その二
専門家インタビュー
「社区」の現状と未来


 「社区」はいま、流行の話題になっている。中国の「社区」とはいったいどのようなものか。外国の「社区」(コミュニティ―)とはどこが違うのか。中国社会科学院の「国際大中都市社区建設比較センター」に副主任の于燕燕女史を訪ね、専門家としての意見を聞いた。(文中敬称略)

「社区」の始まり

 ――中国にはもともと、「社区」という概念がなかったように思いますが……
 

于燕燕女史

 于燕燕 その通りです。中国にはもともと、「社区」は存在しなかったという人もいます。しかし実際は、中国の社会学者の費孝通先生が20世紀の30年代に行った社会調査の中で、「社区(Community)」という概念を使っています(注参照)。ただその後、中国は戦乱が続き、人々は安心して生活できなかったため、「社区」は発展しようがなかったのです。

 ――外国では、第二次世界大戦以後、「コミュニティー」が発展し、その目的は、人々の日常生活のさまざまな要求や貧しい人々の問題、犯罪問題などを解決するためでした。1949年に新中国が成立した後、中国はどういうことを考えて「社区」を建設したのでしょうか。

「社区」の中にある主食を売る売店は、住民の家事労動の負担を軽くしている

 于燕燕 中国では、1954年に街道弁事処と住民委員会が成立しました。区クラスの政府は、管理をし易くするため、所管の地区をいくつかの区域に分けた、それが「街道」です。そしてそこに出先機関を設置しました。これが街道弁事処です。それは中国の行政管理体制の中で、最も下部の組織ということができます。

住民は「社区」の外に出なくとも、新鮮な野菜や果物を買うことができる

 街道弁事処は、政府の具体的な事務を実行する責任があり、住民の意見と要求を住民に代わって上部へ伝えます。住民委員会は、都市の大衆的な自治組織で、事実上、街道弁事処の指導を受けています。

 当初、住民委員会を設立した目的は、主に治安問題を考えてのことだったのです。当然のことながら、住民の公共の福祉や、政府の呼びかけに応じて住民を動員するなどの職責も負っていました。  

「社区」の診療所は、重くない病気なら診てくれる

 ――どうりで、昔の人々がみんな、住民委員会を「纏足したおばさんたちの捜査隊」と呼ぶかがわかりました。ある家に地方から親戚が来て、一日中、外出もしないのに、決まって住民委員会のおばさんが家にやって来て、詳しく事情を聞いた後、臨時戸籍にこの親戚を入れる手続きをとるよう催したものでした。

 于燕燕 その通り。当時の住民委員会は、住民が選挙するといっても、主として住民の中の女性によって構成されていました。だから彼女たちは、各家庭のことは何から何までよく知っていて、異常があればただちに政府に通報する。同時に彼らでも、近隣同士の紛争を調停することができ、独居老人を援助する仕事もしたのです。しかし人々の日常生活にかかわるさまざまな要求については、主に、各自の勤め先の職場がこれを解決したのです。

「社区」は次第に変化する

 ――私の取材した住民委員会の年をとった主任は、自分の住民委員会は、かつては40人余りの「純粋な住民」だけを管理すればよかった。それは仕事のない人たちだった。しかしいまは、「社区」のすべての、2000戸の住民のために仕事をしなければならない、と言うのですが……

 于燕燕 中国はずっと、政府が人々の働く職場を通して、人々に対する社会的な管理とサービスを行ってきました。しかし、こうした情況は、改革・開放以後、変わりました。人々の物質的生活のレベルが上がるにつれ、仕事や生活のやり方も多元化に向かいました。人々の物質的、精神的な要求は、ますます多くなってきたのです。

「社区」ではボランティアが、住民のために無料で自転車の修理をする(「西便門東里社区」提供)

 当時、民政部は、人々が政府のサービスを直接感じとることができるような、ある種の環境をつくりださなければならないと提起したのです。そこで80年代中期から、街道弁事処と住民委員会を基礎とする「社区」のサービスが始まったのです。生活困窮家庭や身体障害者、老人へのサービスだけでなく、たとえば修理や裁縫、医療といった全ての住民へのサービスをだんだんと広げていったのです。

 ――こうした「社区」のサービスは、現在の「社区」をつくる雛型になったのでしょうか。

 于燕燕 その通りです。後に「社区」は、サービスの内容を拡大し続け、生活サービス施設をつくって、文化、スポーツ活動を組織し、社会治安、環境衛生の整備を強化するなど、ほとんどあらゆるものを網羅するようになりました。このような情況を「サービス」という言葉でひとくくりにすることはできない。そこで民政部は、「社区建設」という言葉を使うことを決めました。

 「建設」は英語では「Construct」で、実際、中国の「社区建設」は、基本的に欧米の「コミュニティーを建設し、発展させる」ということと同じことを意味しているのです。

中国の「社区」の特徴

 ――しかし、欧米の「コミュニティー」は、一般に、共通の利益あるいは共通の文化や宗教・信仰を持つ人たちによって構成されています。しかも民衆の参加と自治を非常に重視しています。しかし中国の現状では、「社区」は街道弁事処と住民委員会がつくったもので、みな政府のために仕事をしている、と多くの人が考えています。

 于燕燕 これこそまさに、私たちがもう一度改めて「社区」の性質を規定しなければならない原因なのです。市場経済システムの下では、管理はかつてのように、何から何までみな政府が行うということはできないのです。

住民委員会の幹部はいつも、大衆の意見をよく聴く

 もっともはっきりした例を挙げましょう。現在、多くの企業は難しい状況にあって、破産するものもあります。その結果、大量のレイオフされた人が出ても、勤務先の部門は彼らの生活を保障することはできません。政府は一部の管理機能を、ちゃんと整った社会管理システムに移譲する必要があります。その場合、「社区」こそが、もっとも良いということが、事実によって証明されています。

 ――現在、「社区」はだいたいどんな状況にあるのでしょうか?

 于燕燕 2000年に、民政部は「社区」の建設を推進するため、「社区」を「一定地域の範囲内に住む人々によって構成される社会生活の共同体」と定義しました。つまり「社区」は、地域的な概念で、主としてそこに住む住民のアイデンティティーと帰属意識を考えたのです。

 かつて住民委員会は、戸籍に基づいて管理するやり方をとってきましたが、これを改めると同時に、「社区」住民委員会のもっとも重要な仕事は、「社区」の住民にサービスすることだ、と明確にしてのです。

 それ以降、多くの都市では、住民委員会の管轄区域を画定し直し、多くの資金を投入して「社区」のハードウエアの面での環境を改善しました。また、若く、教養のある幹部を一般公開で募集し、住民による民主的選挙を通じて「社区」の仕事に参加させ、それによって住民委員会幹部の若返りと知識水準の向上を実現したのです。

住民のダンシング・チームの活動(「西便門東里社区」提供)

 ――しかし、「社区」住民委員会が大衆による自治組織だといっても、政府が公文書を発して「社区」住民委員会の仕事を指導していますね。これは少し矛盾しているのではないでしょうか?

 于燕燕 大変、的を射た質問です。ここがまさに中国の「社区」と外国の「コミュニティー」との最大の違いなのです。理論上では、「社区」は、政府、経済組織、非政府・非営利組織の三つの大きな基盤によって支えられていなければなりません。しかし、いまのところ、現在の中国では、経済組織、非政府・非営利組織の二つの基盤は、まだ十分に育っていません。

 長い間、中国の行政管理モデルはみな、「大きな政府、小さな社会」でした。このような管理モデルの枠組みを変えるには、一定のプロセスを必要とします。同時に、中国人が数十年にわたって形成してきた「全てを政府と職場の部門に依存する」という習慣も、いっぺんには変えることができないのです。

「社区」の中で開かれた家庭運動会(「汽南社区」提供)

 ――実際、政府がこうした改革を行うのは、決して楽なことではありません。人力、物力、財力を投入して「社区」を建設しなければならず、人々が自分のことに関心を持ち、自ら参加して自分自身を管理するよう導いていかなくてはなりません。しかし、そうすると今度は「政府は出すぎている」と批判を浴びることもあるのです。

 于燕燕 今日、政府が「社区」を発展、育成するためには、「社区」にもっと多くの仕事をさせることが必要で、それによってだんだんと、中国人の社会生活への参加意識と民主的な意識が呼び覚まされる、と私は考えています。そうしてこそ今後、「社区」を民衆の自主管理に移すことができ、政府はだんだんと「社区」からフェード・アウトすることができるでしょう。しかしもしいまの段階で、政府がこうした仕事をしなければ、中国ではその責任を引き受けるものが誰もいないのです。

(注)1939年、費孝通氏は中国東部のある村落を実地調査し、社会学の論文『江村経済』を著した。その著作の中で彼は、中国農民の消費、生産、分配、交易の実態を描写し、この村落の経済体系と特定の地理的環境や社会構造との関係を説明しようとした。この本の中で、この村落に「社区」という名称を使った。 (2002年10月号より)