伝統が息づく チベット族の踊り
 
 
                                     劉世昭=文・写真
 
鈴を手にグオズアンを踊る。一斉に鳴る鈴の音が、踊りにリズム感を高める

アバ(阿バ)・チベット族チャン族自治州は、四川省の西北部、青海・チベット高原の東側に位置している。面積8万4000平方キロ、人口は約85万人。

ここには中国では二番目に大きい草原があり、30万ヘクタールにおよぶ国の高原沼沢湿地保護区がある。また、千キロを超す峡谷、30以上の海抜5000メートルを超す雪山、標高の低い山地に形成された珍しい氷河もある。

中国の二大文化の揺り籠といわれる黄河と長江が、まるで肩が擦れ合うようにここを流れている。豊かで、濃厚なチベット族の文化やチャン族の文化は、限りなく魅力に富んでいる。

近年、このアバと、世界遺産に指定されて有名になった九寨溝、四川省の省都・成都、古代の灌漑施設の都江堰などを含む一帯に、「大九寨国際観光区」が設立された。ここを、自然と少数民族文化が保護されている国際的な観光地帯にする計画だ。

アバ州政府と大九寨管理委員会の協力で、カメラを担いで、まだ外部の人が訪れることの稀な秘境、アバを歩いた。

 

吉祥を祈る踊り――グオズアン


男女が対になって踊るのは小グオズアン。これで感情を表す

 アバ州の州都はバルカムにある。そこを訪れた時、ちょうど「ギャムロン(嘉絨)のグオズアン(鍋荘)祭り」が催されていた。祭りの輪の中に、スニォ村からやってきた60歳のチベット族のゼェルデンさんがいた。

 「この踊りは、私たちの祖先から踊り継がれてきたものです。私も小さいときから父にくっついて踊り、だんだんと踊りを覚えました」と彼は言い、グオズアン踊りについて解説してくれた。

 「この踊りがいつごろから始まったのかは分かりません。私たちは、新年を迎えるときにも、結婚のときにも、祭りのときにも、また友だちが集まったときにも、この踊りを踊ります。踊りたいと思ったらいつでも踊ってよいのです」

グオズアン踊りには、定型もあり、即興もある。気分が乗ると、ステップは軽くなる

 州都の近くで暮らしているギャムロン・チベット族は、チベット族の一支族である。唐の時代、吐蕃の軍隊がこの一帯を占領したとき、先住民と混血して形成された。ここの気候は温暖で、農業に適し、人々は農業を主に生計を立てている。

 彼らが神の山として崇拝する有名なギャムモモルド(嘉摩墨爾朶)は、この地にある。人々は、この神山の名の一番前の「ギャム(嘉)」という字に、チベット語で「農」を意味する「ロン(絨)」という音を加えて、自らを「ギャムロン」と称した。歴史的、地理的関係で、彼らは、チベット族の昔ながらの生活と習慣を守りつつ、漢族、チャン族、回族などの民族の生活と習慣をも取り入れ、独特のギャムロン・チベット族の文化をつくり上げた。

 チベット族はよく歌い、よく踊る民族である。グオズアンはチベット語で、「輪になって踊る」という意味で、古代の追儺(鬼やらい)から来たようだ。ギャムロン・チベット族の人々はこの踊りをこよなく愛す。彼らは時間や場所、人数の多少を問わず、大きな広場でも小さい村でも、さらに家の土間の囲炉裏端でもグオズアンを踊る。人々が輪になって、輪の真中にかがり火を焚いたり、ちょっとした食べ物を置くだけで、グオズアンを踊る。

ラマたちは「法号」を吹き鳴らし、グオズアン祭りが始まる

 バルカムのグオズアン祭りは、自治州のグラウンドで行われていた。グラウンド内や観客席には、すでに1万人を超す踊り手や観衆がいた。ラマ僧たちは手に手に「法器」(仏具)を持ち、肩には大きなホルンのような「法号」を担いで、盛装して寺院からやって来た。

 「ウー」と、低くてゆったりした「法号」の音が鳴り渡り、グオズアン祭りの開幕を告げた。最前列を歩くのは、ラマ僧たちによるお祝いの四角い隊伍である。彼らは20〜30人で、50平方メートルもある二枚のタンカ(チベット仏教の仏画)を担いでいる。

グオズアン祭りには、盛装したラマたちが登場する

 二枚にはそれぞれ、ソンツェンガンポとツォンカパの像が刺繍されている。ソンツェンガンポ(617?〜650年)はチベットを統一した王であり、ツォンカパ(1357〜1419年)は、チベット仏教ゲルー(黄帽)派の開祖である。この行列が進むと、至るところで歓声が沸きあがった。興奮した人々は、空に向けてロンダ(竜達)という経文を印刷した小さな紙片を投げ、「吉祥」と「如意」を願うのである。

 次いでグオズアン踊りの隊列が、グラウンドに入ってくる。踊っているのはバルカム県の14の郷・鎮にある百四の村からやって来た農民たちだ。彼らは身にきらびやかで色とりどりの服装をまとい、首には巨大な珊瑚やトルコ石などの宝石を繋いだネックレスを掛けている。

ラマたちは、大切に保存している巨大なタンカを担ぎ出し、人々に見せて吉祥を祈る

 胸の前には、金や銀で作られた、さまざまな形の「ガウ」と呼ばれる小さな箱をぶら下げている。「ガウ」には、チベット仏教の信者を守護する仏像や「法器」が入っている。腰にはチベット式の剣を佩き、脚には春や夏に履く薄い革の靴を履いている。

 彼らの踊りは、プロの踊り手のようにきちんとそろってはいないし、顔の表情も、プロのようにいつも微笑みを絶やさないというわけにもいかない。だが、彼らのやや緊張とした表情や動作から、郷土の民間芸術の真の姿を見て取ることができる。不ぞろいの動作がかえって彼らの個性を表現している。表情が緊張しているのも、数万人の観衆を前にしているのだから当然だろう。

鉄棒を持つラマは、寺院内の法の執行者である

 しかし、グオズアンを踊るにつれ、彼らは次第にリラックスし、動作もだんだんと軽快になってゆく。そして一人一人が個性的で、ある者は厳かに、ある者はさまざまに変化し、ある者は自由奔放に、踊るのだ。

 専門家によれば、ギャムロンのグオズアンは、「ダルドディ」という大グオズアンと「ダルドレン」という小グオズアンに分かれているという。大グオズアンは、重要な祝祭日や盛大な儀式の際に踊られ、踊りのテンポは緩やか、動作は優雅、端正で、味のある踊りだ。小グオズアンは、普段の日の楽しみや集いの時に踊られ、テンポは早く、動作は荒々しく、活発で、滑稽な踊りだ。しかし一般的には、どのようなグオズアンを踊るときも、まずは大グオズアンから踊り始める。

 バルカムのグオズアン祭りで素晴らしい踊りを披露したのは、ツァオデン(草登)郷のダイジ(代基)村の人々だった。この村は、バルカムから80キロ余を離れたジャエムズ川の辺りにあり、村の家々は、山の斜面に沿って建てられる。

法螺を手にしたラマ

 斜面の上の方には、700年の歴史をもつチベット仏教のゲルー派の寺院であるツァオデン寺がある。チベットのギャムロン区では、このように、山の上の方に寺院があり、下の方に村が広がるという典型的な村落の配置がいたるところで見られる。

 ダイジ村の建築はきわめて特色がある。庶民の住むチベット式住宅は、石で壁を築き、青石の板を瓦として屋根を葺く。

 村人たちはグオズアン踊りがうまいだけではない。ほとんどの人が民間工芸の腕を持っている。こうした民間工芸の職人は「五匠」と呼ばれる。「五匠」とは木匠(大工)、「石匠」(石工)、「画匠」(絵師)、「皮匠」(皮なめし職人)、「銀匠」(銀細工師)のことである。

バナ郷の女性たちが身に付けている「ナムバ」は、防寒にもおしゃれにも役立っている

 79歳になるシラさんは、この23年、毎年、寺院の経堂で仏事に使う太鼓を10個から15個作ってきた。身体の不自由なエンデンさんは、仏教の経典を版木に彫る技を持っている。彼はこの技を寺で学んだ。いまは、ほかの県から依頼されて、仏像の付いた経文の版木を作っている。

 56歳のチェンリさんは、庭の中でのんびりと、平たい石に六字真言を彫りこんだマニ(瑪尼)石を造っている。「出来上がったら、寺院に置くことにしています。すべて敬虔な信仰のためです」と彼は言った。

 銀細工師のツェパオパオさんは、ツァオデン寺の経堂の大門を造っている。門の上の立体的な装飾は、少しずつ銅板を叩いて造ったものだ。この門を完成するのに一年かかるという。

田舎の村から来たチベット劇の公演。日常生活の滑稽なストーリーを演ずる

 ツァオデン寺の中で、タンカの壁画を描いている画工のヤンムチュさんは35歳。すでに17年間もタンカを描いてきた。彼のタンカの作品は、成都やバルカム、都江堰、九寨溝、紅原などでも飾られている。

 バルカムから約百キロを離れたチュチェン(金川)県バナ(馬奈)郷で、伝統的で純正のグオズアンを見る機会に恵まれた。

 チュチェン県は有名な「雪梨」というナシの生産地である。初秋のころには、山や谷や道の両側にあるナシの樹木に、大きな雪梨が枝もたわわに実っているのが見える。旅人は思わず、生唾を飲み込むほどだ。

「ナムバ」を着たおばあさん

 バナ郷は「グオズアン踊りの里」としてよく知られていた。郷政府の所在地であるカカズウ(カカ足)村に着いてまず目に映ったのは、グオズアンを踊る立派な広場だ。その傍には「天下第一鍋荘(天下一のグオズアン)」という六つの大きな漢字が書かれた巨大な石があった。

 しばらくすると、美しいチベット族の民族衣装を着けた村人が、続々とこの広場に集まってきた。最も目を引いたのは、女性たちの羽織っている「ナムバ」と呼ばれるマントである。ナムバは赤と白の二種類の綿糸で織られていて、厚地でできている。これを羽織ると、ぴんとしていて皺がなく、風を防ぐことができる。服装としても大変きれいだ。

 「チベット族の生活では、歌と酒とは切り離すことはできません。グオズアンを踊るときは必ずお酒を飲むのです」と、県文化館の劉さんが説明してくれた。見ていると、ある村人が家の中から一甕の自家製の「ザー酒」を持ち出してきて、広場の中央に置いた。

 この酒は、ハダカ麦などの穀物で造ったアルコール度の低い蒸留酒だ。甕の栓の上には、麦の粒が置かれている。人々は甕の栓を開ける簡単な儀式を行ったあと、この麦の粒を四方に投げた。これは、神々を祭り、豊作を祈ることを象徴している。

盛装をしたチベット族の女性

 チベット族の住む地域では、寺院で拝むときも、山に登って神を祭るときも、炉の中でコノテガシワの枝を燃やし、それに酥油(羊や牛の乳を煮詰めて作った油)や「ツァンバ」と呼ばれるハダカ麦の団子餅をくべる。すると煙突から芳ばしい煙が勢いよくあがる。それを「ウェサン」という。

 煙が上がると、人間界が神々の世界が通じ合う。そこでお祈りができるようになるという。これは昔、ある老人が山神を祭るために始めたと言われる。

 この「ウェサン」の後、人々は霊塔のまわりを歩いて巡る。これを「転経」という。バナ郷の人々は、チベット族の原始宗教であるボン教を信仰しているから、巡る方向は反時計回りだ。

 グオズアン踊りがいよいよ始まった。男性と女性が分かれて一つの輪になった。儀式の最初の序曲は、男たちが声をそろえて歌う。その歌声が止むと、今度は女たちがすぐ歌い継ぐ。

盛装したチベット族の男性

 女たちの歌が止むと、男たちのリード役が、一枚のハンカチを持ってゆっくりと踊りながら、女たちのリード役に近づく。女たちのリード役も輪から抜け出して、踊りながらハンカチを受け取る。この「ハンカチ渡し」による儀式の開始は、男女間の心の通いあいを表している。

 続いて人々が踊り始める。その踊りは最初はゆっくりしたテンポで、踊りの隊形もあまり変わらないし、動きも大きくない。しかしグオズアン踊りが進むにつれ、人々のステップがますます速くなり、隊形も変化し始める。最初は輪になっていた隊形が、しばらくすると一つの塊になり、そしてくねくねと進む大きな竜のようになった。

 一曲が終わると、踊りで喉が渇いた人々は、ザー酒の甕を取り囲み、順番にストローで酒を吸う。その味はさっぱりしていてすがすがしい。そしてまた踊り続け、喉が渇くとまた酒を飲む。こうして心ゆくまでに踊り続け、酔っ払うまで飲みつづけるのだ。

 

民間工芸の里

石の壁と石の屋根で造られたチベット式の民居

 バルカムのグオズアン祭りで素晴らしい踊りを披露したのは、ツァオデン(草登)郷のダイジ(代基)村の人々だった。この村は、バルカムから80キロ余を離れたジャエムズ川の辺りにあり、村の家々は、山の斜面に沿って建てられる。

 斜面の上の方には、700年の歴史をもつチベット仏教のゲルー派の寺院であるツァオデン寺がある。チベットのギャムロン区では、このように、山の上の方に寺院があり、下の方に村が広がるという典型的な村落の配置がいたるところで見られる。

 ダイジ村の建築はきわめて特色がある。庶民の住むチベット式住宅は、石で壁を築き、青石の板を瓦として屋根を葺く。

 村人たちはグオズアン踊りがうまいだけではない。ほとんどの人が民間工芸の腕を持っている。こうした民間工芸の職人は「五匠」と呼ばれる。「五匠」とは木匠(大工)、「石匠」(石工)、「画匠」(絵師)、「皮匠」(皮なめし職人)、「銀匠」(銀細工師)

作った皮太鼓を抱えるシラさん
 
自宅の庭で、マニ石に六字真言を彫るチェンリさん

 79歳になるシラさんは、この23年、毎年、寺院の経堂で仏事に使う太鼓を10個から15個作ってきた。身体の不自由なエンデンさんは、仏教の経典を版木に彫る技を持っている。彼はこの技を寺で学んだ。いまは、ほかの県から依頼されて、仏像の付いた経文の版木を作っている。

 56歳のチェンリさんは、庭の中でのんびりと、平たい石に六字真言を彫りこんだマニ(瑪尼)石を造っている。「出来上がったら、寺院に置くことにしています。すべて敬虔な信仰のためです」と彼は言った。

 銀細工師のツェパオパオさんは、ツァオデン寺の経堂の大門を造っている。門の上の立体的な装飾は、少しずつ銅板を叩いて造ったものだ。この門を完成するのに一年かかるという。

 ツァオデン寺の中で、タンカの壁画を描いている画工のヤンムチュさんは35歳。すでに17年間もタンカを描いてきた。彼のタンカの作品は、成都やバルカム、都江堰、九寨溝、紅原などでもかざられている。

エンデンさんは版木を彫る技を寺院で学んだ
 
手作業で作った寺院の門の飾りを前にしたツェパオパオさん
 
弟子とともに寺院でタンカを描くヤンムチュさん(後方)


秘境に花開いたチベット文化

毎日の早朝にツァオデン寺へ「転経」に行く信心深い老婦人たち
 
バナ郷の人々は、グオズアンを踊る前にまず「転経」して神を祭る

 バルカムから約百キロを離れたチュチェン(金川)県バナ(馬奈)郷で、伝統的で純正のグオズアンを見る機会に恵まれた。

 チュチェン県は有名な「雪梨」というナシの生産地である。初秋のころには、山や谷や道の両側にあるナシの樹木に、大きな雪梨が枝もたわわに実っているのが見える。旅人は思わず、生唾を飲み込むほどだ。

 バナ郷は「グオズアン踊りの里」としてよく知られていた。郷政府の所在地であるカカズウ(カカ足)村に着いてまず目に映ったのは、グオズアンを踊る立派な広場だ。その傍には「天下第一鍋荘(天下一のグオズアン)」という六つの大きな漢字が書かれた巨大な石があった。

踊りで喉が渇くと、ソウ酒を飲んで渇きをいやす

 しばらくすると、美しいチベット族の民族衣装を着けた村人が、続々とこの広場に集まってきた。最も目を引いたのは、女性たちの羽織っている「ナムバ」と呼ばれるマントである。ナムバは赤と白の二種類の綿糸で織られていて、厚地でできている。これを羽織ると、ぴんとしていて皺がなく、風を防ぐことができる。服装としても大変きれいだ。

 「チベット族の生活では、歌と酒とは切り離すことはできません。グオズアンを踊るときは必ずお酒を飲むのです」と、県文化館の劉さんが説明してくれた。見ていると、ある村人が家の中から一甕の自家製の「ザー酒」を持ち出してきて、広場の中央に置いた。

広場の中央に置かれたソウ酒の甕。歌と酒とは切っても切れない縁で結ばれている

 この酒は、ハダカ麦などの穀物で造ったアルコール度の低い蒸留酒だ。甕の栓の上には、麦のが置かれている。人々は甕の栓を開ける簡単な儀式を行ったあと、この麦の粒を四方に投げた。これは、神々を祭り、豊作を祈ることを象徴している。

 チベット族の住む地域では、寺院で拝むときも、山に登って神を祭るときも、炉の中でコノテガシワの枝を燃やし、それに酥油(羊や牛の乳を煮詰めて作った油)や「ツァンバ」と呼ばれるハダカ麦の団子餅をくべる。すると煙突から芳ばしい煙が勢いよくあがる。それを「ウェサン」という。

 煙が上がると、人間界が神々の世界が通じ合う。そこでお祈りができるようになるという。これは昔、ある老人が山神を祭るために始めたと言われる。

 この「ウェサン」の後、人々は霊塔のまわりを歩いて巡る。これを「転経」という。バナ郷の人々は、チベット族の原始宗教であるボン教を信仰しているから、巡る方向は反時計回りだ。

夏に催される「花見の祭り」。チッベト族の人々は、村の外の広場にテントを張り、心行くまで遊ぶ

 グオズアン踊りがいよいよ始まった。男性と女性が分かれて一つの輪になった。儀式の最初の序曲は、男たちが声をそろえて歌う。その歌声が止むと、今度は女たちがすぐ歌い継ぐ。

 女たちの歌が止むと、男たちのリード役が、一枚のハンカチを持ってゆっくりと踊りながら、女たちのリード役に近づく。女たちのリード役も輪から抜け出して、踊りながらハンカチを受け取る。この「ハンカチ渡し」による儀式の開始は、男女間の心の通いあいを表している。

チュチェンは雪梨の里。踊りで喉が渇くとナシを摘んで喉を潤す。雪梨の葉で顔の汗をぬぐえば涼しくなる

 続いて人々が踊り始める。その踊りは最初はゆっくりしたテンポで、踊りの隊形もあまり変わらないし、動きも大きくない。しかしグオズアン踊りが進むにつれ、人々のステップがますます速くなり、隊形も変化し始める。最初は輪になっていた隊形が、しばらくすると一つの塊になり、そしてくねくねと進む大きな竜のようになった。

 一曲が終わると、踊りで喉が渇いた人々は、゚ニ酒の甕を取り囲み、順番にストローで酒を吸う。その味はさっぱりしていてすがすがしい。そしてまた踊り続け、喉が渇くとまた酒を飲む。こうして心ゆくまでに踊り続け、酔っ払うまで飲みつづけるのだ。(2005年1月号より)


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