●特集
いかに子どもを育てるか
 一人っ子、受験地獄時代の悩み

                         
侯若虹

 
日曜日、図書館で、父と3歳の子どもが本を読んでいる(newsphoto)

 去年10月、『中国教育報』に、どのような父母になるべきか、という文章が掲載された。その中で一人の母親は「子どもの教育の問題が一番心配です」といい、またある父親は「どんな『長』でもうまくやれるが、『家長』の勤めだけはうまくいかない」と言った。中国人はいま、家庭教育の問題で、そうとう困惑し、悩んでいるようだ。

 百の家には百の教育方法があり、正しいかどうかは、短い時間で結論を下すことは難しい。しかし、敢えて「いかに子どもを育てるか」という問題を特集することにした。この特集から読者のみなさまに、中国の家庭教育がいまどうなっているのか、その現状の一端を理解していただきたいからである。

 

日本留学中、級友といっしょにいる雪瑩さん(左から1人目)(趙毅さん提供)
 この2、3年、中国の書店には、家庭教育に関する図書がずらりと並び、なかなかの売れ行きである。『ハーバードに行った娘 劉亦貪』『清華大学に入った男の子』などの本で、だいたい、その子の成長の物語や両親の育て方の「秘訣」を紹介したものが多い。親たちの多くは、こうした「天才」の子どもの成功物語に感動し、本に書かれた「秘訣」の通りに子どもを教育すれば、自分の子どもも「軽々とハーバード大学に行ける」と思っている。

 この種の本は往々にして、子どもたちには受け入れがたいものであり、教育の専門学者もまた、ある個人の経験を踏襲することに異議を唱えている。

 つまるところ、どのような子供に育つのが成功といえるのか、どのような教育が優秀な子どもを生み出すのか、中国の父母の多くは心の中で困惑している。

教育に大切な理性と教養

 昔から中国に「子を養いて教えざるは、父の過ちなり」という言葉がある。家庭教育はもともと中国人が一人の人間や家庭の素養をはかる重要な尺度となってきた。なぜなら、人それぞれの道徳、品性、人柄や物事の処理はみな、その人の家庭教育がどうであったかを反映しているからである。品性が下劣で、言行が粗野な人物に対して人々は「家庭教育が欠けていた」と非難する。そしてどの親も、「家庭での躾がいい」という賛辞を得たいと望んでいる。

日本の友人の家に行った趙毅さん(後ろ右)と雪瑩さん(後ろ左)(趙毅さん提供)

 北京師範大学の教育科学研究所の趙忠心教授は、長く家庭教育の研究に従事してきた。彼は、中国人の家庭教育を重視する伝統には、歴史的根源があると考えている。

 封建時代は、少数の人のみが学校に行って勉強することができたが、それ以外の絶対多数の人が受けられる教育は、家庭における教育だけだった。従って家庭は、生活の場としての機能のほかに、子どもの教育の場という機能を担っていたのである。こうした世々代々伝えられてきた教育方式は、文化を伝えていくという役割も果たしてきた。ここから、全社会が家庭教育を重視するという伝統がつくりあげられたのだ。(表1参照)

表1
 北京市の高収入家庭の生活状況調査:  
一家の収入が年間5万元以上の千戸の家庭を抽出調査した。その結果は、子どもの教育に対する投資は、年間、一人当たり8042元だった。その内訳は以下の通り。

 「子どもは教え導いてつくるのではなく、養い育ててつくるものだ」という人がいる。これはやや極端かもしれないが、道理にかなっている。家庭の環境と雰囲気や父母自身の教養と子どもに対する理性的な教育が、子どもの成長にとって確かにきわめて重要なのだ。

 趙毅さんは、月壇中学の副校長で、妻は北京の首都師範大学の教員である。彼らの父母も知識人で、家の中には文化的な雰囲気が漂っていた。趙さんの娘の雪瑩は、お祖父さんの座っている籐椅子のそばで京劇の物語を聞いたこと、寝る前にお祖母さんが外国の童話を読んでくれたこと、公園に遊びに行ったとき、パパが自然のおもしろさを話してくれたことが記憶に残っていて、これらが彼女の麗しい少女時代の思い出となっている。

 雪瑩は学校に入ると、勉強が大変だった。趙さんは娘に、自立し、能力のある人間になってほしいと思っていた。このため、一貫して子どもには、勉強をみてやったり、宿題を点検したりしたことはなかった。自分ですべきことは自分でやり遂げることを求めたのである。

 雪瑩が小学一年生のとき、遊ぶのに夢中で、宿題は前の方と後ろの方しかやらず、真中はやらなかった。先生がこれを見つけて親に知らせたが、趙さんは娘をしからず、彼女にこう道理を説いた。「学校に上がったからには、学校の規則や決まりを守らなければならない。宿題は自分自身でしなければならないことだから、遊ぶ時間が足りないなら、自分で時間を切りつめて、宿題を終えてしまいさえすれば、あとは遊ぶことができるよ」

 それ以後、雪瑩は、休み時間や昼休みをみな使って宿題をやってしまった。それは、放課後や夜に遊ぶためである。趙毅さんも言った通りにし、絶対に学校の宿題以外にノルマを課すようなことはしなかった。こうして、時間を切りつめ、精力を学習に集中するという習慣がつき、雪瑩はこれをその後もずっと保ち続けたのだった。そして、中、高、大学とも、効率よく学業を終えることができたのだ。

 雪瑩は18歳のとき日本に留学した。彼女は生活も勉強もすべて自分で処理した。大学の課程を終えて、さらに日本で引き続き修士課程に進もうとしている。

 趙さんは、娘の未来に関して、彼女自身が決めて、そうしたいと思うことすべてを自分の手で勝ち取るよう、ずっと主張している。

「私の理想は子どもの理想」

 しかし、どの親もみな、子どもに自分で志を立てさせ、その理想を実現するために自分で努力するようにさせているわけではない。逆に、子どもが産まれると、その子の人生のレールを敷いてやり、目的を達成するまでは決してやめないという親が少なからずいる。子どものことに関しては、小は衣食のことから、大は志望校や専門の選択まで、親自らが入念に計画し、周到に手配りして、一切を切り回すのだ。

 58歳の蒋錦城さんは、頭はすでに白髪となっている。彼は父親が残した二部屋の住宅に住んでいる。家の中のものは、古いものだが、いつもきちんと片付けられている。この住宅区に属している小さな医院で30年、薬剤師をしてきた蒋さんは、身体の具合が悪く、繰り上げて退職したのだった。

80年代に、北京の頤和園で写した蒋錦城さん一家(蒋錦城さん提供)

 彼は「老三届」と言われる世代に属している。1966年に文化大革命が始まり、66年から68年までに高校(中国では高中という)を卒業した生徒は、大学の入学試験が行われなかった。彼も卒業後、山西省の農村に行き、7年間、労働をした。

 子どもが生まれた時には、蒋さんはすでに37歳になっていた。その子の話をするとき、彼の顔には満足しきった微笑があふれる。「この子は私の手一つで大きくなったのです」。こう語るとき、蒋さんの顔には、誇りとともに、感慨無量な表情が浮かぶのだ。というのは、妻が勤める工場は、家から遠かったから、朝は早く出かけ、夜は遅く帰る毎日だった。だから、子どもの世話は自然に蒋さんが受け持たなければならなかったのである。

 子どもが生まれてから、蒋さんは強い願いを持った。それは、将来、息子が進学する際、自分の母校である北京の第四中学(日本でいえば中学と高校)に進んでほしいということだ。四中は北京でもっとも良い学校といわれ、数多くの優れた人材を輩出している。

 この願いを実現するため、子どもが2歳になると、蒋さんは自分で息子に数学を教え始めた。子どもが小学校に上がると、父子は毎日朝早く、学校へ行く前の一時間、数学を勉強し、その日先生が教える内容を予習した。こうした補習は、子どもが中学(中国では初中)を卒業するまでずっと続けられた。

 子どもが小学3年の時には、数学オリンピック校に合格した。数学オリンピック校とは、普通の学校の放課後や休みの日に、学校で教える数学より難しい内容を教え、子どもの思考を開発するという学校である。

 毎週日曜日、蒋さんはいつも、家から遠いオリンピック校で授業を受ける息子に付き添って行った。これはずっと小学校卒業までまる3年、雨の日も風の日も続けられた。

日曜日、武漢市の武勝路にある新華書店が作文の講座を開いた。親たちは真剣に聞いて、細かくメモをとっていたが、連れてきた子どもたちはげんなりしている(newsphoto)

 息子が高校を受験する際の願書は、蒋さんが書いた。第一志望は北京四中だった。これに息子は何の異議も唱えなかった。北京で一番良い学校に進むことは、すでに息子自身の願いになっていた。

 試験の結果、その願いがかなった。現在、息子は四川大学の電子工程学部に進み、3年生になっている。蒋さんはその息子に、非常に満足していて、子どもの将来に期待している。この子はきっと優れた、社会に役立つ人材になるに違いないと、蒋さんは思っている。

 蒋さんのような年代の人は、青年時代を文化大革命の中で過ごした。彼らは常々、残念だと思っている。なぜならあの時代は、個人には何の職業の選択権がないばかりでなく、多くの人が基礎教育を終えることさえできなかった。教育が受けられなかったことは、終生、償うことができない損失となった。

 だからこそ彼らは、次の世代の子どもに対する期待や望みが、ことのほか高い。子どもが役に立つ人材に成長するのを望むだけでなく、さらに多くの親は、自分がかつて実現できなかった理想や宿願を、子どもにかなえてほしいと望んでいるのだ。

 まだ物事がよくわかっていない子どもに対し、父母がその子の将来をあれこれ考えるのは自然の人情だ。しかし、子どもは成長の過程で、好きなことや特徴が現れてくる。親はもとより子どもの選択を尊重しなければならない。だが、一部の親たちは往々にして、自分の願いを重視しすぎて、子どもにそれを強要する。この願いが、子どもにとって実際的であるかどうかにかかわらず、また子どもの感情を考慮することもない。その結果、子どもを大きく傷つけてしまうのだ。

 楊静さんは、政府機関で働いていて、彼女の夫は工場の技術者である。彼らの娘は今年、高校2年生になった。楊さんに、娘さんの大学進学について尋ねると、彼女は「ああ! 大学にうかってくれれば満足だわ。他には何の要求もないのよ」と嘆いた。

 楊さんがこう言うのは、娘さんが小さいときにバイオリンを学んだことに、その原因がある。

毎年開かれる大学入試の相談会には、多くの父母が、切迫した気持ちで集まる(newsphoto)

 楊さんの夫は小さいころから音楽が好きだった。しかし、家が貧しく、中学に進学してやっと、音楽の先生にバイオリンを習うことができた。バイオリンが好きだったのだが、中学を卒業した後、工場に配属され、労働者となり、自分の好きな音楽の仕事に従事する機会はとうとうなかった。

 そこで自分の娘が5歳になったとき、バイオリンを習わせることを決めた。自分が実現できなかった理想を娘によって実現しようとしたのである。

 あるいは成功させようと焦りがあったのかも知れない。文化館の先生が、子どもに毎日一時間、バイオリンの練習をしなさいと求めたときに、楊さんの夫は2時間練習するよう要求した。娘が練習したくない時や、少し間違えて引くと、彼は激しく叱責し、ひどいときは子どもを殴ったりした。

 娘が目に涙をためてバイオリンをひく様子を見て、楊さんは我慢できずに、夫と喧嘩になった。後には、バイオリン練習の時間がくると、楊さんの家ではいつも子どもは泣き、大人は言い争いになった。バイオリンがもたらしたものは、楽しい音楽ではなく、苦痛であった。

 こうした日々は、一年も続いた後で、やっと終わりになった。今日まで、楊さんの家では、テレビでバイオリンの演奏が始まると、娘さんが「チャンネルを変えて」と求めるのだ。バイオリンは彼女にとっては苦痛なのである。楊さんは娘に申し訳ないことをしたとずっと考えている。そして今後は、もう少し気ままに、もう少し楽しく、自然のままに暮らしてほしいと願っている。

大学に入るのが一番だ

大学入試の会場の外で待つ親たち(newsphoto)

 中国人がこのように子どもをかわいがるのは、価値観と関係がある。中国人の伝統的な観念の中では、子どもを養育するのは、一家が代々続き、一門が栄えるためである。このような子育ての目的が、中国人の教育のあり方を決定する。だから大多数の中国の家庭では、もっとも重要なのは、子どもが優れた人材に育つかどうかにある。良い学校に行き、良い大学に受かることは、人材として世に出る第一歩である。(図2参照)

表2
中国の児童、生徒の意識調査によると、子どもたちは比較的高い学歴を希望している。
そのうち、大専の学歴を望む者14・8%、大学本科の学歴を望む者10・0%、修士の学歴を望む者10・2%、博士の学歴を望む者40・9%、学歴に関しては、都市と農村の子どもでは違いがあり、都市の子どもは全体的に高学歴を望んでいる。

 ハルビンの婦女連合会が行った教育の現状に関する調査によると、88・7%の親が子どもに大学へ進んでほしいと思っている。大多数の親は、子どもをしっかり勉強させ、将来、大学に進み、さらに修士、博士にするのは家庭教育が担う第一の責任である、と答えている。

 しかし、実際は、大多数の子どもが大学に進むのは難しい。ある資料によると、中国では現在、大学生は平均で1万人に25人しかいない。1990年代の中期まで、大学生は、同年齢の20歳から24歳の人口の中で、わずか4%を占めているに過ぎない。これは、世界の低収入の国々の水準よりもさらに低い。

 この現実に基づき、子どもたちが競争の圧力に直面することは避けられない。そしてその圧力はまず親たちにかかってくる。多くの親たちがその圧力を解消する方法は、絶えず子どもたちに「勉強、勉強、また勉強」と迫ることなのである。(表3参照)

先生たちは氷を運んで、試験会場の中の温度を下げようとしている(newsphoto)
高校入試に向かう母親の緊張は、子どもに劣らない(newsphoto)

 親たちの教育に対する熱意は、文化館や小中学校、一部の個人が開いている各種の補習塾を誕生させた。そして需要が大きいため、こうした塾やクラスが次第に相当大きな規模の学校になっていった。北京の精誠文化学校は、1992年に生まれた少年少女の英語の補習校で、現在、市内に二カ所の分校と18カ所の教室があり、全部で八百余のクラスに2万人以上の生徒が学んでいる。教える内容は、少年少女の英語や日本語の補習から思考能力や表現能力の訓練、絵画や書道など多岐にわたっている。

表3

 多すぎる補習学校や学校以外の学習が、子どもたちの時間を占領してしまった。本来、自由であるべき子どものころの生活が、張りつめて忙しいものに変わってしまった。街では毎週の週末や休みの日、夏や冬の休暇の時まで、親が子どもを連れて補習塾に駆けていくという光景がよく見られる。

湖北省の宜都市は、小中高校生の社会実践と労働技能の基地をつくった。ここで児童・生徒は、自分で生活、労働し、技術を学び、生活能力や生存能力の総合的な資質を高める(newsphoto)
河南省平頂山市の幼稚園では、子どもたちのために動植物園をつくり、子どもに直接観察させている(newsphoto)
西安市の少年宮では、夏休みに、ダンス、武術、英語、デッサンなど数十の学習クラスを作り、歓迎されている。写真は、ダンスのクラスで子どもたちが学んでいるところ(newsphoto)

 徐佳潔さんは、息子が非常に小さいころからいろいろな補習クラスに彼を連れて行き始めた。これまでに、絵画、書道、水泳、英語などを学ばせた。いま、子どもは小学校に上がったが、放課後はピアノ、英語、数学を学んでいて、九歳の子どもの日程はいっぱい詰まっている。午後は、学校が終わると宿題をやり終え、日記をつけ、その後でピアノを練習し、英語を読み、週末も補習クラスに行って授業を受けなければならない。

 「ママ、僕、本当に疲れた」と子どもはしょっちゅう嘆いている。しかし徐さんは、いまは苦しくとも、将来、すばらしい前途が開けることこそ価値あることだ、子どもは大きくなれば、自然にそれがわかるに違いない、と考えている。

 北京市黄城根小学校のある少年先鋒隊の大隊指導員によると、彼女の受け持っている児童が平均五つから六つの補習クラスに参加していて、美術を学び終えたら今度は音楽を、外国語を学んだら今度はコンピューターをというように学んでいるという。

 転換期にある中国は、社会的価値観がいままさに変化しつつある。職業が違えば経済的地位が異なるので、それが人々の生活水準の格差を広げている。また、それによって一部の人は、肉体労働をする階層を軽視し、高学歴によって高収入の職業を得ることを子どもの教育の目標にするようになった。ある親たちは子どもたちに、こんな考えを軽々しくに押し付けるケースまである。「しっかり勉強しないと、将来、道路を清掃することしかできなくなるよ」と。

一人っ子の教育の難しさ

栄玉静さんと息子の超然君(撮影・馮進)
栄先生が受け持っている一年一組(撮影・馮進)

 中国の有名な教育専門家である孫雲暁さんは、数年前、ノンフィクションの『サマーキャンプの中での比較』を書いた。この中で孫さんは、中日両国の子どもたちがサマーキャンプの中での言動や態度を比較し、中国の子どもたちが日本の子どもたちに及ばない点を列挙した。これは当時、社会的に大きな反響を呼び起こした。

 先日、孫さんを取材すると、彼は依然として、中国の教育の現状を心配していた。孫さんの心配は、今の多くの親たちが、子どもをあまりにも溺愛していて、期待が高すぎ、ただただ子どもを大学に進ませ、博士にすることばかりを考えていて、子どもに生活の習慣をつけさせ、人格を育てることを軽視していることである。この傾向は、一人っ子の家庭で特に目立っている。

ソリに興ずるお祖父さんと孫(撮影・馮進)
孫たちの送り迎えは、多くのお年寄りの仕事になっている(撮影・馮進)

 中国は1980年から、産児制限政策を全面的に始め、それから20年以上経った。中国人は巨大な人口圧力に直面し、一人しか子どもを産まないという国家の基本政策を受け入れたが、一人っ子をどう教育するかには心の準備が足りず、経験もなかった。

 33歳の栄玉静さんは、白雲路小学校一年の先生である。もう十数年も教師をしてきた彼女は、多くの子どもたちが、家庭での溺愛の結果生じた性格の弱点を持っているのを見てきた。弱点とは、人と付き合うことができないため同年齢の子どもと遊べない、他人を思いやることができない、いつも自分のことばかりを考える、という点だ。

 ある時、夜に行われる活動に参加するため、栄先生は放課後、5、6人の生徒を連れていっしょに、レストランに食事をしに行った。栄先生が忙しく、料理を買い整え、見ると、子どもたち全員がもうすでに食べ始めていた。しかも、先生のために少し残しておこうとはまったく考えていなかった。

表4
中学生、高校生の日常生活での消費(表3〜表7は明略市場策画上海有限公司の調査による)
無作為抽出で、上海市にある十四の学校の四百二十八人の中学生、高校生にアンケート調査した結果である。

 栄先生は驚き、心を痛めた。これは子どもたちのせいではない。6、7歳の子どもたちは、家では父母や祖父母の寵愛を受け、人から面倒を見てもらうばかりで、人の面倒をどうやって見るのか、誰も教えてはくれなかったからである。

 北京教育学院の関鴻羽教授は、現在、中国の一人っ子の教育には、二種類のもっとも突出した問題があると考えている。それは、溺愛と、知育重視・徳育軽視である。

 溺愛の結果は、子どもたちはあまりにも父母に頼りすぎ、わがままで、自分中心的という特徴をもつことになる。

 また、知育重視・徳育軽視の教育は、さらに子どもたちの将来に災いをもたらす。このような教育を受けて育った子どもは、ひとたび社会に出ると挫折してしまうケースが、前の世代の人より多い。しかも、彼らは、困難を解決する能力が備わっていないうえ、困難を克服する心の準備もないときには、極端に走りやすい。

表5
表6

 この数年、青少年の自殺や家出がよくマスコミをにぎわしているが、中には、一回、試験に失敗しただけなのに、あるいは先生や父母から叱られただけなのに、すぐ命を粗末にする行動に走るというケースもある。去年夏には、高校入試を受けた一人の北京の生徒が、試験が終わってから、自分で試験のできが悪く、これでは高校に受からないと思い込んで、そのショックに耐えきれず、飛び降り自殺してしまった。しかし数日後、家に届いた試験の成績は、むしろ非常に良かったのである。

 最近、一人っ子の教育について人々の議論が絶えず、ますます多くの親たちは、子どもを溺愛したり、物を与えすぎたりするのは良いことではなく、良い品行や高い教養、良い習慣や高い能力こそが、子どもの一生の財産だと認識し始めている。

 栄先生自身も、息子の超然の教育では比較的成功した。家では、栄先生は子どもに自分の部屋を片付けるよう要求し、食事の前には茶碗や箸を自分で持ってきて、食事が終われば茶碗を洗い、洗濯機で自分の衣服を洗うのを覚えさせた。日常生活では、栄先生は子どもを一人前として扱い、決して甘やかさず、何かあればいっしょに相談し、解決した。

表7

 こうして9歳になった超然は、生活の中で、母親の苦労を体得し、食事の時にはまず、箸でおかずをママの茶碗にとってあげることができるようになった。また、ママといっしょにスーパーで買い物するときには、真っ先にママの好きな食料品を選ぶようになった。友達といっしょに遊ぶときも、彼は小さな子の面倒を見ることができ、子どもたちのリーダー的な存在となったので、栄先生は大変うれしく、また安心している。栄先生は子どもが将来、品行方正で温かい心を持ち、責任感の強い人になってほしいと思っている。

 実は、一人っ子にも、本来の優れた点がある。子どもの多い家庭に比べ、一人っ子の家庭は、子どもに対する関心や愛情のこもった保護がいっそう深く、子どもの教育にさらに多く投資することができるし、教育の方法にもさらに気を配ることができるからである。(表4〜7参照)

離婚家庭の教育

 中国の家庭教育が多くの新しい問題にぶつかっている中で、十分注目される問題は、片親の家庭がますます多くなってきていることである。父母が離婚し、家庭の構造が変わったことは、子どもたちに大きな傷を負わせることになる。

 ある不動産会社の重役である姚平さんは、息子が小学校に上がる時に感情の不一致から妻と離婚した。姚さんは子どもを引き取り、育てることになり、父親と母親の役目を果たさなければならないつらい日々が続いた。

 自分の離婚のせいで、両親そろった家庭を子どもから失わせてしまったことで、姚さんは息子に申し訳ない気持ちだった。そこで彼は、息子がもっとも喜ぶ品物、例えばブランド品の服、高級自転車、高級な文房具、さらにVCDやパソコンまでも、子どもに与えたのだった。

西北工業大学の付属幼稚園の子どもたちは、専門の先生の指導を受けてコンピューターの操作を学んでいる(newsphoto)

 しかし、息子のために多くの時間を割くことはできなかった。仕事が大変忙しく、たまに宿題を見てやる以外は、息子との交流はほとんどなかった。成長期の子どもにとって、家の中は本当に寂しく、コンピューターゲームが彼の最良の友達となり、遊び始めるといつも、勉強や宿題を忘れてしまうのだった。

 実の母親は息子と面会していたが、衣食のことに気を配るだけだった。新しい母親は、子どもとの関係をよくしていたいから、あまり彼を監督しなかった。

 にもかかわらず姚さんは、息子の勉強に対しては、要求がきわめて高かった。夜中に家に帰って、息子がまだコンピューターで遊んでいると、彼は怒りを抑えることができず、叱り付けて自分の不満を発散させるのだ。もともと性格が内向的な息子は、怖い父親の顔を見ると、話をますますしなくなり、どんな悩みがあろうが、父親には話さず、むしろ同級生や友達と話すのだった。父子の関係はますます緊張したものになった。息子の大学受験が間近に迫っても、これから何を専門とするのか、どの大学に行くのか、父と子は話し合ってもまとまらず、姚さんはどうしようもないと感じたのだった。

 実際は、経済的条件が良かったから、離婚と再婚が姚さんと息子にそれ以上の困難をもたらすことはなかったが、子どもの教育に関しては、家庭内の一体感に欠け、子どもはややひねくれた性格になってしまった。父母とも親近感を持たなかった。もし経済的状況が悪く、親の教育程度が高くない家庭であれば、息子が直面する状況はもっとひどくなり、発生する問題ももっと多くなる。心理的には劣等感を持ち、わがままで、憂鬱、臆病な性格が形作られる。一部の子どもは、将来の結婚についても恐怖を感じるようにさえなるのだ。

 ある日、テレビで、こんな物語が紹介されていた。

 一人の父親が、娘の学資を稼ぐために、一人で日本に出稼ぎに行き、八年も家に帰らなかった。しかも娘が米国のある大学に合格した後も、彼は引き続き日本に留まり、働いて学資を稼いだ。多くの親たちは、父親の犠牲的精神に感動して熱い涙をこぼした。しかし子どもたちの反応は、親たちとは違ったものだった。「この子はかわいそう。生涯あの子は、父親に借りがあると思うからだ」というのである。

 親と子の異なる反応は世代間のギャップとして説明できる。同時に、中国の家庭に明らかに存在する問題を示している。それは、子どもが第一であり、子どもが父母の全てだ、という問題である。

 子どもを重視することは、間違ってはいない。なぜなら子どもは未来を代表しているからだ。しかし、取材したさまざまな現象から見れば、大多数の親たちが子どもたちに与える未来は、あたかも一本の道しかなく、それは大学に進学することだとしているように見える。これこそまさしく、数千年来、伝えられてきた「学びて優なればすなわち仕う」という封建思想を体現している。

 実は、親たちは、自分自身の問題がわかっていないわけではなく、ただそう行動できないだけなのだ。とくに一人しか子どもがいない場合は、誰もが失敗したくない。このような背景の下で成長した子どもは将来、どのようになるのだろうか。長所も短所もあるのは当然だが、次のことだけは確かだ。

 それは、全体的に言えば、子どもたちの文化的素養が親よりも明らかに高くなり、大多数の子どもは理想や前途に対して明確な目標をもって進むだろうということだ。また彼らは、もっと開放的になり、実務に優れ、もっと自我を重視し、個性に富んだ人間になるだろうということである。(2002年6月号より)