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一木一草に心を込めて |
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特集(1) 雲南の自然林保護はどう進められたか 黄秀芳 1998年6月12日から8月20日まで、中国の長江、松花江、嫩江で、大洪水が発生した。これによる被害は1666億元の巨額なものだった。洪水がおさまった後、国務院は、長江上流の自然林の伐採を禁止する命令を発し、さらに「自然林(天然林)保護プロジェクト」(略称「天保プロジェクト」)を発動した。 禁止令から新プロジェクトの発動へ。これはまるで、高速で走っていた車が突然ブレーキをかけ、すぐさまUターンしたようなものだった。長江上流域では、これまで樹木を切って来た人が、樹木を植え、樹木を守る人に変わったのである。 この急旋回によって、中国の森林資源と生態は効果的に保存され、中国第一の長江の水源は維持されるであろう。しかし、森林を生活の糧としてきた人々は、はたしてどうなるのだろうか。 犠牲もやむなし 雲南省は、高原と山地ばかりの省である。全省の94%が山地で、その63・7%が林業用地である。山また山、水は豊かで、森林資源はきわめて豊富だ。 1960年代から、国家建設のため、林業部と雲南省林業庁は次々に、森林の伐採、木材加工、輸送を行う林業工業企業を設立した。70年代末期までに、地方の林業工業や木材加工企業は次第に興り、多くの市や県では、林業がその地の基幹産業にまで発展した。このため「木材財政」と冗談まじりに呼ばれたものだ。
観光地として有名な麗江地区を例にとれば、30年間に林業は、体系的に発展した。商品として販売される木材は年産40万立方メートル、製材された木材や合板などの人造板、紙パルプなど20種以上の製品を生産することができるようになった。1997年、麗江地区全体の林業の生産額は6億元に達し、この地区の国内総生産(GDP)の4分の1を占めた。 当然のことながら、森林が伐採された後、生態環境は悪化した。麗江の古城から1キロ離れた黒竜潭は、付近の植生が激減したため、これまでなら30年か50年に一度しか干からびなかった淵が、3年から5年で干からびるようになってしまった。
だが、1998年8月25日。この日を境に、すべてが大きく変わった。雲南省林業庁は、金沙江流域とシーサンパンナなど51の県に対し、ただちに自然林の伐採をやめるよう命じた。その結果、「木材財政」は消滅した。雲南省の林業関係だけで2億6000万元の収入が減った。林業区の農民は、7億2000万元の減収となった。 林業によって支えられてきた県や市は、あたかも「国土の半分を失った」のと同じであった。省都の昆明からはるか離れた楚雄イ族自治州の双柏県は、98年には木材の収入だけで5600万元あったのが、2000年には、県の財政収入全体でも3201万元になってしまった。しかも財政支出は6000万元前後もあった。これは、双柏県のような貧困県にとって、また少数民族が多く、経済的に立ち遅れている雲南省にとって、泣きっ面に蜂だった。 伐採禁止令を発すると同時に雲南省政府は、この年の国家が指令した商品木材生産計画のうち、いまだに実施されていない220万立方メートルの生産を直ちに中止した。そして、伐採許可証の発行を停止し、一切の伐採器具を封印し、全面的に木材の流通ポイントや木材加工企業を整理し、伐採禁止区内にある交易市場を閉鎖するなどした。 しかし、こうした一連の措置は、また難しい問題をもたらす結果となった。それは、5万人以上もいる林業工業の職員や労働者をどうするか、引き続き雇用するのか解雇するのか、再就職はどうするのか、老後の養老年金などはどこからくるのか、といった問題である。さらに、林業企業は銀行に9億4800万元の負債があり、これをどう清算するか、森林の防火や病害虫駆除のための資金はどこからくるのか、という問題もある。 今回の取材で、上から下までさまざまな責任者に会ったが、ほとんど皆がこの問題に頭を抱えていた。しかし、雲南省林業庁の李という副庁長の言葉は、重い響きをもっていた。それは「人類生存の物質的基礎を守るため、犠牲は避けられないのだ」というものだった。
伐採禁止令は、林業に従事する人々にどう受けとられたか。1968年に、19歳で林業労働者となり、現在は双柏県 嘉林場の場長をしている者さんは、この30年間、樹を切り、車に積み込み、道路を補修し、また樹を植える、という仕事をずっと続けてきた。国家がやれということをやるだけで、それ以上いろいろ考えることはなかった。 だが、95年に国家が下した生産計画は1万立方メートルで、その翌年は8000立方メートル、その次の年は4000立方メートルとなっていた。そのとき者さんは考えた。自然林の伐採はやはり続けられるのだから、樹木は切れば切るほど少なくなっていく。そうなれば森林は発展するチャンスがない。将来、林業労働者はどうやって生きていくのかと。 麗江県で、同じように30数年勤めてきた林業局の李副局長の答えは簡単明瞭だった。 「伐採禁止にもろ手を上げて賛成する。伐採を禁じ、『天保プロジェクト』を実施することは、第1に、国家百年の大計に着眼したことであり、第2に、林業労働者が飯を食えるようにすることなのだ」 確かに、森林がなくなれば、人も同じ運命に陥る。大多数の人々はこの道理を理解し、大局を見ている。 人民の血と汗の結晶 伐採禁止令が出されてまもなく、10月1日に雲南省の「天保プロジェクト」の試験的作業が始まった。さまざまな問題は未解決のままに、新たな任務が命じられたのである。この「天保プロジェクト」の対象は、雲南省の66の県と17の国有の主要な森林工業企業の所在地で、総面積は3億4857万ムー、全省の総面積の61%を占めている。 「天保プロジェクト」は主として以下の内容を含んでいる。
自然林の伐採を禁止し、森林資源を保護・管理し、「公益林」を建設する。このために国家は、2000〜2001年に、雲南省に対し、投資総額の80%にあたる75億元を給付する。残りの20%は、省や市など各級の政府が負担する。 財源は、国債を発行してまかなう。「この金はみな、人民の血と汗の結晶である」と朱鎔基総理は述べた。だから、一銭たりとも無駄に使ってはならない。「天保プロジェクト」の資金は、専用の銀行口座を開設し、指定された項目のみにその金が使われるようにした。さらに毎年、定期的に、国家から各級の機関にいたるまで会計検査を行い、金が実際に事業や賃金などに正しく使われたかどうかを審査することになっている。
この金は、国家が定めた額に応じて計算し、支給される。保護・管理する面積は一人あたり380平方キロ(5700ムー)で、年間経費は1万元だ。物価の安い農山村では、一人あたり1万元あれば豊かに暮らせる。しかし、統計に誤差があったため、2000〜2001年に、雲南省が実際に保護・管理する必要がある森林の面積は、国家計画の2億1200万ムーより3200万ムー以上も多かった。楚雄イ族自治州だけでも、800万ムー多かった。だが、多かったからといって、保護・管理しないわけにはいかない。値引き交渉の余地はないのである。
そうなれば、その不足分をどう解決するかが問題だ。財政状態が厳しい地方、例えば双柏県では、一人あたりの年間経費の1万元が5000元になってしまった。ここから社会保険を引き去ったあと、実際に保護・管理の仕事に従事する人の手に渡るのは、毎月400元に過ぎなかった。これは楚雄イ族自治州の最低生活保障費である160元を少し上回るに過ぎない額である。 楚雄イ族自治州から双柏県までは200キロほどしか離れていないが、幅5メートル足らずの石ころだらけの悪路で、山道の走行に適している三菱のジープでも七時間以上かかった。ジープは激しく揺れ、ぬかるみにはまり、砂塵をもうもうと巻き上げて進んだ。道路の海抜は、600メートルの所もあり、2000メートル以上の所もある。これでも国道である。双柏県の八カ所の林場に近づくと、山並みは果てしなく続き、人跡まれで、道はさらに険しくなった。林場の労働者たちは何年も、こんな寂しい山の中で仕事をしているのだ。 53歳になる白河会さんは、 嘉林場の管理事務所にもっとも近い、保護・管理地点の一つに転勤になった。彼は2000年に、双柏県の県城からやってきた。この林場では、白さんのように、よその土地から来た人が半数近くいる。 保護・管理の仕事は、林場の中で統一的におこなわれ、班ごとに仕事を請け負い、さらにそれを個人が分割して請け負う。白さんの班は八人で構成され、毎朝八時、食事を終えて、弁当を携え、酒を少々肩からかけて一斉に出発する。そして山を巡回したあと、午後5時に帰ってくる。 山の仕事で要求されるもの、それは「四無」である。「火災」「乱伐」「開墾」「乱獲」が「無い」ようにすることだ。毎月、何回も検査が実施され、任務が完全に達成されてはじめて経費が支払われる。 これ以外にも林場には、植樹のノルマがある。さらに、毎月二日間の道路修理の任務もある。12月20日から翌年の5月30日までの期間は、森林の防火に仕事の重点が置かれる。この期間は、みなが順番にとる週に一度の休日さえ取り消される。 山での生活は寂しく、苦しい。住まいは、1975年に建てられた平屋の簡易住宅で、一人一人の部屋は約8平方メートルしかない。そこに小さな食卓と腰かけ、ベッド、日用品が少々あるだけで、ほかには何もない。林場の管理事務所に近ければ電気が来ているが、遠くにある保護・管理地点には電気はない。水は山の泉から汲み、食糧は林場の管理事務所で買う。副食品はすべて自分で調達する。豚を一頭、鶏を数羽を飼い、野菜を植え、キノコを拾う。食事は自炊。彼らがもっともリラックスするのは、山を見回ったあと、好きな水ギセルに火をつけて一服するときだ。
白さんはイ族で、林業労働者になって33年になる。一家5人のうち、3人が林業の仕事をしてきた。妻はすでに定年退職し、長男は別の林場で運転手をしている。2人の子供は失業状態で、家にいる。 「毎日、山での一人暮らしは寂しくないですか」とたずねると彼は、「仕方がないよ」と言った。さらに「いま一番心配なことは」と聞くと、彼の答えはこうだった。 「家にいる子供に飯を食わせなければならないので、生活は確かに苦しい。でも、他に方法はないのです。ただ、一生懸命仕事をしてこそ、3、4百元の金がもらえるのですよ」 真っ黒に日焼けした白さんは、森林の保護・管理人の本当の気持ちを誠実に語ってくれた。別れ際に彼が言った一言には、ぐっとくるものがあった。それは「ありがとう。みなさんが私たち森林の保護・管理人に心を寄せてくれて」という言葉だった。 30株の苗木を背負って いまある森林資源の保護のほかに、新たに造林することも「天保プロジェクト」のもう一つの重要な内容である。その目的は、伐採を禁止して造林する、飛行機から種を播いたり、人の手で植林したりするなどの方法で、森林面積を拡大しようというものだ。 2000年から2001年の間に、雲南省は「公益林」を2677万ムー造らなければならない。これによって森林面積は6・1%伸び、木材の蓄積量は7・2%増える。このため各林場は、営林の仕事のほかに育苗基地の役目を果たさなければならない。これが営林の成功を保障する基礎となる。 麗江県の白河保護・管理区にある「東山中心苗圃」は、現地の人々が神の山と崇める玉竜雪山の麓にある。ここで働く労働者は、現地の人のほかは東北人だ。彼らの父親たちが60年代、数千里も離れた中国・東北から南の僻地にやってきた森林伐採の労働者だった。そして、親の世代がほとんど樹を切ってしまったいま、その子供たちが「負債」を返しに来たのである。 親の老後をみるためにも樹を育てなければならない。「仕方がないことです。私たちはみな、林業で飯を食い、大きくなったのですから」と、若い世代はほとんど恨み言を言わない。 1998年、麗江県林業局全員が「天保プロジェクト」に動員され、「公益林」建設の任務達成のため、99年にこの苗圃を造った。親も林業に従事した二代目のコツ永躍・麗江県林業局副局長は、他の県の林業局副局長たちとともに、この仕事の現地指導に当たった。このようにして新たに建設されたり拡張されたりした苗圃は、雲南省全省に63カ所ある。
国家が214万元の資金を投じて建設された59ムーの苗圃の中で、もっとも注目されるのは、面積5088平方メートルの大きなビニールハウスである。その中で、トウヒやモミ、高山松、ニセアカシアの苗木が育てられている。これらはいずれも、国家の造林計画に基づくこの地方に適した樹種で、全部で200万株ある。 5月から7月にかけて、雲南省は雨期に入り、造林の季節を迎える。苗圃の労働者は忙しくなる。60万株のトウヒやモミの苗木を、2台のトラックで山の上まで運び上げるのに、なんとまる40日間もかかる。 苗は海抜3300メートルから3500メートルの場所に植えなければならない。ここは潅木の林で、車では行かれない。人の背に頼るほかはないのだ。苗圃で働く34人全員が、日夜、超過勤務してもなお終わらず、現地の農民を雇って助けてもらう。 一株の苗の重さは約650グラムあり、力の強い人でも一度に30株しか担げない。植えられるのは、平均して一日に百株だ。植えた苗が活着するかどうかはわからない。2000年には、山津波や雹に見舞われ、苗の活着率は低かった。しかし、造林面積は必ず達成しなければならない。そこで翌年、任務はさらに追加された。 資金はいつも、予定通りには届かない。仕事の環境は厳しく、大自然はコントロールすることができない。こうしたさまざまな困難があっても、任務や仕事量を減らすような交渉はできない。ただ懸命に、超過達成するようがんばるだけだ。
「苗があってこそ林ができる」。そのことを労働者はみなわかっている。2002年から苗圃は請負経営になり、利益も損失も、請け負った人が引き受けることになる。カクさんは言う。「そうなれば、林業局の植林の任務をやり遂げたうえで、さらに花卉や緑化の仕事をしたり、珍しい希少な樹を植えたりして、だんだんに国家の投資を回収していきたい」 伐採から造林へ。経済性のみの追求から、生態や社会の利益に注意を払わなければならなくなった。林業に従事する人々がこうした転換に、わずか数年間で適応することは非常に難しい。それは外部からではなかなかわからないだろう。 もっと難しい問題は、森林を伐採しなくなったために減少した「木材財政」の下で、はたして「天保プロジェクト」が長期にわたって効果的に続けることができるかどうかだ。今後、林業はどのように発展していくのか。雲南省林業局の李副局長はこう言うのである。 「一方で社会の理解が必要だ。社会の各業種がみな生態を保護するように呼びかけている。上流地域で生態保護のため大きな犠牲を払っているのだから、下流の受益地域もしかるべき貢献をしなければならない。もう一方で、われわれはまさに二本足で歩く路線を模索している。すなわち、生態の保護と産業の発展を結びつける路線である。葉、花、果実などの生物資源の開発、キノコ、菌類、薬材などの森の中で育つ資源の産業開発、生態環境を楽しむ観光事業などを発展させたい。どんな苦労があっても、国家の大切な金を使うからには、絶対にうまくやらなければならないのだ」 【背景】 そして自然林の資源保護プロジェクトを実施した。これは、中国の歴史上、最大の資金が投じられる林業生態保護プロジェクトで、2001年から10年間、962億人民元を投資して、自然林を保護しようというものだ。初年度の2001年10月までに、222億元がすでに支出された。 現在、中国の自然林面積は13億1000万ムーで、森林面積全体の65%を占めている。目下、自然林保護プロジェクトは、主として以下の範囲で進行中である。 1、 東北、内蒙古、新疆、海南などの主要国有林の、緊急に保護しなければならない自然林。その面積は3億9000万ムー。 2、 長江上流域、黄河中、上流域に集中的に、または連続的に分布している自然林4億6000万ムー。 3、 それ以外の地域で、これまで保護の対象となっていなかった自然林。 自然林の資源保護プロジェクトの範囲は、四川、雲南、重慶、貴州、湖北、チベット、青海、寧夏、甘粛、湖南、陜西、山西、河南、吉林、黒竜江、新疆、海南の17の省、自治区、直轄市に及んでいる。
21世紀の最初の年に、中国北部の内蒙古草原では、大被害を出した雪害が発生し、百年に一度という大干魃が起こった。これは中国の生態環境に対して、大自然が打ち鳴らした警鐘である。 日ましに悪化する生態環境に国務院は、「美しい祖国の山河建設」を目標とした戦略的な六大プロジェクトの実施を決めた。その一つは、「生態系建設に関心を寄せ、砂漠化した土地の改良に対する人々の参加意識を高める」ことである。 この趣旨に沿って昨年夏、「森や林を大切に――百万ムーの砂漠を緑のオアシスに変えるキャンペーン」が正式に始まった。そして吉林省の百万ムー(1ムーは約0・067ヘクタール)の砂漠化した土地が、そのテスト地点に選ばれた。はたして砂漠化を止め、生態系を回復することができるのだろうか。吉林省の現地に、その実情を見た。 「生態草」に出資者を募る 吉林省は、比較的、生態環境が良好で、資源が豊富な省の一つである。しかし、自然災害と、過度の放牧などの人為的な原因によって、西部地区の200万ヘクタールに及ぶ草原では、「アルカリ化、砂漠化、草原の退化」という重大な「三化」現象が出現した。生態系の機能が次第に弱まり、砂漠化した土地が拡大を続け、すでに70万ヘクタールに達している。しかも、砂漠化した土地は毎年、1・4%ずつ増え続けている。 これは、吉林省中西部の農民の食糧生産と生活の直接的な脅威となっているばかりでなく、東北地方全体の生態環境の保全にも影響を与えている。
草原の管理は伝統的に、牛や羊の放牧と畜産の発展を司る牧畜業関係部門が行ってきた。このため、草原は、「保護」より「利用」に重点が置かれて来た。そのうえ、法律や法的機構の整備が不完全であった。草原の保護は明らかに、「心はやれども力及ばず」といった状況だった。 そこで吉林省の洪虎省長は、「生態草」をふやし、草の生えた地帯を建設する仕事を林業部門に担当させる、という大胆な構想を提起した。「生態草」とは、「牧草」に対応する概念で、生態環境を保全し、改善するための草を意味している。これを林業部門が担当するというのは、中国国内では前例のないことで、従来の思考方法や観念を大きく転換したと言ってよい。林業庁の劉延春庁長はこう説明する。 「林業部門は、生態系の保護と発展をはかることを主とし、生態系と社会の双方の利益を重視する部門です。吉林省中西部のすべての県には十数カ所の林場があり、機構はかなり整備されています。公安、検察、裁判所と森林警察部隊などの法的な制度と機構が機能し、森林の保護の裏付けとなっています。林業部門は長年、砂を防ぎ、砂を治め、砂漠化した土地を改良する面で豊富な経験を蓄積してきており、このための先進的な技術体系を有しています」 「生態草」について劉庁長は熱弁をふるった。 「いわゆる『生態草』の建設には、まず草地の『三化』を食い止めて、生態環境の改善を目標にしなければなりません。西部の生態系が脆弱な地区にある、植生率が60%以下の草地に対しては、放牧させず、草を植え、種をまき、土地を改良するなどの方法で管理します。また、高い樹木、低い樹木、草を組み合わせて、生態環境の比較的整った植生の生態系をつくりあげるのです」 「生態草」の主管官庁を林業庁に移したことは、農民たちが多くの土地の使用権を失うことを意味している。土地を命の綱とする農民たちが、果たしてこれに同意するだろうか。こうした疑問に対し、劉庁長の説明は、情理にかなったものだった。 「林業庁が管理しているのは、主として植生率が60%以下の土地か、完全に不毛の土地で、農民にとってもまったく利用価値がない。そればかりか、ひとたび大風が吹けば、アルカリ性の土ぼこりが巻き上げられて、人の顔に痛いほど当たるので、農民たちもこれをなんとかしてほしいと願っているのです」 劉庁長はかつて長嶺県を視察した際、農民たちに対し「この事業によって手に入れられるのは『緑』だけです。なんの経済的な見返りもありません。土地も農民のものではなくなるのです」と、「現実」を説明した。これに対し、地元のある村長はこう言ったのだった。 「毎日毎日、アルカリ性の土ぼこりが巻きあがり、昔は数十戸が羊を飼っていたのに、今は5、6戸になってしまった。10年前にはここら辺りでハマカンゾウが採れたのですよ。土ぼこりが巻き起こらなくなれば、いまある良い土地もそのまま保つことができるのです」 だから「みんなが土地の整備改良を待ち望んでいるのです」と劉庁長は言うのである。
今回、吉林省では、「生態草」建設に、政府と企業、個人が協力しあう方法が採用された。無償の寄付もできるし、土地の改良に出資して、経済的利益を得ることもできる。例えば、5000元を出資すれば、1ヘクタールの土地を改良する権利が与えられる。このうち、2500元で草を植え、500元はこの土地の囲いを作る費用に使われ、残りの2000元は30年間の管理費に当てられる。 出資した人は、自分でこの土地を経営しても良いし、「草産業」の公司に経営をまかせても良い。自分で経営する場合は、その収益は個人のものになり、公司に委託した場合は、毎年、出資額の5%を下回らない配当を得ることができる。 劉庁長によれば、吉林省はすでに「三化」してしまった土地400万ムーを整備改良し、このうち100万ムーに対して一般からの出資者を募っている。この100万ムーは主として西部の13の県、市、区にあり、期間を分けて逐次実施される。第一期は、双遼、長嶺、前ゴルロス蒙古族自治県の三つの重点県と市で、それぞれ10万ムーが対象とされ、目下、出資者を募集中である。 高まる人々の「緑」への関心 2001年8月、「森や林を大切に――」のキャンペーンがスタートして間もなく、それを祝って中国の有名な画家12人が、28点の貴重な書画を寄贈した。中国国内の多くのメディアがこのニュースを報道したため、人々の視線が東北の大地に引き寄せられた。
吉林省林業庁はたちまち忙しくなった。全国各地から来たお客さんを接待したり、テスト地点に選ばれた県に、出資者を見学や視察に連れて行ったり……。出資者用のホットラインは終日、鳴りっぱなしとなった。担当者は休日もなくなった。9月23日、吉林省衛星テレビで「生態草建設」の特別報道番組が放送されると、翌日、十数人が、砂漠化した土地の整備基金会にやって来た。 かつて吉林省で兵役に就き、除隊後、吉林省に住みついた河北省出身の老兵、渾連順さんは、砂漠化防止のニュースを聞くと、家族の反対を押し切って、千元足らずの月給の中から200元を基金会に寄付した。「吉林省は私の第二の故郷。寄付のお返しは何もいらないが、ただ、長春が黄砂で覆われるのを見たくないのです。今後も毎月、基金会に寄付し、微力をつくすつもりです」と渾さんは言った。 吉林省の政治協商会議の委員で、60歳を過ぎた李重華さんは、わずかな退職金の中から200元を基金会に寄付した。彼女もまた「長春の青空をもう一度見たいのです」と言った。 朱夫妻は娘を連れて現地を視察した。そして出資者の欄に、娘の名前を書き込んだ。そのうえで娘さんに、家に帰ってから自分の感想を作文に書くよう言いつけた。小さいころから、社会性を養っておこうというのである。 吉林省林業庁の公務員全員も、進んで寄付を行った。少なくとも百元、多い人は千元を出し、数日間で5万元以上が集まった。劉庁長は、みなが休日返上で、毎日残業をしているのを見て、700元の原稿料を事務所の人たちの食事代に使ってほしいと提供したが、事務所の人たちはこの金を基金会に寄付してしまった。 長春の希爾環境技術有限公司は、前ゴルロス蒙古族自治県から水と土壌のサンプルを採取した。この公司は砂漠化した土地960ムーに出資する予定で、この数字は中国の国土面積の960万平方キロを象徴している。中国の国土が再び風砂の浸食を受けないように、との願いが込められているのだという。 寄付金はどんどん集まり、2001年11月末までのわずか四カ月で、出資金と寄付金の総額は600万元を超えた。その後も各地から、無償の物資や寄付金が次々と吉林省に送られてきている。 新たな産業――「草産業」 吉林省の大規模な「生態草」建設は始まったばかりだが、「三化」した土地に対する改良の努力は、早くから他の人たちの手で始まっていた。
中国では、「三化」の進んだ草地はすでに20億ムーに達している。このうち、もっともひどいのは「アルカリ化」した草地で、全国に五億ムーもあり、東北地方はその典型的なケースである。吉林省農業科学院は80年代末に早くも、不毛のアルカリ性の土地でも育つ「鹸茅草」(カヤグサの一種)の研究開発に成功した。この草は、pH(ペーハー)値を低下させ、土壌を改良するのに明らかな効果がある。 十数年来、この草の育成技術は生産活動の中で使われ、日ましに改善されたが、まだ大面積にこの草が植え付けられることはなかった。これを知った宏日草業公司は、吉林省農業科学院と積極的に協力し、わずか2年の間に、「アルカリ化」した土地一千ムー近くを改良するとともに、大安という所に22万ムーの牧草基地を建設した。 次第に数を増す「草産業」の公司の中でも、緑源公司はかなり注目されている。この公司は1997年、張憲亭、盧丹、王慶東の三氏が、徒手空拳から始めた「草産業」の企業だが、今や各種の高級専門技術者13人を擁している。しかも、吉林省生物研究所の羊草(羊用の牧草)センターや東北師範大学の草地研究所、米国・マサチューセッツ工科大学の農学院など有名な科学研究機関と、長期的な技術委託と協力関係をうち立てている。そして羊草の育成、品種改良、牧草加工を一本化した「草産業」の技術をつくりあげた。
吉林省長嶺県の広太郷では、3万ムーの草原に、収穫されたばかりの「吉生羊草」という牧草の山が、あちこちに積まれていた。「吉生羊草」は、世界で最初に人工的に開発され、生産高が多く、品質が優れ、干魃に強く、アルカリ性土壌にも耐える新品種で、「牧草の中のコメ」とも言われる。この草には、蛋白質の含有量が野生の牧草より10〜70%も多く、牛や羊、競走馬、ダチョウなどの飼料として理想的であるという。また、病虫害に対する抵抗力が強く、生産性が高いことから世界の牧草業界で「スーパーグラス」と称えられている。 「吉生羊草」は、20%しか草が生えない土地でも生長し、最高1・3メートルの高さまで伸びる。創業者の一人で副社長の盧丹さんによると、この草地は数年前まで、アルカリ土壌がまだらに露出していたが、いまは見事な草地に変貌をとげ、長い間姿を消していたタンチョウ鶴も見られるようになったという。 「昔から中国文化の中では、『草』を軽視し、蔑視する伝統があったように思います。およそ『草』の付く言葉はみな、良い意味では使われない。例えば『草寇』は山賊、『草莽』は在野の人、『斬草除根』は禍根を絶つ、といった具合です。ですから、草を植える仕事をしています、などと言うと、多くの人は理解できず、『正業に就かない放蕩息子だ』とさえ言って非難したものです。しかし今は良くなりました。国家が『草産業』の発展を重視し始めたので、『草』も名誉回復したのです。私たちの事業は本当にやり甲斐のあるものになりました」と盧さんは感慨深げに言うのである。 緑源公司の事業は、1998年には百年に一度という大洪水に見舞われ、2000年には、過去五十年間経験したことのない大干魃に襲われた。しかし、その試練に耐えて、わずか5年の間に、3万ムーの「三化」した草地を改良し、植生を85%以上にまで回復させたのである。
現在、緑源公司は、9000ムーの「吉生羊草」の栽培基地、1万2000ムーの米国から輸入したムラサキウマゴヤシの栽培基地、3万ムーの品質の良い人工の草地をもっていて、年産量は1000トン以上に達している。草の製品は日本や韓国などに輸出され、輸出価格はトン当たり105〜120ドルで、経済的効果と利益はきわめて良い。 吉林省の「生態草」建設事業を委託された公司の一つとして、緑源公司は今回のキャンペーンが成功を収めると確信している。盧さんはこう考えている。「生態系の建設は今後、技術面でのコントロールが非常に重要になり、一定の技術水準が要求されてくる。すでに5、6年の経験を有する緑源公司は、中国北部の草地資源の総合利用と総合開発、総合管理の系統的な技術体系を有し、さらに科学技術部門の技術的よりどころもある。だからきっと、砂漠化した土地の改良を技術的に支え、成功のノウハウを提供できるであろう」 「草産業」――それは旭日のように発展を始めた新興の産業であり、生態環境の保護という大きな時代背景のもとで、今まさに勢いよく昇り始めたのである。 ●資料 森林 第5次全国森林資源調査の結果、中国の林業用の土地は2億6329万5000ヘクタール。このうち森林面積は1億5894万1000ヘクタール、森林に覆われた面積は国土の16・55%を占める。森林の木材蓄積量は、112億7000万立方メートル。台湾省を除いて、中国の人工造林による木材蓄積量は10億1000万立方メートル、人工造林の総面積は4666万7000ヘクタールで世界第一位。全国の木材の純増量は、年平均4億5752万5000立方メートル、年平均の純消費量は3億7075万2000立方メートル。引き続き増加が消費を上回る趨勢を示している。 草原 中国は草地の資源大国である。草地は4億ヘクタール近くあり、その84・4%、約3億3100万ヘクタールは、西部に分布している。草地は国土面積の約40%を占め、世界第2位である。しかし、一人当たりの草地は平均、0・33ヘクタールに過ぎない。これは世界の平均、0・64ヘクタールの半分である。現在、中国の90%の草地では、程度は異なるが、退化現象が起こっている。その中で、中程度以上の退化現象を起こしている草地面積はすでに半分を占めている。全国の「三化」(アルカリ化、砂漠化、草原の退化)に陥った草地面積は、すでに1億3500万ヘクタールに達し、毎年、200万ヘクタールの速さで増加している。草地の生態環境の状況は厳しい局面を迎えている。 自然災害 2000年の春、中国・北方地区では砂嵐がしきりに起こった。3月から5月中旬にかけての二カ月余りの間に、前後して14回、比較的広範囲で、砂嵐や砂ぼこりが発生した。 2000年に、中国はめったにない全国的な干魃に見舞われ、乾燥と高温のため北方の一部地区では大規模な蝗害が発生した。また、新疆、内蒙古の牧草地は雪害を受け、25人が死亡し、78万8000頭の家畜が犠牲となった。
計画 21世紀に入り、国務院は、従来の政策を体系的に整理統合して、戦略的な六大プロジェクトを決定し、実施した。それは・自然林の保護・三北(華北、西北、東北)と長江中下流地域の重点防護林の建設・「退耕還林還草」(耕作地を林や草地に戻す)・北京地区を取りまく地域で砂を防ぎ、砂を治めるプロジェクト・野生動物保護と自然保護区建設・林業産業基地の建設、である。 投資 2000年に国家は、内蒙古、新疆などの西部の省や自治区にある30カ所の自然草原で、植生を保護し建設するプロジェクトの試験項目に2億元を投入した。また、西部や北方の省や自治区で、乾燥に強い牧草の種子の基地五カ所と18カ所の牧草種子繁殖基地の建設に四億元を投じた。北京を取りまく地域の砂を防ぎ、砂を治めるプロジェクトに7億元を投資した。この中には、造林、植草、水土の保持が含まれている。今後10年の間に「退耕還林還草」プロジェクトに1000億元を超す資金が投入される見込みだ。 2001年10月までに、自然林保護プロジェクトに支出された額は222億元に達した。今後10年間に中国は、962億元をこのプロジェクトに投入する見込みだ。 成績 第9次5カ年計画(1996〜2000年)の期間中、国家は全力で草地の建設と保護を進めてきた。毎年、人の手による植草や草地の改良、空中からの牧草の種まきが行われ、その面積は約300万ヘクタールに達した。また囲いを設けて封鎖した牧草地は60万ヘクタールにのぼる。2000年末現在、全国の自然保護区は1227カ所、自然林保護プロジェクトが実施された省や自治区は、12から17に増加した。1998年から始まった造林は、2001年7月までに、全国の累計で163万5771ヘクタールとなった。その中には、空中播種44万7753ヘクタール、伐採を禁止し造林した面積517万4626ヘクタール、育苗地1万4304ヘクタールが含まれている。 【植樹祭】 中国の植樹祭は毎年、3月12日。孫文の死去3周年を記念して、この日が決まった。孫文は林業を重視し、中華民国の臨時大統領に就任すると、農林部を設立し、その下に山林司(局)を設けて全国の林業行政事務を主管させた。1914年、中国は初の近代的な『森林法』を制定し、1915年7月、政府は毎年の「清明節」に植樹祭を行うと定めた。 1925年3月12日、孫文が死去した。1928年、孫文の死去3周年を記念して植樹の儀式が挙行された。それ以後、この日が植樹祭の日となった。1979年2月23日に開かれた第3期全国人民代表大会常務委員会第6回会議で、法律が制定され、3月12日を植樹祭の日とすることが確定した。 ケ小平は、全国人民が義務として植樹を行う運動の提唱者であり、率先垂範した人でもある。毎年の植樹祭に彼は家族を引き連れて玉泉山に行き、松やコノテガシワを植え、11年間、85歳の高齢になるまでずっとこれを続けた。 中国の自然保護区の発展概況 (2002年4月号より) |