だから上海が好き
文・写真 須藤美華
 

 日本の対中投資は2000年頃より、第3次ブームを迎えている。特に、 中国最大の経済都市、上海には現在、日系企業は約3000社進出していると言われ、進出件数は今も衰えていない。上海に在住する日本人も2万人を超え、さまざまな立場、年齢の人たちが上海で暮らしている。それぞれにとっての「上海を好きな理由」を聞いた。

 

【質問項目】
@上海のここが好き
Aここ2、3年の上海の最大の変化は?
B上海の未来へ一言
C上海の好きなスポット



   
   
杉野光男さん
SUGINO Mitsuo
三菱信託銀行上海駐在員事務所長



 
上海歴通算約
8年
   
       
 
   
オフィス近くの瑞金賓館の前で

 

 1951年広島県生まれ。一橋大学商学部卒。81年、華東師範大学(上海)に企業派遣生として留学。北京駐在員、上海駐在員を経て、98年より再び上海事務所長。上海、北京駐在は12年に及ぶ。長年にわたる日中ビジネスの経験をまとめた編著として、『日本の常識は中国の非常識』(時事通信社、2002年3月刊)がある。

 @めまぐるしいスピードで発展・成長する上海には、古い中国と新しい中国が混在していて興味深いですし、未来に向かって走る人々の明るい表情を見るのも好きですね。

 A90年代は浦東地区の開発ばかりがクローズアップされてきましたが、実は浦西の旧市街の近代化も凄いスピードで進んでいます。

 B国際都市・上海の未来は、諸外国との交流にかかっています。香港があれほど成長したのも外国人にとって住みやすい街であったからです。投資環境をはじめ、居住、交通関係の整備がさらに進めば、ポテンシャリティの高い上海はより魅力的な街になるでしょう。

 C昼の外灘ですね。浦西を見れば、セピア色の歴史的建造物が保存されており、浦東を眺めれば、メタリックの近代高層ビルが林立し、まさに過去と現在が交錯しています。

   
   
 



   
   
大野木克武さん
ONOGI Katsutake
国際ボランティア(日本語教師



 
上海歴通算約
10年
   
       
 
   
外灘。外貿大楼前にて

 

 1938年東京生まれ。1961年、東京外国語大学中国語学科を卒業後、伊藤忠商事に入社。

 1998年の退社まで40年近くにわたり、日中ビジネスに従事してきた。その間、北京、上海に通算で約16年間駐在。退社後は、中国人留学生に日本語を教えるなどボランティア活動を行っている。2000年より再び、上海へ。豊富な経験を持つ日中ビジネスの専門家として、日本、中国を問わず後輩たちからの人望も厚い。

 @手の届くところに歴史があるのがいいですね。当時の人間の息吹いていたことを感じ取ることのできる街そのものに魅力を感じています。

 A急速な勢いでモータリゼーション化が進んでいます。マイカーもどんどん増えていますが、そのスピードが早すぎて都市の整備が追いついていないように見えます。

 Bハード面の整備ばかりが強調されてきました。今後は社会主義の優位性を発揮して、交通道徳などモラル(ソフト面)を他国以上に高めていけば、上海の街はより有効に機能し、世界に冠たる街になるでしょう。

 Cやはり、外灘ですね。90年代初めまでは貿易商談というと、外灘27号の外貿大楼にある対外貿易公司の商談室で行われていましたから、特に、外貿大楼には思い入れがあります。

   
   
 



   
   
石川禎さん
ISHIKAWA Tadashi
ISI国際学院上海事務所主任



 
上海歴通算約
2年
   
       
 
   
「上海は中国とのかかわりの原点です」

 

 1974年新潟県生まれ。93年、大東文化大学中国語学科入学。在学中に勉強した上海語に惹かれ、卒業と同時に、上海師範大学へ語学留学。その後、新疆財経大学へ。99年帰国し、故郷で広告関係の会社に就職するが、中国への思いが捨てきれず、現在の職場に転職。2002年5月より、上海赴任。上海に留学する学生たちの勉学、生活面のサポートをしている。
 
@私にとって、上海は中国とのかかわりの原点です。どこが好きとは言えないですが、嫌いになろうと思ってもなれない街です。
 
 A留学時代の上海と比べて一番変わったと思ったのは、タバコ屋などのお店の人の対応。ソフトになりましたね。「対不起(ごめんなさい)」、「謝謝」と言う人が多くなっているので、日常のコミュニケーションも円滑になったように思います。

 B画一的な街づくりではなく、上海らしい良さを残しつつ発展してほしいです。

 C表通りを少し入った路地、石庫門建築などの上海特有の街並みが残るところ。

   
   
 



   
 

松村扶美さん
MATSUMURA Fumi
パヒューマ上海
セールスマネージャー



 
上海歴通算約
2年半
   
   

 
 
   
「上海にはエネルギーが満ちています」

 

 1967年兵庫県生まれ。大学卒業後、生命保険会社に総合職として入社。日本での生活に閉塞感を感じ、「もっと人とかかわれる、中国とかかわれる仕事がしたい」と、96年北京へ留学。その後、シンガポール国立大学MBAコースに進学し、99年秋修了。大学院在学中にクラスメートであった現在の夫と知り合い、2000年、夫の故郷である上海で結婚。現在、大手人材紹介会社の上海現地法人で充実感を持って働く毎日。

 @発展し続ける街、上海には、チャンスも多く、新しいものをどんどん取り入れるエネルギーに満ちています。そんな上海が好きです。

 A建設ラッシュで、街並がどんどん変化しています。居住も含めた生活環境も目に見えて良くなっていますね。

 Bアジアでナンバーワンの国際都市に成長してほしいです。

 C昔のフランス租界の衡山路や康平路、それに浦東地区の世紀公園が好きです。

   
   
 



   
   
藤田康介さん
FUJITA Kosuke
上海中医大学大学院生



 
上海歴通算約
6年半
   
       
 
   
中国の国家医師免許取得をめざす

 

 1974年大阪生まれ。小学生の頃から医師を志す。高校時代、祖母の治療に漢方薬が効果を発揮するさまを見て、中医学に興味を持つ。1996年上海へ留学。1年間の語学研修を経て、上海中医大学へ入学。中医学の知識をより深めるために、修士課程に進学。専攻は内科(腎臓)。大学院修了後は、中国の国家医師免許を取得する計画。現在、日本の学術専門誌『中医臨床』に「上海の医療事情」を連載執筆中。

 @新しいものを積極的に受け入れる素地があること。実力主義の一方で、仲間や老人を思いやる温かさを持つなど二面性があるところにも魅力を感じます。

 A交通渋滞が以前にもまして悪化。マイホームを持った人たちの関心が、マイカーに向かい出したことも変化ですね。公園があちこちに作られ、ホッと息抜きのできる場所が増えたことは嬉しいです。

 B単なる「日中友好」という言葉だけに終わらせるのではなく、もっと深い意味での日中交流をしていくべき。日本人が中国を理解できるような環境も必要で、中国に長くいる日本人の使命の一つなのかも。

 C浦東地区の濱江大道と、夜の外灘。夜景は最高! ライトアップされたバンドを背景に行き交う船を眺めるのもまた良し。

   
   
 



   
   
山田弥生さん
YAMADA Yayoi
旅行コンサルティング会社を起業



 
上海歴通算約
3年
   
       
 
   
上海はワーキングマザーに優しい街

 

 1972年静岡県生まれ。国際観光専門学校卒業後、地元の旅行会社に就職。24歳でフリーの旅行添乗員に。99年、仕事で訪れた中国に一目ぼれ。上海でのビジネスチャンスを実感し、2000年2月に上海へ留学。2001年末、中国人の友人と共同で念願の旅行コンサルティング会社、上海海生諮詢有限公司を設立。その傍ら、カクテルバー「Sea Born」も経営するワーキングマザー。

 @上海では、ベビーシッターさんに子供を預けて安心して働けますし、多くのチャンスが期待できるところも魅力的。それから日本人、中国人のいい友人たちがいることも好きな理由の一つですね。

 A現在でも高層の建物が上海には2000以上ありますが、今後はもっと増えるでしょうね。国際都市になりつつあります。

 Bマナーの面も、国際都市にふさわしいものになっていくでしょうね。個人的には、日本(静岡)は私を作り上げたところで、上海の未来は私と息子、海生を作るところです。アイ・ラブ・シャンハイです!

 C私のお店(Sea Born)! そしてやっぱり、外灘。ここは何度見ても最高! 上海の今と昔が一度に感じられます。

   
   
 


 
   
   
   

   
 
   
上海で流行っている食べ物、飲み物

 @ 香辣蟹

 本誌2002年11期で詳しく紹介したように、「香辣蟹」は上海でブームになっていて、いまや上海のどんなレストランでも食べられる。この料理はもともと四川・成都で始まったという。まず、新鮮な蟹を強火で炒めた後、サンショウやトウガラシなどで味付けした「麻辣湯」の鍋の中で煮ると出来上がり。食べるとスパイシーの味と香りが広がり、格別の風味がある。
 
 A ブラジル焼肉(シュラスコ)

 上海の淮海路や南京路などの繁華街の路上で、いたるところに行列が見られる。「ブラジル焼肉」を食べようという人たちだ。この食べ物はもともとブラジル西部の草原に暮らす遊牧民の素朴なライフスタイルに、その起源がある。大きな肉の塊を炭火で焼き、塩で味付けする。素朴でおいしいと、上海の、とくに若者に、大変人気がある。
 
 B アップルパイ

 中国語では「苹果派」と書く。「苹果」はリンゴ、「派」は「パイ」。リンゴだけのもの以外に、タマゴや干しブドウ、レモン、アンズ、マンゴーなどを加えて焼いたパイもあり、いろいろ違った味がする。

 C 氷

 氷を食べるのは、本来、夏の暑さを解消するためだった。しかし、厳冬期になっても氷を食べに行くのが、目下、上海で流行している。氷を削る機械が違えば、さまざまな形の氷ができる。透き通った氷の粒の上に小豆や緑豆、レモン、香草などを乗せると、おいしいうえに見た目も美しい。上海の多くの若い女性たちが、集まったり、暇をつぶしたりするとき、よく喫茶店に行って、ちょっと気分を変える。

上海の有名なバー

 @ 老年爵士酒バー 上海・南京路20号 和平飯店一階 電話:021- 6321-6888 

 このバーは、昔の上海を懐かしむバーのシンボルで、平均年齢75歳のオールド・ジャズバンドの演奏が有名。英国のエリザベス女王、フランスのミッテラン大統領もここを訪れた。

 A 夏尼可可 上海・淮海中路111号(汾陽路入口) 電話:021-6347-2013

 ヨーロッパ風の洋食と正統派のコーヒーを出すバー。フランス料理を主に、欧州各地で流行しているおいしい料理を出す。その他、戸外にバルセロナ風のビアガーデンがある。毎晩九時から十時まで、ジャズバンドの演奏とシンガーの叙情的な歌がある。

 B 東海堂 上海・茂名南路162号E座 電話:021-6415-0227

 コーヒーと酒、軽食を出すほか、書画や彫刻、工芸品などを商う上海で評判の文化バー。店内の家具はみな60〜70年経ったもので、その中の高さ2・6メートルに達する壁全体のマントルピースは、上海だけにしかない。主人の徐竜森さんは、中国の有名な油絵画家であり、彫刻家であり、また芸術の管理人でもある。だから、酒場の中には多くの油絵作品の原画が懸けられていて、バー全体に濃厚な芸術的雰囲気が漂っている。

 C bourben street 上海・衡山路191号 電話:021- 6445-7556

 ムード溢れる衡山路にあって、このバーの巨大な白い建物はとくに目を引く。ここでは非常においしい南米の食べ物を出し、また有名な  のロチェ・サンチェスが出演している。(2003年1月号より)