特集 (その2)
人類に幸せをもたらす宇宙開発

宇宙船「神舟5号」は、ロケットに接続された(撮影・秦憲安)

 中国の宇宙飛行士として初めて宇宙空間に突入した楊利偉飛行士は、地球を7周回ったとき、左手に中国の国旗を、右手に国連の旗を持って、それを軽く打ち振った。また地球上に向けて中国語と英語で「宇宙の平和利用は全人類に幸せをもたらす」と述べた。この言葉は、宇宙を飛ぶ夢を実現した中国人が、全人類に対して行った厳粛な誓約であるということができる。

 人類による初期の宇宙探検は、米ソ冷戦時代の軍拡競争から始まった。そして絶えずエスカレートした宇宙開発競争が、超大国の政治的、軍事的対抗を宇宙に向かわせ、旧ソ連の国力を食い尽す結果となった。

 ソ連が崩壊し、米国は90年代初めに、壮大な「スターウォーズ計画」を中止した。そして1993年から米国はロシアや欧州宇宙機関、日本などと共同で、「国際宇宙ステーション―α」(ISS―α)の建設に着手した。これは、宇宙空間での有人飛行の工程が、政治的、軍事的対抗を目標とする冷戦時代から、国際協力と実際的な科学技術や経済の利益を獲得することに着眼する新段階に変わったことを意味している。

 宇宙の平和的開発と利用は、その国だけでなく人類全体に巨大な幸せをもたらす。中国は20世紀の人類が経験した歴史とその教訓を総括したからこそ、初めて宇宙空間を飛んだ中国の宇宙飛行士が、人類の平和を象徴する国連の青い旗を振り、全人類に向けて平和の呼びかけを発したのだった。

宇宙の「千里眼」が地球を守る

中国の宇宙綜合測量船「遠望号」は、太平洋上で、衛星観測とコントロールの任務を遂行している(撮影・鄒毅)

 実は、中国は、無人飛行の時代に、宇宙での育種や資源・環境の探査観測、宇宙における製薬などの面で有益な試験をすでに行ってきた。1970年代に自力で研究・製作した最初の人工衛星を打ち上げてから、長年の努力の末、現在、国家遠隔探査センターや気象センター、資源衛星応用センター、海洋衛星応用センター、中国遠隔探査地上ステーションなど、衛星による遠隔探査応用機構を設立し、宇宙に設置された「眼」である衛星を利用して観測し、人々に福をもたらしている。

 たとえば、中国は「沙塵暴」と呼ばれる砂嵐の多発する国で、毎年春になると、長江以北の地域はどこも「沙塵暴」の襲撃を受ける。時には長江以南にある武漢、長沙などでもその影響を受け、場合によっては韓国や日本にまで黄砂が飛来することがある。

宇宙医学工程研究所の科学研究者たちは、飛行士が低圧で温度が変化する船内での生理適合試験を行った(撮影・鄒毅)

 「沙塵暴」を正確に予報するために、中国は1993年から衛星による遠隔探査技術で「沙塵暴」の観測を始めた。現在、中国は、国内外の10個の気象衛星からのデータを受けとって、「沙塵暴」の状況を観測している。科学者たちは「沙塵暴」の発生する時間や地域、発生源、経路、それに関連する要素、その影響などを分析、研究し、「沙塵暴」を抑え込むために、科学的根拠を提供している。

 2001年、中国とオーストラリアの科学者たちは協力して、「中国西北地区の土壌の風食と、『沙塵暴』観測・予報の研究」を行い、衛星によるデータを総合的に利用して、「沙塵暴」のもたらす砂の量を算出した。彼らは2001年に15回、2002年には13回の「沙塵暴」の日に観測を行い、砂の量を非常に正確に予測した。

 現在、中国にはすでに、甘粛、新疆、寧夏、内蒙古、ノツ西、山西、河北などの省と自治区に、32の地方観測ステーションが建設されており、「沙塵暴」を観測し、予測する願いは少しずつ叶えられ始めた。これからは、中国の国土の砂漠化防止や野生動植物の保護、三北(西北、華北、東北)の防護林建設などの政策決定のために科学的データを提供することができるだろう。

大型の遠心分離機試験室で、旋回する船室に乗った飛行士は、さまざまな要素が複合した人体実験に挑んだ(撮影・鄒毅)

 1999年、中国とブラジルが共同で研究・製作した衛星「資源1号」の打ち上げが成功した。この資源衛星の「眼」は、中国の国土のほとんど全域をカバーし、農業、林業、水資源、資源調査、都市計画、環境保護、災害の観測などの分野で重要な役割を発揮している。

 2000年4月9日、チベット自治区ボウォ県イゴンで稀有な規模の地すべりが発生した。水利部の遠隔探査センターは、衛星が提供したデータに基づいて、地すべりによって埋まった農地や住宅、道路の面積を算出した。早く、正確に被災状況をつかんだ結果、災害救助の政策決定までに貴重な時間を稼ぐことができたのである。

 新疆ウイグル自治区のタリム盆地の北縁にある鉱物資源埋蔵量と地下水資源の調査の際に、専門家は衛星写真を使って遠隔探査による映像図を作成し、四カ所の金と銅の鉱区の存在を予測し、五カ所の金と銅の鉱床を探し当てた。

 同時に、タリム河流域の浅層地下水の分布と生態系や地質環境の状況を明らかにした。これによって、タリム河流域の開発と合理的資源利用のための科学的根拠を提供したのだった。

農業の可能性を広げる宇宙育種

山東省カ沢市の牡丹の種子は、「神舟3号」に搭載され、宇宙を飛んだ後に突然変異を起こした。この「宇宙牡丹」の苗(手前)の育ち方は、普通の牡丹の苗(後方)より速い(newsphoto)

 1987年夏から今までに、中国の科学者は回収式の衛星や「神舟」宇宙船を使って、数百種の微生物や菌類、植物の種子を宇宙空間に送り出した。また「神舟3号」からは、試験管に入れた苗を搭載し、回収に成功した。宇宙で育成された農作物や果物は、今、人々の生活の中にまで入ってきている。

 中国の専門家たちは、1987年に衛星にピーマンの純粋種の種子を搭載し、回収した種子を地上で何世代も淘汰育成した結果、「宇宙ピーマン87―2」という新品種シリーズを生み出した。この新品種シリーズは、地上で育成されるピーマンに比べ、形は大きく、ビタミンCを多く含み、早熟で、病虫害への抵抗力は強く、味も良いなどの優秀な特徴を持っている。「宇宙ピーマン」は一個の平均重量が300グラムで、大きなものは500グラムに達する。生産量は20%も多い。数年間、大面積で栽培しても、生産量や優良な特性を保ち続けるという。

 専門家によると、宇宙空間では、超真空、微重力、宇宙背景輻射の三要素が総合的に作用し、植物は地球上ではマネのできない変化を起こすことができるという。地球上では少なくとも四代の淘汰育成を経てはじめて、生産量が高く、優良で、特殊性のある新品種のシリーズが誕生するという。

今年五月、浙江省杭州市のスーパーマーケットに、最初に作られた「宇宙野菜」が売り出された(newsphoto)

 1992年、中国の水稲とトウモロコシを交配した「婁玉3号」の水稲の種子が衛星に載せられ、88時間、宇宙を飛んだ後、地上に回収された。5代にわたる淘汰育成を経て「宇航1号太空稲」が誕生した。1997年、この新品種を試験的に植えたところ、稲は背が低く、根に近い茎から多く枝分かれし、病気に対する抵抗力が強く、早く熟し、稲穂は長く、たんぱく質の含有量が高く、美味しいという優秀な稲となった。収穫量も平均で1ムー(6・66アール)当たり577キロで、多いものは642キロに達した。

 こうした宇宙開発技術と近代的な育種技術の有機的な結合を使って、50種以上の農作物の優良新品種が相次いで誕生した。わずか世界の7%の耕地を使って、世界人口の22%を養っている中国にとって、「宇宙育種」は農作物の生産量と品質を高める一つの有効な道であると言える。

癌に効く薬の開発も

「神舟5号」の打ち上げ成功を告げる号外に見入る上海の市民(cnsphoto)

 宇宙船に積まれた物には、農作物の種子の他に、特殊な使命を帯びた癌細胞もあった。2003年初め、「神舟4号」が帰還したとき、宇宙という特殊な環境の洗礼を受けた数千の癌の細胞が、北京中日友好病院の科学研究者たちの手に入った。これは同病院が行った癌細胞の宇宙搭載実験で、中国では最初の、系統的で大規模な研究であった。

 この研究の責任者である同病院臨床医学研究所の唐天勁所長の説明によると、回収されたこれらの細胞を研究した結果、細胞の生長が遅くなり、細胞増殖の周期が変化し、細胞の形が変わり、血管の内皮細胞に対する癌細胞の粘着性が変わったという。このことはおそらく、細胞の遺伝子の形状に変化が発生したことを意味している。従ってこれは、癌を制圧する新型の薬を製造する喜ばしい第一歩が踏み出されたことを意味する。

宇宙を飛んで帰ってきたさまざまな物資が、「帰還船」から取り出された(cnsphoto)

 「神舟4号」には抗癌に関係のあるものが積まれていた。それは試験管に入れられたイチイ(紅豆杉)の苗である。イチイは世界で絶滅が危惧される珍しい保護品種で、中国でも一級の保護植物である。世界的に認められている抗癌新薬の「イチイ・アルコール」は、イチイの木からとらなければならない。しかし、イチイの生育に適した地域は非常に狭く、その生長は遅い。このため、イチイを人工的に速成栽培することは、「イチイ・アルコール」を効率的にとる有効な方法である。宇宙の特殊な環境の作用によって、イチイの生長周期を早めることができれば、抗癌の分野で大きな役割が期待できる。

 このほか、ツリガネニンジン、マオウ、チョウセンニンジン、セイヨウニンジン、チョウセンゴミシ、エゾウコギ、冬虫夏草などの漢方薬も宇宙を飛んだ。

 専門家によると漢方薬は、交配できる農作物の種子とは違うため、一代一代と育成する必要はなく、突然変異を起こした後の変化を直接見ることができるという。しかし、生長の周期が非常に長い品種もあり、たとえばチョウセンニンジンは6年、セイヨウニンジンは4年を要し、生長してはじめて、宇宙を飛んだことの効果を検証することができる。

 いずれにせよ、こうした実験は、人々にとって非常に有益なものである。宇宙での有人飛行の実現にともない、さらに複雑な機能を持つ宇宙の実験室は、かならずや人類に、さらに多くの新しい薬品や材料、物質をもたらし、私たちの生活をもっと変えるに違いない。


◆小資料       中国の宇宙開発の歩み

【衛星と宇宙船】

 ▼ 中国では1956年、国防部に第五研究院が設立され、ロケット工学の権威、銭学森氏が院長に就任した。これが中国の宇宙開発技術の揺り籠となった。

 ▼ 1958年、毛沢東主席が「我々も人工衛星をやらなければならない」と提唱した。

 ▼ 1965年、中国経済が好転し始めた。6月には、1970〜71年に最初の人工衛星を打ち上げることが確定した。

 ▼ 1970年4月24日、中国最初の人工衛星「東方紅1号」が打ち上げられた。これは政治的狙いの強い衛星で、もともとは宇宙空間の環境データを探査することを任務としていたが、後に『東方紅』のメロディーを放送するよう改められた。

 ▼ 1975年11月26日、中国は最初の回収式の衛星を成功裏に打ち上げ、衛星を回収する技術を持った世界で三番目の国になった。

 ▼ 1984年4月8日、「東方紅」シリーズの衛星「東方紅2号」の打ち上げに成功。この衛星は、「東方紅1号」とは、名前を除き、完全に異なるもので、中国で初の静止軌道の試験通信衛星であった。この衛星によって中国全国をカバーする衛星通信が実現した。

 ▼ 1988年9月7日、中国最初の気象衛星「風雲1号」が打ち上げられた。しかし、衛星に積んであった器材の部品が故障し、わずか19日稼働しただけだった。

 ▼ 1992年、中国は有人宇宙飛行を発展させる戦略を決定した。

 ▼ 1997年5月12日、通信衛星「東方紅3号」の打ち上げに成功。今日まで6年以上、正常に機能している。

 ▼ 1997年6月10日、「風雲2号」が打ち上げられ、中国は世界で4番目、アジアでは最初の気象衛星の地上観測ステーションを設立した。

 ▼ 1999年10月14日、中国はブラジルと共同で研究・製作した「資源1号」衛星の打ち上げに成功し、中国の宇宙空間技術の全面的な国際協力の先駆けとなった。その後、誘導衛星「北斗」、中国独自の「資源2号」衛星など一連の実用衛星が相次いで打ち上げられた。

 ▼ 1999年11月20日、有人飛行のための試験宇宙船「神舟1号」の打ち上げに初めて成功し、地球を14周した。これにより中国は、米ロに次ぐ世界三番目の有人宇宙飛行の技術を持つ国となった。

 ▼ 2001年1月10日、「神舟2号」が打ち上げられ、軌道上を7日間飛行して地上に回収された。これは中国で最初の、実物大の宇宙船であった。

 ▼ 2002年3月25日、「神舟3号」が打ち上げられた。宇宙船には人体の代謝の模擬装置が搭載され、一連の宇宙空間の科学実験が成功裏に行われた。

 ▼ 2002年5月、「海洋1号」の打ち上げに成功。これは中国で最初の海洋衛星である。これによって中国は、科学試験、回収式遠隔操作、気象、通信、資源探査、海洋の六大衛星体系が基本的に完成した。

 ▼ 2002年12月30日、「神舟4号」の打ち上げに成功。この宇宙船は、人を乗せていないことを除き、技術的な状態は有人の宇宙船とまったく同じであった。

【ロケット】

 ▼ 1960年、中国は最初の近距離地対地ミサイル「東風1号」を研究・製作した。「東風1号」の成功後、ただちに「東風2号」の研究・製作が始まった。「東風2号」の全長は20・9メートルで、「東風1号」の17・7メートルより長く、射程も倍近くなり、千キロクラスに達したので、短・中距離ミサイルに数えられた。(運搬ロケットと弾道ミサイルは互換性があり、弾道ミサイルの弾頭部分を衛星に置き換え、制御システムを少し変えれば運搬ロケットになる)

 ▼ 「東風2号」ミサイルの基礎の上に、中国は「長征1号」運搬ロケットの研究・製作に成功した。「長征1号」の最初の打ち上げは1970年4月24日で、人工衛星「東方紅1号」を宇宙空間に送り出した。「東方紅1号」の重さは173キロだった。これよりさらに重い衛星を打ち上げるため、中国は「長征2号」ロケットの研究・製作を始め、1975年11月26日、その打ち上げに成功した。

 ▼ 「長征2号」は、「長征」シリーズのロケットの母体となった。それ以後の「長2丙」「長2丁」「長2戊」や「長征3号」「長征4号」はみな「長征2号」から進化したものである。「長征2号」の「コンホウ式」と呼ばれるクラスター・ロケットは、9・2トンの積載物を2000キロ以下の近地点軌道に送り出すことができる。(国土の全面調査、気象、資源探査、通信などに用いられる衛星はみなこの空間を運行している)

 ▼ 中国には「長征」シリーズの他にも「風暴」シリーズのロケットがあり、1981年9月20日、「実践1号」「実践2号甲」「実践2号乙」の三個の衛星が「風暴1号」ロケットで近地点軌道に打ち上げられ、「一ロケットで三個の衛星を上げた」といわれた。しかし、風暴シリーズはその後、ほとんどすべてが失敗し、現在このシリーズは完全に生産を停止している。

 ▼ 今回の宇宙船「神舟5号」で使用されたのは、「長征2号F型」ロケット。このロケットは、故障検査システムや退避システムを含む55項目の新技術が初めて採用された。ロケットの全長は58・3メートル、打ち上げることができる重量は479・8トンで、現在、中国が研究・製作しているロケットの中でもっとも長く、もっとも重いロケットである。


 

数字で見る宇宙開発のデータ
 
 


 ●「神舟5号」に直接かかった費用は、10億元未満。「神舟1号」から「神舟4号」までの四つの試験宇宙船にかかった費用はそれぞれ約8億元。

 ●「神舟5号」の飛行中、13の観測コントロールステーションが通信網を作り上げ、宇宙船をサポートした。13の観測コントロールステーションの内訳は、太平洋、大西洋、インド洋上に配置された4隻の宇宙開発測量船「遠望号」、中国国内の陸上に置かれた5カ所の固定式ステーションと1カ所の移動式ステーション、外国に置かれた3カ所のステーションである。外国の3カ所は、ナミビア、カラチ、マリンディ(ケニア)に置かれた。

 ●「神舟5号」の打ち上げ成功によって、運搬ロケットの「長征」は、1996年以来連続29回打ち上げ成功の記録を樹立した。

 ●「長征」シリーズの運搬ロケットは、4系列、12の型を持ち、中国の宇宙開発の主力運搬手段となっている。現在までに、「長征」シリーズのロケットは71回打ち上げられ、50数個の異なる型の国産衛星と20数個の外国製の衛星、5隻の「神舟号」宇宙船を宇宙に送り出した。

 ●「長征2号F型」ロケットの信頼性の指標は0.97。これは100発のロケットを打ち上げて、3回以上問題が起こることはないということだ。また、ロケットの安全性の指標は0.997で、これは1000回の故障で採られた救助措置が失敗するのは3回以下ということを意味している。2003年12月号より