、雲南省西部にあるミャンマー北部に接している騰冲県だった。ここでは1993年、国境を越えた提携でケシに代わるエコロジー作物の栽培を開始し、大きな成果を上げている。騰冲県政府所在地は、名の知れた歴史ある町で、漢・唐の時代には、西南シルクロードの交易地として栄え、南アジア、西アジアに通じる要所だった。近代以降は玉の産地として有名になり、個人経営の玉の加工作業場や商店が軒を連ねている。面積は6000平方キロ近くあり、県の大部分は山林に覆われている。人口は60万人程度で、中心産業は農業だ。ここ約20年は、順調な経済発展を遂げ、衣食に困る住民はいない。しかし現在でも雲南省の貧困県と位置付けられ、経済力が強い県と肩を並べるレベルにはない。騰冲県とミャンマー北部は、148キロに渡って境界を接していて、十数年前に両国政府が正式に国境貿易を認めて以来、往来は盛んで、それは代替作物の試験栽培を促進する原動力となった。  ここで簡単にゴールデン・トライアングルの変遷を紹介しておこう。

 ミャンマー、タイ、ラオスの三カ国の北部国境地帯は、逆三角形のような形になっている。面積は約20〜30万平方キロあり、山がちで森が多く、人口密度は低く、地理的に閉鎖的で遅れている。百年以上前から、周辺関係国の権力が及ばず、多種多様な社会勢力が割拠し、紛争がしばしばおこり、戦火は止むことがなかった地域だ。麻薬密売人はケシをこよなく愛し、麻薬で稼いだ暴利で武装軍隊を組織し、一方で武装軍隊は麻薬の生産と販売を保護するという悪循環が生まれていた。軍隊と麻薬密売人は相互に依存することで、「魔のゴールデン・トライアングル」を作り上げたのだ。

 しかし、20世紀もあと20年程度になったころ、国際社会と関連国家の政治環境に変化が起こった。「平和と発展」が時代の主流となり、麻薬撲滅の掛け声は日ごとに高くなった。このような社会的圧力で、長く続いてきたゴールデン・トライアングルの政治的システムは崩壊を始めた。「武装軍隊と麻薬密売人の相互依存」の関係に亀裂が入り、温床がなくなったことで、麻薬密売人は危機感を募らせるようになった。そして1986年、麻薬王と呼ばれたクン・サーが米国連邦大陪審に麻薬密売容疑で起訴された。これは同地の状況変化のシグナルであり、その後九六年には、クン・サーの武装勢力がミャンマー政府に投降した。

 こうした背景で、ケシの代替作物の試験栽培はスタートした。

 騰冲県と合作しているのは、ミャンマー北部のカチン第一特区だ。ここはミャンマー新民主義軍組織(NDA)の軍政指導下にある。第一特区の面積は、騰冲県より若干狭い約5000平方キロで、人口は騰冲県の15分の一である4万人、1平方キロ当たり八人という人口密度が低い地区だ。

    麻薬撲滅に光――第一次試験栽培の成功

 私は騰冲県に数日間滞在し、前後して、同県の董保華副県長、同県に打ち合わせに来ていた第一特区のザーノン副司令、それに試験に参与している中国側技術者らを訪問し、彼らから共同試験の具体的成果などを紹介してもらった。

 百年来、ゴールデン・トライアングルでは、ケシの栽培、麻薬製造・販売を除けば、その他の植物栽培や経済産業はほとんどなかった。穀物の自給にはほど遠く、他の経済的よりどころもなかった。この現実を重く見た騰冲県と第一特区は、ケシに代わる作物の試験栽培計画実行の際、特に重視する二つのポイントを決めたという。一つは衣食に困らない収入を得ること。もう一つは、麻薬産業に関わらなくとも生活水準を維持することだ。


ゴールデン・トライアン
グルのアヘン交易市場

アヘン撲滅に力を注ぐミャ
ンマー・カチン第一特区の
新民主軍副司令・ゼーノン
さん(写真・劉世昭)

 この計画に照らし、第一特区ではまず、中国の収穫高の多い交雑水稲、良質なトウモロコシ、ジャガイモ、野菜などを試験的に栽培した。騰冲県ではすでに栽培に成功していたため、気候、水、土などの自然条件にほとんど差がない第1特区でも、問題なく成功を収めるに違いなかった。交雑水稲を例にすると、案の定、第1特区でも初めての試験栽培で成功を収め、2年目には大規模栽培に切り替え、1ムー(約15分の一ヘクタール)当たり平均四百キロの収穫を実現、騰冲県と同水準の収穫高を上げた。これは、ミャンマーの伝統的水稲収穫高の3、4倍に相当し、しかも災害に強く、管理がしやすいという理由から、農民は「至宝」と見なすようになった。交雑水稲と同様に、その他の穀物も、初年度から試験栽培に成功し、2年目には大量生産を実現、安定生産を確保している。

 しかしミャンマーの農民は長くケシ栽培をしてきたため、穀物やその他の農作物の栽培には疎く、しばしば壁にぶつかった。ケシ栽培は、他の作物と比較するとほとんど手間がかからない。種まきから刈り入れまで、畑に出て管理する時間は短く、土地をならす必要も、肥料を施したり水をかけることもなく、除虫や除草のような作業も必要ない。そのためミャンマーの農民は、穀物栽培はコストや労働力がかかり、技術的にも難しく、作業があまりにも面倒だと感じているという。しかし中国の農民としては、失礼な言い方になるが、彼らは怠けすぎで我慢強さがない、と思えるらしい。

 このような状況を鑑みて、中国の技術者は各種作物の試験栽培過程で、必ず各レベルに応じた技術者育成講座を開いたが、それでも多くの場合、技術の伝授に支障をきたしたという。そのため最初の数年は、中国側が種子、技術、農機具、化学肥料、農薬などを提供しただけでなく、農作業に必要な熟練農民を派遣してミャンマー側が技術をつかむまで直接指導に当たらせた。

 このような過程を経て、1993年から5年間で、特区では穀物自給が実現しただけでなく、余剰分を中国側に市価で販売するまでになった。中国では決して穀物が不足していたわけではないが、ミャンマーの農民の収入増加、利益保護のために買い取りを続けたという。私が別の特区を訪問した際にも同様の話を耳にした。中には日本の援助で栽培したソバの一部を買い取っている例もあるという。
 雲南省の騰冲県農業局は、ミャ
 ンマーの代替作物の試験栽培を
 成功させるために、「騰農商号」
 を設立し、技術提供と物資的支
 援を行っている。写真は「騰農
 商号」がミャンマー農村に設け
 たサービス機関

 試験栽培計画では、穀物自給が実現し、衣食に困らない収入が得られるようになった段階で、双方は時を置かずに工芸作物の栽培とその他プロジェクトの試験を開始することになっていた。穀物生産の相対的生産効果と利益は低すぎるため、その他の事業で収入アップを図らない限り、農民は試験栽培の価値を疑い、ひどい場合には反対者も出てくる可能性があるからだ。

 相対的生産効果と利益については、ミャンマーの農民が私にあるデータを提供してくれた。それによると、従来は一ムーのケシ畑から約800〜1500元の収入があり、現在は最高品質の交雑水稲を利用した場合でも、一ムーの水田から約700〜1000元の収入があるだけだという。しかも、ケシ栽培ではコストや手間がほとんど掛からず、一方の水稲栽培では管理に手間が掛かり労働力と技術性に頼る比率が大きい。仮に市場利益の角度から論ずれば、ミャンマーの農民は今回の試験を受け入れられるはずはなく、試験栽培の初期の課題となっている。

 この現実問題を克服するため、穀物に続けて、サトウキビ、アブラナ、茶、ミカンなどの工芸作物の試験栽培にも成功した。また同時に、ヒツジ、ブタ、ウシなどの家庭畜産業も順調に育成が進んでいる。この他、第一特区の豊富な木材や玉も、数年来輸出量が多くなっている商品で、試験栽培の支柱である。その他、中国、ミャンマー双方の提携による道路や小型水力発電所の建設などを通して、農民収入の増加を図ると同時に、余剰労働力をうまく各事業に振り分けている。これらの共同の努力が功を奏し、国境での小口取引が日に日に増加し、市場は活気にあふれ、ミャンマー側も成果に満足している様子だ。

     農民の収入減少と予算不足の壁


麻薬撲滅のために協力し
てケシを取り除くミャン
マーの武装軍隊と庶民

ケシの取り除き活動に集ま
ったミャンマーの武装軍隊

 しかし1999年初めになり、試験栽培の速度は鈍り、中断される建設プロジェクトも出てきた。地方によっては再びケシの栽培に手を出すところも出始め、この傾向は2000年になっても好転しなかった。原因は複雑だが、根本的な問題は資金不足で、進行中のプロジェクトを棚上げせざるを得ず、新プロジェクトをスタートできず、債務の負担が重くのしかかるという状態に陥っている。


 第一特区の指導者は、底なしの苦しみを背負っている。麻薬禁止ができず、ケシに代わる作物の試験栽培が行えない場合、国際社会にもミャンマー政府にも顔向けできないからだ。麻薬禁止や試験プロジェクトの積極的推進には、各プロセスで資金が必要だが、特区には、以前のような高額のケシ税収入がなくなった。多くの農民も、暫定的ではあっても個人収入が減る苦しみを味わうことは避けられない現状もある。


 一方騰冲県でも、試験栽培は一進一退を繰り返しているが、試験栽培そのものが、経済と貿易の発展チャンスであることは間違いない。人力、物質力、財力、技術などをすべて換算すれば1000万元以上に相当する「部分的無償ミャンマー援助プロジェクト」以外にも、さらに多くの互恵の国境貿易で利益を上げることができるため、同県の態度は積極的だ。しかしいまだ貧困県のため、独自資金だけでは現状を打開できない。協力して試験栽培を続けている双方は、すでにそれぞれの上層管理機関と国際社会に現状を説明し、援助を求めているという。

     ミャンマーの農民の肉声を聞く


ミャンマーにある香料
植物の試験栽培基地


寒冷な山間地でケシ栽培をしていた人々は、中国の援助で幹線道路沿いに引っ越し、新たにサトウキビ栽培を開始した(写真・張輝民)

 ミャンマー訪問当日は、長雨が続いていて、私を含むスタッフをうんざりさせた。


 騰冲県から南西に約3時間で、中国の国境の検問所がある町・瑞テンに着いた。国境を越えてさらに約一時間進むと、ミャンマーに入って最初の町で、特区政府や各機関があるバンワに到着した。約500〜600メートルの一本道の中心にある人目を引く3階建ての白い建物は、特区財政部ビルである。現代建築と言えるのは、二階建ての衛生所、小学校、有線放送ステーション、衛星テレビ中継所くらいで、これらはすべて試験栽培開始後、騰冲県の援助で建てられたものだ。


 農村まで足を伸ばそうと思ったが、かなりの悪路で、しかも雨が降っていたため、町周辺を歩く程度しかできなかった。道を行き来する人は少なく、積荷を運ぶ大型トラックが時々通り過ぎるくらいだ。あちこちにはトウモロコシ、豆類らしきものがまばらに植えられているが、一番多いのは荒れた山地で、遠くには深い森も見える。ケシの成長期は10月〜翌2、3月のため、私が訪問した夏には妖艶なケシの花は見られなかった。


 チャンインコウという平地にある数軒の木造家屋は、ダイ族式の高床式で、下の階では家禽や家畜を飼い、上の階は寝室になっている。私たちは道端の一軒に立ち寄ってみたが、家の主人は留守で、ドアだけが開けられていた。大声で呼びかけてみたら、100メートルぐらい向こうの畑から声が聞こえた。そこでは、主人が3人の子供を連れてトウモロコシ畑で草取りをしているところだった。


 彼の名はグラショベン(ミャンマー族、45歳)。1993年に禁令が出る前はケシを栽培していて、約2ムーの畑から毎年3千〜4千元の収入を上げていたそうだ。穀物栽培に切り替えてからは、目の前に広がっていた荒地約一ヘクタールを開墾し、毎年約4千元の収入を確保しているという。また一番上の息子は、名声があり実益も大きい軍人のため、その補助金や手当ても生活費にしている。家族全体の1年の出費は2千元強で、残ったお金は農業用の経費にまわすほか、大部分を3人の子供の学費に当てている。


 グラショベンによると、彼の家は当地では中流に属する。穀物栽培とケシ栽培の違いを次のように聞かせてくれた。ケシの経済価値が穀物より高いのは紛れもない事実だ。しかし、一般のケシ栽培農家が永遠に貧しいことも事実であり、金儲けをしているのは麻薬密売人と商売人だけだ。商売人は、農民から安くケシを買い取り、一方で食塩や布類、生活用品などの工業製品を高値で売りつける。ケシ栽培農民は文化や教養がなく、金儲けの術を知らず、どうすることもできない状態だという。後日、ミャンマー東部の別の特区で会った農民も、同じような現状を聞かせてくれた。


 グラショベンの家を後にする時、偶然にも隣に住む明るくて健康的で服装も中国の若者と何ら変わらない青年と出会った。彼は私たちを自宅に招き入れ、家具、養魚池、たんぼ、それに中国の技術者が取り付けて照明用に使っている小型の水力発電機などを見せてくれた。大多数の農家では、今でも植物油のランプを使っているそうだ。彼の家は他の家庭と比べて裕福だが、それは父親が商売もしていて、彼自身も中国側との合作による木材伐採場で働いているためで、毎月数百元を稼いでいる。伐採業は、第一特区が代替作物の試験栽培を進める上での重要な財源にもなっている。


 バンワへの帰路、3、4人の電気工が雨を押して電線を架設しているのが見えた。地上の作業員と電柱に登っている作業員が大声で呼び合っていたのを聞いて、彼らも中国の技術者だとわかった。車を停めてちょっと質問してみたところ、中国水利電力工程局のミャンマー支援人員で、320キロワットの小型水力発電所の建設作業中だという。小型水力発電所が完成すれば、廉価なエネルギーを提供でき、また代替作物の試験栽培のインフラ施設となる。

訪問地2

  雲南省シーサンパンナ・景洪市と
  ミャンマー・シャン東部第四特区

        伝統的結びつきが原動力

 騰冲県での取材を終え、飛行機で慌しく第二目的地・雲南省南部のシーサンパンナ・景洪市に向かった。ここはミャンマーのケシに代わる作物の試験栽培基地であるシャン東部第四特区と隣接している。第四特区では、第一特区以上に目を見張る成果を上げていた。

ケシ栽培に適した山間地から
平地に引っ越し、農業を営ん
でいるミャンマーの農民家族

 朝、景洪市を出発し、西南へ約四時間走り、中国側の国境の小村・打洛に着くと、国境の向こうに陽の光が反射して光り輝く寺院の尖った屋根が見えた。ここは騰冲県とは異なり、通関を待つ車両の列が長く続いていた。ほとんどが景洪市からの大小様々な観光バスで、中国人旅行者が多い。誰もがとにかく「国境の向こうを観光」して、「外国へ行ったことがある」と自慢したい人たちばかりなのだ。中国庶民の懐が豊かになり、国内外を飛び回る人たちは確実に増えた。当地の警察官である蕭さんは、「この小さな検問所から昨年だけで140万人の観光客と10万台の車両が出入りした」と教えてくれた。実は、ここから上がる収入も、エコロジー産業の発展を支える資金となるから、輝かしい前途を見ているような気持ちになった。

 さて、通関して一時間程度走ると、ミャンマー国境の最初の町で、第四特区政府所在地であるシャオモンラに着いた。シャオモンラは、第一特区で見たバンワとは異なり、「小香港」と呼ばれるにぎやかな町だ。街道はきれいに整備され、交通量が多く、商店が林立し、流行ファッションがあふれ、新鮮な果物が手に入り、とにかく、必要なものは何でも揃うところだ。旅行者たちは、「ミャンマー玉」やその他の工芸美術品の売り子を囲んで値切っていた。運転手の話によると、ここには賭博場や歓楽街もあり、夜になると、ライトアップされ、低いメロディーが流れる別の顔を見せるという。

 第四特区の面積は、第一特区とほぼ同じで約五千平方キロ、人口は第一特区より3万人も多い七万人。シャン族(中国ではダイ族と呼ぶ)、プーラン族、アイニ族、ミャンマー族、ワー族など13の民族からなり、中国側の国境にあるロツ海県や景洪市の人たちと同じく、これらの民族はほとんどが国境に縛られずに生活している。また彼らは国が違っても、同じ民族の絆と、昔から持ちつ持たれつ過ごしてきた伝統的結びつきがあるため、とても友好的で、宗教文化や生活習慣、道徳倫理で共通するところが多い。例えば中国側が、ミャンマー側の住民と同民族の幹部を派遣すれば、事務手続きがスムーズに進み、同地の人々にも喜ばれ、試験栽培の原動力になる。

        麻薬吸飲撲滅が第一課題

 第四特区の政府機関オフィスビルにある会議室で、特区の幹部であり地方管理委員会第一秘書長のカンマオさん(40歳前後、ミャンマー族)が、特区政府の麻薬禁止と試験栽培の現状を紹介してくれた。

 第四特区は、他の地区と同じようにケシ栽培地区であるだけでなく、麻薬の加工、製造、売買、吸飲量が最も多い地域の一つだった。アヘンは最高で年産1万キロに達し、人口の五%は麻薬使用経験があったほどだ。しかし1989年、歴史が動き出した。第四特区成立後に、麻薬禁止と平和発展を目指すようになったからだ。1991年には、ミャンマー政府の支持と雲南省シーサンパンナの援助で、2回にわたりケシを根こそぎにし、麻薬製造工場を閉鎖させ、約1・5億米ドル相当の麻薬を焼却処分した。この時から、麻薬問題との本当の戦いが始まった。


ミャンマーのミッチーナで、
交雑水稲のモデル地区を視察
し交流を深める中国、ミャン
マーの地方役人たち
 1992年から96年まで、特区は独自に定めた「六カ年麻薬禁止計画」に基づき、全面的にケシの栽培や麻薬の製造、販売、吸飲を禁止し、関連法も制定して取り締まりを強化した。1997年に国際麻薬禁止監督員が視察した際には、ケシの栽培例は基本的になくなり、麻薬常用者は6年前の2000余人から200人程度まで減少していた。

 第四特区は、麻薬禁止と同時に、ケシに代わる作物の試験栽培に力を注ぎ、多方面から経済発展を模索し、収入を増やし、政局の安定を保証しようとした。その結果、1992年の時点で年に一人当たり100キロにも満たなかった食糧が、97年には大幅に増加し、中心地から遠く離れた山間地区の一部の人々以外は、衣食に困る人はいなくなった。第四特区は、食糧の問題を解決した後、隣の中国・モウ海県と共同でシュクシャミツの種(漢方薬)、落花生、大豆、スイカ、茶、ゴム、サトウキビの栽培に成功し、さらにサトウキビの一日あたりの圧搾量が750トン規模の製糖工場を建設し、同地区に先進工場がなかった歴史にピリオドを打った。

 また、国連、ミャンマー政府の支持と援助を受けて、30以上の小中学校と8の病院が建てられ、文教衛生と体育事業の基礎が出来上がった。さらに数百キロに及ぶ道路を新設ないしは修復し、従来はなかった小型発電所を建設し、テレビ放送衛星地上ステーションや通信ラインなどを設けた。古くからあった竹やカヤで作られた家屋は近代的な建物に、植物油のランプは電灯に生まれ変わった。現代的な商業やサービス業が村や町に進出しつつあり、いままで「秘境」として外部の人が足を踏み入れなかった町に、毎年世界各地から数十万の旅行者が押し寄せるようになった。

 この歴史的な変化の中で、中国、ミャンマー、国連の支援のほかに、日本、オーストラリア等の国や地域からも多種多様な援助を獲得している。筆者の調べでは、日本からはソバの栽培援助のほかに、化学肥料、農機具、書籍、技術などの支援があり、地元の人たちの日本に対する印象は良好だ。

     厳罰主義による麻薬取り締まりの徹底

 第四特区の軍事政治委員会事務室主任である袁培植さん(50歳程度、漢族)は、麻薬原産地で禁令を下す決心について、流暢な中国語で次のように答えてくれた。「1989年の平和建設の決定は、世界の麻薬禁止の流れに沿ったものだった。麻薬があれば平和はあり得ない。麻薬は戦乱と同じだ。ゴールデン・トライアングルでのケシ栽培を止めなければ、麻薬や犯罪に恐れをなして、私たちと共同で経済や貿易の発展を目指すパートナーは見つけられないだろう。禁止しなければ私たちが生きる道はない」。私は続けて、「麻薬禁止の方針に違反した官僚3名は、すでに極刑に処されたそうですね」と質問したところ、「そうです。第四特区の『麻薬禁止法』には、『4号ヘロイン2100グラムまたはそれ以上の量を販売すれば、死刑に処す』との規定がある。しかも幹部は特にきびしく処罰する。そうしなければ庶民は納得せず、麻薬から上がる暴利の誘惑も食い止めることはできない。厳罰でこそ、国際信用が得られる成果を上げられる」と述べてくれた。


いまでは青々とした茶
園が広がるが、以前は
ケシ栽培地区だった

2001年4月9日、保山地区の
警察官が、トラックの予備
タイヤから1万1220グラムの
ヘロインを見つけ押収した

 1991年の麻薬禁止以来、12年近くが過ぎたが、一度も暴力に訴えることなく、団結、安定、発展の新局面に入っている。また、ミャンマー政府や周辺国家との関係も良好で、これこそが麻薬禁止の成果だと言える。当時も今も、キーポイントはこのような麻薬禁止政策を庶民が受け入れられるかどうかだという。「ケシ栽培の歴史は百年にもなるが、大多数の栽培農家は相変わらず貧乏で、新しい試みに一定の理解は示してくれる。しかし庶民は現実主義者で、食事をしたり一家の生活を支えなければならない。そのため、麻薬禁止と同時に生活に配慮した政策が必要で、多くの人たちに『ケシ栽培禁止でさらに貧しくなった』と思われない努力が欠かせない。また、オヒ小平氏がよく口にした『両手で掴む』、つまり麻薬の根を絶つと同時に、ケシの代替作物の試験栽培を進め、農民の収入を増やし、生活水準を向上させなければならない。この舵取りが難しいところだ」。

 余談として付け足すと、取材中袁主任とカンマオ秘書長は、国連麻薬委員会、ミャンマー政府、中国雲南省科学技術協会、雲南省ロツ海県、景洪市など、国際社会の第四特区に対する数え切れない支援に対して何度も何度も感謝の意を表していた。


中国の法律により、麻薬密
売人は厳しく処罰される


ヘロインなどの麻薬の焼却
処分は、麻薬密輸を取り締
まる有効な手段の一つだ

      エコロジー化を進めた技術者の夢

 第四特区から景洪市に戻る途中、試験栽培に参与し、大きな成果を上げた高級農芸師の曹洪祥さん(50歳)を訪ねた。現在、ロツ海県の農業局長を務めている彼は、試験栽培を振り返って、次のように話してくれた。


 1990年、私は、ミャンマー側の招きに応じた雲南省科学技術協会から依頼を受け、ミャンマーで稲の試験栽培を開始した。当時はまだ、「ケシの代替作物の栽培」という概念はなく、単にミャンマー側に稲の栽培技術を教えるという意味合いしかなかった。曹さんはこのミャンマーでの試験栽培を「エコロジー・プロジェクト」と呼んでいた。ただこの試験栽培自体は、まず中国側のロツ海県で成功していたため、ミャンマーへ押し広めるに過ぎず成功は保証されていたという。曹さんら中国の技術者が第四特区以外のミャンマー東部で行ったエコロジー・プロジェクト、すなわち代替作物の試験栽培は、大成功を収めていて、もし1990年から数えれば、すでに12年目ということになる。そしてミャンマー政府は中国の技術をミャンマー全土に押し広めた。1998年、国連麻薬委員会のアラチー主席は、曹さんらが第四特区で進めた試験栽培を視察し、「これほどの成果が上がっていたとは思わなかった」と感嘆し、「ここでの成果を国連で報告し、さらに宣伝に力を入れ、世界中の麻薬原産地にこの経験を学ばせたい」と語ったという。


 さて、曹さんらの成果と苦労の紹介はこの辺にし、彼が話してくれた代替作物栽培が抱える問題点について紹介したい。国際社会から見て、代替作物の試験栽培をどのように評価すべきかと尋ねたところ、「とても偉大、本当に偉大な発想であり、偉大な取り組みだ」と何度も繰り返し、麻薬の根源撲滅のために避けて通れない実践であると語ってくれた。続けて、いままで行ってきた仕事をどのように評価しているかと尋ねると、「エコロジー・プロジェクトを通してゴールデン・トライアングルを浄化するという私の長年の夢は、ようやく希望の光が見えてきた。あなたがご覧になったように、一部地区ではすでに成功を収めている。本当にすばらしいことだ」と述べてくれた。曹さんの推測では、10年を超える試験栽培の結果、ゴールデン・トライアングルでは、少なくとも千トンのアヘンと100トン以上のヘロインの根絶に成功した。これは驚くべき成果だ。


 私が「特区最大の悩みは資金問題ですね」と話を向けたところ、曹さんは手を横に振って、「いやいや、表面的には資金の問題だが、実際には認識の問題だ」と私の言葉をさえぎった。「麻薬禁止の重要性や緊迫性を語る時、政府の指導者や国連麻薬委員会の役人は、誰もが慈悲の心を持って発言するが、実際の行動となるとどうか。世界の1億3000万人の麻薬吸飲者を思って食事がのどを通らなくなったり眠れなくなったりする人はどのくらいいるだろうか。彼らがもし、ここで試験栽培に携わる私たちのように、言葉ではなく行動で麻薬禁止を実現する必要性に気付けば、『資金問題』は消滅するはずだ」。さらに「アメリカは、毎年190億米ドルを投入してコロンビアで代替作物の試験栽培を行っているが、何の成果も上がっていないようでとても不思議だ。もし国際組織や慈善団体が、毎年私たちにその十分の一の資金をくれれば、十年間でゴールデン・トライアングルを浄化できる。そして将来、エコロジー・ゴールデン・トライアングルには投資者の名を刻んだ『功労者の碑』を建ててみたい」と語ってくれた。曹さんのような社会に対する責任感を強く持った個性ある知識人が、新しいゴールデン・トライアングル作りには欠かせない。

データ (参考:2001年6月21日付『南方週末』新聞)

中国雲南省による国外での「ケシの代替作物の試験栽培」実施面積

ラオス     4948.3ヘクタール 
ミャンマー   2万4751.0ヘクタール

栽培作物の作付面積の分類

13ゴム    7587.0ヘクタール、22.3%
ジャガイモ   353.3ヘクタール、1.04%
サトウキビ   4682.5ヘクタール、13.8%
トウモロコシ  351.0ヘクタール、1.03%
稲       5495.0ヘクタール、16.2%
豆類      767.0ヘクタール、2.26%
クルミ     333.3ヘクタール、0.9%
アブラナ    133.3ヘクタール、0.3%
梅       2000.0ヘクタール、5.89%
白ボカ     1333.3ヘクタール、3.9%
茶       433.3ヘクタール、1.2%
経済林木    9696.3ヘクタール、28.6%
シュクシャミツの種 747.0ヘクタール、2.2%

(2001年11月号より)