じわりと変わる日本語教育
 
 
  戴徳忠=文 劉世昭=写真
 
 

中国の大学で、日本語学習に変化が起こっている。

日本語を学ぶ人が増えているだけではない。これまでのように、日本文学や語学を中心にした教育から、日本の社会や経済、文化など、「日本そのもの」を教えるようになってきている。

日本のアニメや漫画、流行の日本文化が、多くの学生の日本語を学ぶきっかけになっている。日本語ができれば就職に有利だというのも、学生にとってのメリットだ。

英語は誰もが学ぶが、第二外国語として日本語を選択する学生も増えてきた。いまや二つの外国語をマスターする時代になった。

教材に、小津安二郎の映画や宮崎駿のアニメが使われるなど、教育のやり方も変わりつつある。

<中国のこんな「最新日本語教育事情」をご紹介しよう。

(その1)
 
なぜ日本語を学ぶのか 
――アンケートに見る

森下先生の教室は、笑い声が絶えない

 張麗アーさんは2003年9月に、北京外国語大学(略称・北京外大)の日本語学部に入学した学生である。彼女は、中学では英語を学び、日本語はゼロからの出発だった。日本語学習を始めたばかりのころ、彼女は日本語の入門の段階は易しく、日本語の話し言葉、とくに女の子がしゃべる日本語はとてもきれいだと思った。それで日本語学習に強い興味を持った。

 北京外大の日本語学部で教えている先生は、中国人の先生も日本人の先生もいる。日本人の森下早苗先生は会話を教えていて、学生たちの発音を矯正している。森下先生は若くて美人で、学生たちより歳がいくつか上なだけなので、まるでお姉さんのようだ。

 授業が始まったばかりのころは、学生たちの日本語も森下先生の中国語もあまりうまくなかったので、時には英語で意思を通じ合うこともあった。しかし、英語でもはっきり言えない場合は、森下先生は黒板に絵を描いて説明した。

 森下先生の授業は生き生きとして面白く、いつも学生たちに歌を教え、時には、学生たちといっしょに「猜拳」(種子や碁石など、小さいものを掌の中に握って、偶数か奇数かを当てる)という遊戯をして遊ぶこともある。

 また、学生たちに日本の映画や流行歌を紹介し、休み時間には、日本の民謡やフォークソングを聴かせた。全クラスの学生がみな彼女を尊敬している。そしてみんな、密かに、きっと日本語をマスターするぞと、心に決めている。

静かに広がる日本語ブーム

語学教育専門の北京外大の構内

 張麗アーさんのような日本語学習に情熱を燃やす学生は、どこの大学にもいる。

 独立行政法人の国際交流基金の北京事務所が調べた統計(2003年度)によると、中国で日本語を学んでいる人は、38万7924人に達している。これを1998年と比べると、十四万人以上増えている。また、2003年、中国の大学で日本語を学ぶ学生は20万4843人で、1998年より10万人以上増えた。

 日本語を学んでいる学生は、どんな学生なのか。どういう動機で日本語を学び始めたのか、将来の目標は何か――それを知るために、日本語を学ぶ学生が比較的多い人民大学で、弊誌は簡単なアンケート調査を行った。調査に協力してくれたのは百人の学生で、内訳は日本語学部の1、2、3年生47人と、日本語を第二外国語として学んでいる学生53人である。

 調査結果は表T〜表[のようになった。この結果から分かったことは、日本語を学んでいる学生は次のような特徴を持っていることである。

多くの大学では毎年、日本文化祭が催されている。そのモットーは「日本文化を理解し、学習の経験を交流し、日本語能力を磨き、もっと多くの友人をつくる」である

 一、 日本語を学び始めたきっかけは、大学に入学してから日本語のクラスに入れられたことがもっとも多かったが、これに次いで多かったのは、日本のアニメや漫画が好きだったから日本語に親しみを持ったという学生である。

 二、 日本語を学ぶ目的は、「就職のため」がもっとも多く、中日の経済関係が今後ますます密接になると考えている学生が多い。

 三、 将来、中国の日系企業の中国側代表になりたい人がもっとも多く、日本へ留学したい、外交官になりたいなどがこれに次いで多かった。

日本語学部が続々誕生

「和服はどう着るの?」。学生たちは日本文化に興味津々だ

 北京外大の日本語学部主任の汪玉林教授によると、大学におけるこうした日本語ブームは1980年代の中・後期から始まり、今日まで続いており、それは日本語学部の学生募集定員と教育の規模の拡大という形で現れている。

 1978年に、中国の改革・開放が始まり、国の門戸が開かれた。中日両国は1972年の関係正常化以来、官と民の交流が日増しに増加し、両国の経済貿易とビジネスは急速に発展し、日本の多くの企業が次々に中国に来て投資し、工場を建てた。そこで日本語の人材が急に必要になったが、社会的に供給が需要に追いつかないという現象が現れた。これが、多くの若い人や大学生の日本語学習への情熱を大いに刺激したのである。

 こうした社会の需要に応えるため、全国の多くの外国語系大学、例えば北京第二外国語学院、対外経済貿易大学、上海外国語大学、広東外語外貿大学などはみな、日本語を学ぶ学生の定員を拡大し始めた。北京外大にはもともと二クラスで40人の学 カがいたが、それが一挙に6クラス、120人に拡大された。大連外国語学院は一年生に500人の新入生を受け入れた。

 学生数が多くなり、教学の規模が拡大するにつれ、管理を強化するため、各大学は次々に、もとの日本語教育研究室を日本語学部に昇格させた。北京大学、対外経済貿易大学、北京第二外国語学院、上海外国語大学、広東外語外貿大学などはみな日本語学部を開設した。

 同時に、もともと日本語を第二外国語としていた大学、例えば清華大学、人民大学、北京理工大学などは、第二外国語の日本語科を日本語専修の本科に変え、日本語学部に昇格させた。さらに一部の地方の師範大学にも、日本語専修クラスが開設された。(2004年8月号より)