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中国の東北とは、遼寧、吉林、黒竜江の三省を指す。ここは石油、石炭、鉄鉱石などの資源が豊富な大重工業地帯である。 計画経済の時代、東北は中国経済の花形だった。国家の資金が投入され、製品は国家に納められた。ところが市場経済の時代になると、大型の国有企業は赤字に悩み、一転して中国経済のお荷物になってしまった。 東北の古い重工業をいかにして改造し、活性化させるか――温家宝総理は今年の『政府活動報告』で、「東北地区の旧工業基地振興」を強調した。 実はすでに、遼寧省では「東北振興」を目指すさまざまな改革が始まっている。しかし大型の国有企業を再建するには、膨大な資金が必要だ。余剰人員を削減しなければならない。 実態はどうなっているのだろう。省都の瀋陽と、鉄鋼の街、鞍山にその実情を見た。
鞍鋼はいかに鍛えられたか
中国人は「鞍鋼」と呼ぶ。遼寧省鞍山市にある鞍山鋼鉄公司のことである。日本でもその名を知られた国有の大製鉄工場だ。 高さ107メートルもある高炉「新1号」から、真っ赤に溶けた湯(どろどろの鉄)が流れ出す。高炉はすべて中国国産。容量は3200立方メートル。世界的な水準の高炉である。昨年4月から生産が始まった。 その鉄はさらに、日本から導入された圧延生産ラインにかけられる。轟音をあげながら薄い鋼板になり、大きなロールに巻き取られていく。これも2002年5月から稼働したばかり。日本の最新鋭工場より幅の広い鋼板を造る能力がある。 高炉の周辺は、熱で身体から汗が噴き出す。しかし、巨大な高炉に比して、ここで働く労働者の数は少ない。昼夜三交代、四シフトの勤務で、一シフトは13人の労働者しかいない。人ばかりが非常に多い中国の普通の工場とはまったく違う。 高炉の脇で、白く、厚い防護服に身を包んだ労働者の王東さんが、スラグ(鉱宰)を掻き出していた。27歳。鞍山出身。1997年、高等専門学校を卒業してから鞍鋼に就職した。月給は、最初の1年は1000元ほどだったが、いまは2000元余り。 「最新鋭の高炉で働く仕事に満足しています。東北振興ですか? 必ず成功しますよ」。騒音の中で王さんは、大きな声を張り上げた。 いま、鞍鋼には、「新1号」を含めて三基の高炉がある。圧延ラインは3本。かつてあった平炉はすべて転炉になり、現在は九基ある。 2003年、鞍鋼は鉄1020万トン、鋼1015万トン、鋼材956万トンを生産した。総売上げは310億元、利益は15億元、上納した税金は約40億元。いずれも史上最高だった。 石炭を買う金もなかった
しかしこんな鞍鋼の姿は、10年前には想像もつかないものだった。当時の鞍鋼に着任したばかりの劉 総経理は、『人民日報』でこう回顧している。 「当時、鞍鋼の職員・労働者は50万人もいて、他の製鉄所と比べもっとも人数が多かった。そのうち退職者は12万人だった。債務は138億元。資産負債率は67%。石炭を買う金もなく、鋼材をつくっても売れず、賃金も払えなかった。1935年製の高炉がまだ稼働していた。それなのに鞍鋼には、学校や病院、公安部門まであったのです」 計画経済時代の中国では、国の生産指令に基づいて生産すれば、それでよかった。解放後の1950年代には、中国の鉄鋼の約半分がここで生産された。鞍鋼は中国を代表する製鉄所であった。 しかし改革・開放政策によって、市場経済のメカニズムが国有企業にも及んできた。その結果、鞍鋼の鉄鋼は品質、価格の面で競争力を失ってしまった。 鞍鋼の改革は1995年から始まった。鉄鋼生産に直接かかわる部門以外は、子会社になって切り離され、株式化、独立採算制が導入された。株は上場され、資金が集まった。負債は、国の保有株に転換された。 新しい装置や設備が導入された。鉄鋼生産に直接かかわっていた10万人の労働者は、合理化で3万2000人になった。全体で50万人の職員・労働者が15万人まで減った。 鞍鋼はかつて自前の小中学校や医療施設、果樹園、牧場まで持っていた。「火葬場以外は何でもある」と冗談めかして言われたものだ。改革で、こうした社会的機能を企業本体から切り離すことになった。小学校など一部はまだ存続しているが、多くの機能が、鞍鋼の外に出た。 こうした改革が実を結んで、鞍鋼は黒字に転じた。これからは、さらに最新型高炉を、現在の3基から6、7基に増やす計画だ。2010年までに自動車用鋼板、家電用鋼板、電磁鋼板などの高級製品を増やし、国内のシェアを30%以上にすると意気込んでいる。 多くの試練が待ち受ける 「鞍鋼こそ東北振興の『排頭兵』(先頭に立つ兵士)だ」と鞍鋼で働く人々は胸を張る。しかし、現在の中国鉄鋼業は、建設ラッシュで需要が大きいため、生産すればすぐ売れるという好景気に支えられている。それが改革を下支えしてきた。 また、世界の鉄鋼業の先進企業に比べると、鞍鋼の生産効率はまだ低いと言わざるを得ない。昨年12月に中国中央テレビ(CCTV)が放送した『経済信息聯播』によると、労働者一人当たりの年間鉄鋼生産量は、日本の新日鉄が1400トン、韓国の浦項が1350トンなのに対し、鞍鋼は220トンに過ぎない。これを毎年100トンずつ増やしていく予定だが、それが実現しても、日本や韓国の水準に追いつくのは容易なことではない。 これから鞍鋼が東北振興を引っ張ってゆくには、さらに多くの試練を乗り越えなければならないだろう。
2000本以上の煙突が消えた
遼寧省の省都、瀋陽。市政府の西側、鉄道線路に囲まれて、鉄西区が広がる。この一帯は、高い煙突が林立する工場群で、かつてはこの煙突群から黒煙がモクモクと吐き出されていた。それこそ、瀋陽の繁栄の象徴だったである。 しかし今、煙を出している煙突はめっきり少なくなった。最盛時、5000本あった煙突は、2002年から今までに、2200本以上取り壊された。瀋陽市が始めた「藍天工程」で、今年はさらに千本が撤去される。 今年3月3日の早朝、鉄西区にあった瀋陽冶煉廠の巨大な煙突三本が爆破された。この工場は2002年8月、瀋陽市中級法院(裁判所)で破産が宣告された。煙突は、36万平方メートルの工場とともに撤去されたのだった。 土地が新区を産む 古い国有企業は民営化し、合併、破産、株式化などによって新しい企業に再生させる。古い工場は取り壊して、その土地の使用権を売る。40平方キロの鉄西区と54平方キロの瀋陽経済技術開発区を連結させて「鉄西新区」とし、ここに、新しい工場を移転させる――これが鉄西新区建設の基本構想である。 この構想は2001年から始まった。もともと鉄西区には、1000億元の資本があると見積もられていた。これを活性化させるには、500億元が必要だといわれた。問題は、その金をどこから捻出するかだった。 「土地資源を、土地資本に変える」――これが鉄西新区方式の秘密である。鉄西区の中にある20平方キロの土地から工場や煙突を撤去して、緑化し、環境を整える。そうすると、土地の価格は1平方メートル当たり1500元上昇する。それに売却すれば、300億元の移転資金が生まれる、という計算である。 この方式で、すでに112の企業が、鉄西区から鉄西新区に移転したり、他の土地へと移っていったりした。87の中小国有企業が民営化された。 いま、鉄西新区には1500社以上が集まっており、瀋陽の工業総生産と工業税の66%を占めている。瀋陽経済技術開発区には四十カ国と地域から千300件以上の投資が来ている。
鉄西区に、古くからある典型的な二つの国有企業がある。いずれも計画経済の下で、国の手厚い保護を受けてきたが、市場経済の下で経営不振に陥った。そして改革を断行し、再建に成功したケースである。 東北製薬集団有限責任公司(東薬)は、戦前は、武田薬品の工場だったが、1946年には八路軍の衛生材料廠となった。計画経済から市場経済に転換する過程で、東薬は新しい時代に適応できず、95年と96年の2年間、毎年2億元近い赤字を出した。 そこで市場経済に適応した管理や考え方を導入し、赤字の製品の製造を止め、ビタミン剤やエイズ治療薬など、得意分野にシフトした。97年当時、1万8000人いた職員・労働者を8700人に削減し、給与制度を能力中心主義に改めた。科学技術開発に総収入の四%を投入して新製品を開発し、輸出に力を入れた。こうした改革が效を奏して、98年には黒字に転換。昨年は1億5000万元の利益をあげるまでになった。 しかし東薬の党委副書記で工会(労働組合)主席の馮彦さんは「それでもまだ労働者が多すぎる」という。箱詰め作業の労働者を臨時工にするなどの改革を検討しているというのである。 発酵工程の工場で働く曹鉄さん(37歳)は、ビタミンCの製造部門の責任者。仕事に就いて18年になるが、最初の賃金は月44元だった。現在は約2000元。職工大学にも3年間通い、結婚し、女の子も生まれ、住宅も買った。改革の波は、企業に残ることのできた労働者には、やる気をもたらしている。 東薬のすぐ近くに瀋陽重型機械集団有限責任公司(瀋陽重機)がある。この企業は、瀋陽重型機器廠を改革して作られた国有独資公司である。工場の敷地面積52万平方メートル、資産総額42億6000万元。 戦前は住友重機の「奉天製鋼所」だった。戦後、当時のソ連が進駐し、多くの設備・機械が持ち去られたという。1949年に国が投資して東北機械二廠として出発、56年に瀋陽重型機器廠となった。 当時、ここには3万人の労働者が働いていた。毎年、3億〜6億元の工業生産を記録し、大型発電機、油圧式プレス、地下鉄建設用の掘削機などをつくる優良工場だった。しかし、計画経済の下では多くの負債を抱えてしまった。 改革で、負債を半減させ、さらに株式化して、銀行の債権を株に変えるなどして、現在、負債総額28億8000万元になった。職員・労働者も大幅に削減し、約5000人にした。日本などから先進技術を購入し、大胆な企業再建を行った。 その結果、昨年の売上げは8億7000万元に達し、前年より43%も伸びた。2005年には生産総額を20億元に伸ばし、税込みの利益を4500万元にしたいと意気込んでいる。 仕上げ工の盧峰さん(36歳)は「昨年は、これまでで最高に忙しかった。収入は多くなったが、残業も多かった」という。「東北振興は、強心剤のようなもの。私たちの瀋陽重機は、これでますます良くなりますよ」と笑顔を見せた。
失業した人はどうなる
鞍山市の再就職センターの中庭は、毎日、数百人の人で埋まっている。臨時の仕事を斡旋してもらおうという人、さまざまな訓練コースに参加しようという人、求人情報を求めてきた人……。市内には九カ所の再就職センターがあり、これがネットで結ばれて、就職情報は無料で見ることができる。 「古い工業基地の鞍山では、計画経済の時代に社会の発展に貢献してきた人々の多くが下崗(レイオフ)され、失業し、再就職を求めています。この人々をいかに新しい職に就かせるか。鞍山市はこれを『一号工程』として最重要課題とすることを決めました」と、鞍山市就業服務局の徐忠権副局長は説明した。 鞍鋼では、50万人いた職員・労働者を15万人まで減らした後、さらに毎年1万5000人ずつ減らしていく計画だ。鞍鋼関連の企業以外にも、政府の行政部門でもリストラが進んでいる。 企業の人減らしは、経営内容の改善をもたらすが、失業者の増加は社会不安を呼ぶ。社会が不安定になれば、生産にも影響がでるし、外資も来なくなる。だから、レイオフされた人や失業した人をいかにして新しい職につけるか、それが「東北振興」の成否に大きくかかわる。 今年1月、北京で開かれた東北三省の省長の記者会見で、当時の薄熙来・遼寧省長(その後、商務部長に就任)は「解決しなければならない問題」として「人の問題」を挙げ、こう述べた。 「遼寧省には300万人の退職労働者がおり、90万人が失業者として登記され、100万人以上がレイオフされている。都市における最低生活保障ライン以下の住民は、150万人である。これらの人々に仕事を与え、整った社会保障体系をつくりあげなければならない」 遼寧省は全国一、都市化された省だといわれる。人口の半分以上が都市に住んでいるからだ。市場経済化にともなう改革で、職を失った人々に対し、遼寧省は605カ所の訓練基地を設け、2010年までに400万人を新たに就業させようとしている。また、「社区」(コミュニティー)の中の清掃や治安など、高齢者の就業機会を増やし、70万人の職を確保する計画だ。 鞍山市の再就職センターは、コンピューターや家政、料理などさまざまな技能訓練コースを設けた。また「再創業センター」も建てられ、ここでは、自分で新たな事業を興そうという人に対し、専門のセミナーが開かれている。 鄒東さん(37歳)は、このセミナーを受けてから「創業」した。もともと鄒さんは政府機関に勤めていたが、300人がレイオフされたとき、彼もその中にいた。しばらくは衣料品の売買をしていたがうまくいかず、創業のセミナーを受けた。そして昨年秋から、魚菜市場で商売を始めた。 資本金は五万元。うち3万元は自己資金で、2万元は再就職センターが無利子で貸してくれた。これは2年間で返済する。商売は順調で、いまは総経理になっているという。 この「創業セミナー」からは301人が卒業したが、すでに106人が創業したという。中には成功して6階建てのビルをつくった人もいる。技能訓練コースを出て、中国の他の大都市に、運転手や家政婦として出稼ぎに出る人も多い。 しかし、再就職先が見つかったり、創業できたりした人は幸せと言うべきである。多くの人が失業保険を受ける。需給期間は24カ月で、遼寧省では平均で月に240元前後。昨年一年間で170万人が離職したが、失業保険を受けたのは七十数万人だった。
2年間の失業保険の期間が過ぎても仕事が見つからず、収入がない場合は、最低生活保障が支給される。地方によってまちまちだが、遼寧省では一人平均月156元だという。 退職者は企業から毎月、退職金の支給を受けるが、勤務年限が長い人は、退職時の給与の90〜100%を受けとる。これは企業にとっては大きな負担で、外資との合弁の際の障害になってきた。そこでレイオフするときに、一度に2万〜3万元の退職金を支払い、以後、その企業とは無関係になるという方法がかなり普遍的に実施されている。(2004年7月号より)
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