●特集

首都の新交通システム発車オーライ


 
 

 昨年の秋、北京の都市鉄道13号線の試験営業が始まった。これに伴って、北京の人々は、自分たちの住んでいるこの北京という大都市に対し認識を新たにし、自らの生活設計を再調整し始めた。

 北京市民にとってさらに嬉しいことは、今後6年間に毎年40キロの軌道交通が新たに開通し、利用できるようになるということだ。軌道交通の激増は、北京の人々にまったく新しい生活様式をもたらし、そして北京そのものを変えようとしている。

 

●特集@
都市鉄道ものがたり
文・侯若虹 写真・馮進

裸足で買った一番切符

都市鉄道開通の当日、一番電車に乗ろうと、始発駅の西直門駅前に集まった人たち(撮影・楊振生)

 昨年9月28日午後3時、北京の都市鉄道が初めて開通した。

 その日の正午過ぎには、始発駅の西直門駅で電車を待つ人は三百人を超えていた。その後もあちこちから市民が駅にやってきて、黒山の人だかりとなった。こんな騒ぎになろうとは、誰も予想していなかった。

 西直門駅だけではなかった。途中で停まる各駅も、乗客でいっぱいになった。万を超す老若男女が蟻のように群がり、列を作った。その人々の半数近くは、白髪頭のお年寄りだった。彼らの多くはタオルとペットボトル持参で、新聞を手に、駅前にじっと並んでいた。一時間も並んだという年長の婦人は「こんなに人が多いとは思いもよらなかった。それでは一番電車に乗れないみたいだわ」と嘆いた。

開通したばかりの都市鉄道に乗って沿線を観光するのは、退職したお年寄りたちの大きな楽しみの一つになっている

 実際、午後3時に一番電車が発車してから午後四時半までに16本の電車が出たが、どの電車もぎゅう詰め満員で、全部で一万人近い乗客を運んだ。

 一番電車に乗ろうという人もいれば、コレクション用に一番切符を買おうという人もいる。都市鉄道開通後の一番切符は、意外にも、山東省からきた旅行客の李順康さんの手に落ちた。

 三十数歳の李さんは、開通日前日の27日の午後、西直門駅にやってきた。「地形を偵察」するためだ。そして当日は早々と駅にやってきて、まるまる七時間、並んだ。

 李さんはその時のことを思い出してこう言う。「いよいよ切符の発売が始まると、切符を買おうと並んでいた人たちはまるで百メートル競走のように、駅の入り口から切符売り場の窓口に殺到したのです。わずか数十メートルしかないのに、押し合いへし合いする間に、履いていた靴は両方とも人に踏まれて無くなってしまいました」

 それでも李さんは裸足で走った。そしてついに「13号線車票000001号」を手に入れたのだった。それはコレクションとして、大いに価値があるものだ。

西直門の変遷

 都市鉄道は、始発駅が北京市の西の西直門で、終着駅は北京市の東の東直門である。

 昔は、北京の中心部を囲む「内城」があって、「内城」には九つの門があった。清朝時代、この九つの門から城内に運び込まれる物品は、各門ごとにきっちりと決まっていた。東直門からは燃料の薪が運び込まれ、西直門からは皇帝の飲料水が運び込まれた。この水は、北京郊外の玉泉山の水で、毎朝、西直門を通って、皇居に運ばれたのだった。

都市鉄道に乗って「おじいちゃんといっしょに、ボクも北京の市内へ出かけるんだ」

 かつては、西直門を一歩出れば、そこは郊外だった。しかし今の西直門は、北京市の中心部を一周する二環路に接している。1971年に北京の地下鉄が開通し、西直門には2号線の始発駅が置かれた。70年代末には、西直門に立体交差橋が建設された。これは北京市内で最初の立体交差橋の一つだった。

 さらに西直門には、汽車の駅もある。北京北駅である。北京と包頭を結ぶ「京包線」がここから出る。内蒙古や河北に向かう短距離列車の始発駅である。またここからは、八達嶺や慕田峪の万里の長城や風光明媚な河北省莊源県の野三坡など、北京にほど近い観光地に向かう列車が何本も出る。

都市鉄道13号線の西直門駅で、北京で初めての都市鉄道につながる。ここは市内から西や北の郊外へ通じる重要な交通の要衝となった

 西直門の周辺に住む人々は、何度も西直門の変貌を目の当たりにしてきた。西直門の高粱橋東巷に住む董国強さんは、ここに住んでもう5、60年になる。もともと父親は鉄道の西直門駅の駅員だった。

 2000年に、都市鉄道の建設のため、この辺りは大規模な取り壊しと移転が始まった。家が取り壊されてよそへ移転する前に、董さんと近くに住む人たちはお別れの会を開いた。お互いに別れが辛く、互いに移転先の電話番号を教えあった。

 引っ越した後のある日、80歳を過ぎた董さんの母親が病気になった。そして生涯住んできた昔の場所のことをなつかしむのだった。そこで董さんはビデオカメラを借りてきて、「お母さん、あなたが思い出している昔住んでいたあの場所を、ビデオに撮って来ますからね」と出かけた。

都市鉄道は、上地の情報産業基地を走る

 しかし、昔住んでいた場所には、往時を偲ばせるものはなにもなかった。新たに建設された都市鉄道の駅舎も初めて見るものだった。そのビデオを見た母親は「変わったね、変わったね」と繰り返し言った。

 計画によると、今後、西直門は北京の重要な交通のターミナルセンターになる。将来、乗客は駅ビルの中で、都市鉄道や地下鉄、バスなどの公共交通手段に乗り換えることができ、便利になる。と同時に、29億元を投資して建設される「西環広場」には、オフィスビル、レストラン、娯楽施設、デパート、スーパーなどの各種のサービス施設が造られる。人々は乗り換えの時に、買い物や食事などができるようになる。

 董さんも母親同様、昔住んだ土地が忘れられない。しかし彼はこう言う。「北京で最初の都市鉄道が私たちの西直門に造られたことは本当に嬉しい。今後ここは交通の要衝となり、上には都市鉄道が、中間には幹線道路の二環路が、下には地下鉄が走る。西直門はきっと、もっとにぎやかになるに違いない。将来『私は以前、ここに住んでいたんだよ』と人に誇ることができるしね」

新たな都市景観が生まれる

都市鉄道は、北京の市街を貫いて走る

 西直門駅始発の都市鉄道は、まず北に向かい、さらに東に向きを変え、そしてさらに南に向かって走り、終着の東直門駅に着く。北京市の西北部、北部、東北部を巡る逆U字型の、全長四0・85キロである。

 途中で停まる駅は16。西城、海淀、昌平、朝陽、東城の五つの区を貫いて走る。

 北西部ではハイテク産業で有名な中関村や上地情報産業基地を貫いて走る。この一帯は、北京のハイテク企業がもっとも集中していて、北京では発展がもっとも速い地区である。ここには中国科学院の多くの研究所や北京大学、清華大学、北京航空航天大学などの有名な大学が集まっている。

時刻表通りに、高速で走る軌道交通は、都市住民の重要な交通手段になりつつある

 北部と東北部には、新たな大型住宅区が数カ所建設される予定で、一定の規模を備えた北京周辺の新しい街になる。故宮を中心として北京の南北を貫く中軸線近くに位置する北部の立水橋駅は、将来、中軸線と並行して走る現在建設中の地下鉄5号線と交わり、郊外から市の中心部へ向かうのにいっそう便利になる。

 ここ数年、北京の都市の規模は、年々拡大を続けてきた。1990年代から北京の住宅建設の重点は、市内から市の周辺部や衛星都市に移った。北部や東部の周辺地帯には、陸続として数カ所の大規模住宅区が建設された。政府が優遇政策をとっている「経済適用住宅」やマンション、別荘も建てられた。「経済適用住宅」は、土地譲渡税が免除され、その他の一部の税金が減免されるため、普通の商品住宅より価格は安い。

都市鉄道の開通は、郊外の不動産業に活況をもたらした

 住宅の建設にともなって、それに付随する各種の生活サービス施設が建設され、都市機能は郊外にまで拡大した。それによって北京周辺の農村と鎮(地方小都市)も大きな変貌を遂げた。

 都市鉄道で、海淀区の知春里に住んでいる趙さんという女性と乗り合わせた。彼女は28年前、霍営で人民公社の生産隊に下放されて農作業をした。当時の霍営周辺は、一面の畑で、5キロ行っても人っ子一人いなかったほどだったという。しかし今、都市鉄道に乗ってこの辺りを走っても、まったく知らない土地のように彼女は感じた。沿線には、色とりどりの中高層アパート群がびっしり建ち並び、かつての農地はにぎやかな地方の小都市に変わっていた。趙さんは都市鉄道に乗って一度に二回も往復し、昔なじみの土地の新たな姿を仔細に観賞したのだった。

遠距離通勤もOK

 都市鉄道の開通でウケにいっているのは、沿線の不動産を扱う業者だ。一番電車に乗った不動産業者は乗客に住宅の紹介パンフレットを配って回った。

 竜沢駅で降りてみた。この辺りの住宅の価格を尋ねるためだ。と言うのは、98年に友人といっしょにこの辺の住宅を見にきたことがあるからだ。当時、住宅の価格は安く、わずか1平米2600元(約4万円)だった。しかし、市内からあまりに遠い。その点を考えて、友人はここの住宅を買わなかった。だが現在、ここの住宅価格は1平米4400元に跳ね上がってしまった。

都市鉄道の開通で、城北地区から出勤する人は大変便利になった。自家用車通勤をやめて電車通勤に切り替えた人もいる

 都市が絶えず外へと広がることによって、元は辺鄙だった場所の人口が激増する。だが交通がそれに追いつかないため、市内に勤める人たちにとっては大変不便だ。

 例えば有名な「経済適用住宅」の一つである回竜観文化居住区は、その計画建築総面積が850万平米もあり、計画居住住民は20万人である。しかし、市内に通ずる道は一本しかない。そのため、出勤、退勤のピーク時には、車の渋滞がひどく、うんざりさせられる。郊外に移って田園のロマンチックな生活を楽しみたいと思っていた人たちが最初に直面するのは、毎日の通勤で味わう交通渋滞の悩みである。

 西城区三里河のある政府機関に勤める女性の王さんは、住宅が狭いので3年前、回竜観文化居住区に広い住宅を買った。しかし、バスで行こうと自家用車で行こうと、毎日の通勤には二時間近くかかった。このため仕方なく、この住宅を「週末を過ごす別荘」にし、平日は市内にある父母の古い二部屋の中で我慢して暮らすほかはなかった。

 だが、都市鉄道の開通で、王さんは転居を決めた。開通したその日、彼女は、長い間粗略に扱ってきた新居に正式に入居したのだった。

都市鉄道はできたが、街はまだ建設中。駅から先の交通手段はまだ完備していない。そこで個人経営のオート三輪が駅前に登場する

 都市鉄道は速く、しかも時刻表どおりに正確に運行されている。それによって長距離であっても所用時間が保障される。決まった時刻に駅に行きさえすれば、正確に予想した時刻に事務所に着くことができるのだ。このことは間違いなく、人々の生活様式に変化をもたらした。

 郊外の西二旗に住み、西直門に勤める許琳さんは、職場まで遠いため、2年前、自家用車を購入し、通勤を始めた。だが今、彼女は都市鉄道で通勤している。「都市鉄道には交通渋滞はないし、20分で勤務先に着く。遅刻しないという安全性は高く、便利でもある。通勤で車を運転しないから、家族も安心している」と彼女は言うのだ。

 いま、許琳さんの自家用車は、週末か休暇で遊びに出かけるときだけ使われている。

【メモ】

都市鉄道の切符はいまのところ一律3元

 ▽ 現在運行している都市鉄道は3両編成。10分間隔で電車が来る。切符の値段は地下鉄と同じ1人3元。もし都市鉄道と地下鉄を乗り継ぐ場合は、1人5元。切符は人の手で売られている。今年中に自動発券・改札システムが導入され、使用が始まる。それ時点で切符の価格は、距離によって決められるようになる。基本料金は2元で、三駅まで。四駅から六駅までは3元、七駅から九駅までが4元、十駅以上は5元となる。

 ▽ 都市鉄道の列車騒音を減らすために、継ぎ目なしレールを敷設する技術が採用された。これによって、普通の列車のような運転中のガタンゴトンという音や揺れがなくなる。同時に、一部の区間では、振動を減らす機器が設置され、列車が通過する際に発する高い周波数の振動を低い周波数に抑える。駅や居民住宅、オフィスビルに近い区間の両側には、特殊な吸音材で造った消音障壁を設置し、騒音による影響を少なくする。(2003年3月号より)