特集 (その2)
ロマンチックな二人の世界を

李波菲君と鄭琳琳さんは手に手をとってロマンチックな大学生活を過ごしている

李波菲君 1981年生まれ 北京放送学院4年生
鄭琳琳さん  1980年生まれ 北京放送学院4年生

 この文章が読者の目に触れるころ、二人はフランスで暮らしているだろう。四年間の大学生活を楽しんだ後、このカップルはまったく新しい生活に再び入ろうとしている。

 「国を出ることなんて特別なことではない。私たちは生活環境をちょっと変えてみたいだけなのです」――これが、彼らのこれからしようとする留学生活に対する意見なのだ。

 ともに80年代に生まれた彼らは、多くの共通点を持っている。二人とも一人っ子で、芸術や自由な生活が好きだ。

 1999年、二人はともに北京放送学院に合格した。李君は撮影を、鄭さんはテレビの脚色・演出を専門に学んだ。大学一年の時、二人は知り合い、恋愛した。李君の言によると、彼らの大学生活は、勉強を以外は、愛情こそが彼らのもっとも重要なものになった。

 大学2年の時、鄭さんへの誕生日のプレゼントを買うため李君は、その月の生活費である600元を使い果たして、一匹のペットの子犬を買った。その後、ほぼ一カ月間、李君は毎日、即座麺に饅頭だけで過ごした。クラスメートたちは、ガールフレンドの歓心を買うために腹をすかしているのだ、と彼をからかった。

 一方、ペットの子犬の方も、鄭さんに喜びとともに多くの悩みをもたらした。ある時は、子犬が病気になり、彼女は毎日正午に、子犬を抱いて遠くまで病気の治療に行かなければならなかった。午後の授業に遅刻するといけないので、彼女は病院から注射器と薬を買ってきて、自分で注射を打った。注射を打つたびに彼女は自分自身が注射を打たれているような苦痛を感じた。「こんなかわいい小さな生命に手を下すなんて、私は耐えられないの」と彼女は友だちにこぼした。

他の若い人と同様に、李君もゲームが大好きだ。

 勉強や遊び以外に、インターネットも彼らの生活の重要な一部である。チャットやショッピング、ニュースのキャッチ……。彼らは、フランスに留学する前に得たフランスに対する理解やほとんどの情報は、ネットから取得したものだった。「現代人はテレビを見なくともやっていけるが、インターネットがなければやっていけない」と李君は言う。

 昨年、父親が部屋をリフォームすることを知った彼は、急いで父に電話して「便所の中にインターネット用のラインを引いてほしい。便利だから」と要求した。しかし、こうした彼の考えは、父親に反対され、最後は流産してしまったが……。

 一方の鄭さんは靴を買うのが好きだ。彼女が買う靴はほとんどスニーカーやサンダルだ。「違った時に違った靴を履かなければいけない。気に入った靴を見かければすぐ買ってしまう」と彼女は言う。

 すでに彼女は、百足以上の靴を持っているという。両親はこれに非常に腹を立て、娘の無駄遣いを叱った。このため彼女は、母親に見つからないように靴を分け、一部を従姉の家に置き、一部を友だちの家に置いた。

 ある時、李君と鄭さんは上海に遊びに出かけた。上海のマーケットをぶらついているとき、鄭さんは一足のスリッパが気に入ったのだが、何も言わなかった。後で実家の杭州に帰った李君はそれを知り、わざわざ車で上海までとって返し、そのスリッパを買って帰った。「家に帰ってから考えてみると、上海まで往復した旅費の方がスリッパの値段より少し高かった」と李君は言う。

 服に対しても彼らはそれぞれのこだわりがある。「服は、人がチャンスを獲得する大変重要なものだから、当然、気を配らなければいけない」という。彼らはいつも自分好みのいくつかのブランド品を身につけている。マーケットをぶらつく時でも、自分の好み以外のブランド品売り場には決して見に行かない。彼のブリーフは全部イタリアのブランド品で、それはいい加減にすることができないものだという。

 中国は70年代末から「一人っ子政策」を始め、一組の夫婦は原則的に子どもを一人しかつくらないことになった。だから、80年代に生まれた李君も鄭さんも一人っ子である。

 李君は4、5歳のころ、双子の家庭を非常に羨ましいと思った。自分にも弟がいればいいのにとずっと思っていた。しかし、中学に進んだ後は、こうした思いは薄れて行き、家庭内で彼がただ一人の子どもでなければならないと思うようになった。

 あるいは自己の独立した生活空間を持つことが習慣になっていたのかも知れない。大学2年の時、李君は鄭さんと校外に一室を借りていっしょに生活するようになった。昼間は学校で授業を受け、午後、放課後は自分の「小さな家」に帰ってくる。

 大学2年のころ、彼らは仕事を探し始めた。李君の最初の仕事は、あるテレビドラマの番組制作グループの中で、撮影を担当することだった。最初、監督が番組中の一部を試しに彼に撮影させてみたが、その結果、彼の撮影技術はなかなか良いことを発見し、彼を引きとめた。

「新人類」もときには働いて、生活を充実させる。二人の若い女性が、健康器具を通行人に売っている

 最初にもらった給料は千元だった。彼は大喜びで、鄭さんのために急いで腕時計を買い、自分の愛するガールフレンドと労働の成果を分かち合った。そのときほど、李君の自信が高まったことはない。「生活が実際、非常にリラックスしたものに感じられた。もし北京で生活するなら、うまくやっていけただろう」と彼は言う。

 しかし、彼らは最終的に出国を選択した。鄭さんは「私たちは一種の『運命共同体』の生活方式を選んだのです。これからどのように私たちがなるかは分かりませんが、生活はますます素晴らしいものになるでしょう」と言っている。

 将来の家庭についての考え方を尋ねると、彼らはこう言った。「結婚は必ずします。しかし、30歳過ぎまで待たなければなりません。子どもはやはりいない方が良い。子どもがいると疲れますから」2003年11月号より