特集 「東北振興」が動きはじめた (その2)
ご存知ですか こんな観光スポット
  
 

 中国の観光といえば、古都の西安や首都の北京、長江くだりや万里の長城などに目が向けられてきました。万里の長城の外側にある中国・東北は、見るべきものがあまりないのでは、と思われていますが、いえいえ、意外に面白いところがあるのです。観光開発を進めて、多くの外国人に東北を知ってもらうこと、それも「東北振興」の柱の一つです。

世界遺産になる?瀋陽の故宮 

ヌルハチが建てた瀋陽故宮の大政殿の内部。満州族のテント式住居をかたどった宮殿建築である

 北京の故宮は有名ですが、瀋陽にも故宮があるのです。

 清朝の開祖で満州族のヌルハチ(1559〜1626年)が、「後金」という国を建て、都を遼陽から瀋陽に移したのが1624年のこと。すでに自ら帝位に就いていたヌルハチは、ここに宮殿を建設し始めました。ヌルハチの死後、跡を継いだホンタイジ(清の太宗、1592〜1643年)は、この宮殿で皇帝の位に登り、国号を「清」と改めました。そして宮殿を拡張し、現在の瀋陽故宮が基本的に完成したのです。

 敷地面積は6万平方メートル。百以上ある宮殿建築群は三つの部分に分かれています。東側の東路はヌルハチの時代に造られ、大政殿や十王亭があります。その隣の中路の崇政殿、清寧宮などの建物は、ホンタイジの時代に建てられました。中路の一部と西路は、乾隆年間(1736〜1795年)に増築されたものです。建物の建築様式や装飾などから、満州族が漢民族の文化や風習を取り込んで、次第に漢化していく様子が見て取れ、興味をそそります。

 瀋陽故宮は1985年から、全面的な整備が進められてきました。昨年11月には、これまで閉鎖されていた西路の部分の建物群が一般公開されました。また、故宮の塀の外を取り巻いていた住宅や商店が撤去され、故宮の正門に通じる商店街が造られました。そして、北京の故宮の一部として瀋陽故宮を世界遺産に登録する動きが進んでいます。

瀋陽故宮博物館の開館時間:午前8時半から午後5時半(ただし夏季は午後六時まで、冬季は午後4時半まで)年中無休。 入館料は50元(学生25元)

SLがずらりと並ぶ博物館

瀋陽にあるSLの博物館には、かつて豪華列車「あじあ」を牽引し、中国の大地を疾駆した「パシナ型」蒸気機関車(中央の青い色の機関車)が保存されている

 瀋陽市の北東の郊外、緩やかな丘陵地帯に、広大な植物園があります。その一角に、古いSLを集めた「瀋陽蒸気機車博物館」が建てられ、昨年8月から正式にオープンしました。

 ここには、かつて中国の大地を駆け回っていた15種類の蒸気機関車と3種類の複製の蒸気機関車が展示されています。中でも貴重なのは、旧南満州鉄道の大連―ハルビン、大連―釜山を結んで走っていた「パシナ型」蒸気機関車です。

 動輪の直径は2メートルで、日本で造られたSLの中で最大。最高時速130キロ。豪華列車の「あじあ」を、平均時速100キロで牽引していました。流線型の雄姿はいまも健在です。

 ここに展示されているのは、12輌造られたうちの一輌で、解放後は「勝利 号」と名付けられて、1980年まで中国・東北で働いていました。SLの博物館に運ばれてきたとき、曹斌館長は、この「パシナ型」を「動かしてみよう」と考えました。というのは、一九八四年までは、修理すれば動いたからです。

 しかし、「パシナ型」はもう動きませんでした。内部の部品が修理できないほど傷んでいたからです。

 このほか、旧満鉄の「ミカド型」も展示されています。その他に、米国、ドイツ、チェコ、ポーランド、旧ソ連、ルーマニア製のSLも並んでいます。

 中国は1988年までSLを製造していましたが、いまは製造を停止しています。それでもまだ多くのSLが、現在も、中国国内で働いています。鉱山や大工場の構内、ローカル線などで動いているSLを見かけます。遼寧省内だけで40輌あるそうです。

瀋陽蒸気機車博物館の開館時間:夏季 午前8時〜午後5時 冬季 午前8時半〜午後4時半 年中無休。 入館料 20元(学生10元)

ロシアからも「泥浴」に来る湯崗

鞍山市の湯崗子温泉は「泥浴」でも有名で、多くのロシア人が「泥浴」を楽しんでいる。

 鞍山市の南7キロ余りのところに、豊富な湯量の温泉が湧いています。摂氏57度から69度の温泉は無色無臭。温泉のしみ込んだ泥の中に入る「泥浴」もできます。

 古くは唐代に、この温泉は発見されていたといいます。開発されたのは1920年代。東北の軍閥、張作霖がここに「竜泉別墅」を建てました。その後、日本人が「対翠閣」という旅館を建て、その中に「竜宮温泉」を造りました。1930年初めには、ラスト・エンペラーの溥儀が、婉容皇后とともに2回もここに滞在しています。彼らが入浴した湯船も残っています。

 解放後、ここに理療医院が建てられました。現在、1300床あり、温泉を使ったリハビリが行われています。オーストリアから医師20人が来て、ここで中国の針灸と温泉を組み合わせた治療方法を学んでいます。

 湯崗子の特徴は、45度以上の鉱泥が広く分布していることです。微量な金属や温泉の成分がしみ込んだ鉱泥の中に身を横たえ、約15分間、「泥浴」すると、関節炎や外傷の後遺症、神経系統の疾病に良く効くとのことです。効果を聞きつけて、ロシアからも多数の湯治客がここに来て、「泥浴」を楽しんでいます。

中国最大の玉製の大仏

中国で最大の玉で造られた玉仏の背後に彫られた渡海観音の像

 1960年、遼寧省岫岩満州族自治県の玉の鉱山で、巨大な玉が発見されました。重さは260トンで、七色に輝いていました。それまでに発見された玉としては、ミャンマーの玉が最大でしたが、この玉はその7〜8倍もありました。この発見はただちに周恩来総理に報告され、保存するよう指示が出されたのです。

 その後、1992年、この巨大な玉を鞍山市に運び下ろすことが決まり、輸送大作戦が始まりました。玉は特殊な大型トレーラーに積まれ、前後に二輌の戦車がロープでトレーラーを引っ張り、ソロリソロリと山道を降りて行きました。作業は10月12日から11月5日までかかり、玉は鞍山市の東山風景区に安置されました。

 この玉をどうするかについては、さまざまな意見があったようですが、結局、玉で大仏を造ることになりました。

 120人の彫刻師が一年半がかりで玉を刻み、大仏は1995年10月に完成しました。正面には高さ5メートル余りの釈迦牟尼仏が、背面には渡海観音が刻まれて、2000年9月、玉仏の開眼供養が催されました。(2004年7月号より)