特集 大自然と歴史がいざなう 世界遺産の宝庫――安徽省

自然が生んだ神秘の世界

 安徽省には名山や大河が多く、古くから山紫水明の地として知られてきた。さらに、文化的な気風に満ちており、人文の粋が集まった。そのため歴代の文人墨客が来訪し、隠居する地になったのである。

名山のトップ――黄山

造形が独特で、上部は平ら、針状の葉が生い茂り、その葉が青緑色をしている――というのが黄山松の四大特徴だ(写真・汪根華)

 南部に横たわる黄山は、群峰がそびえ、緑が茂り、その断崖は障壁のようにそそり立っている。じつに神秘的で美しい山である。奇松に怪石、雲海、温泉という「四絶」(四つの妙)をもつことで、「黄山に登れば、天下に山なし、絶景かな」という言われもあるほどである。

 黄山はもとより「イ山」と称されてきた。中華民族の始祖とされる軒轅黄帝が、その昔、ここで修行をして仙人になったと伝えられる。天宝6年(747年)、唐の玄宗皇帝が「イ山を黄山に改名せよ」という詔を下して以来、「黄山」という名がこんにちまで使われている。

 黄山は、その独特なまでの自然風景、豊かな資源、重厚な文化の蓄積によって、中国では唯一の世界文化遺産、世界自然遺産、世界地質公園という「三冠」を獲得した景勝地である。

黄山の日の出(写真・汪根華)

 中生代の最後の時代・白亜紀に形成されたといわれ、その歴史は今から約1億3千百万年前にさかのぼる。その後、第四紀氷河時代に削りとられ、このような奇峰・怪石が林立し、断崖絶壁や深い谷間がつづくという独特な地形となった。主峰の蓮花峰、光明頂、天都峰の標高は、いずれも1800メートル以上。周囲には標高1000メートルを超える77の高峰がある。深緑の連なる雄大な光景である。

 黄山の松は枝ぶりがたくましく、その上部は平らに削りとられたようだ。岩の隙間に根をおろし、深く根をはり、毅然として生長している。険しい峰々には、いたるところに奇岩怪石が見受けられる。まるで「神業」のようである。珍しい岩と松からなる光景はすばらしく、目を休めるひまもないほどだ。

 「雲霧の郷」と称えられる黄山は、その峰を体とすれば、雲を衣にしているようだ。千変万化の雲海を目にした人は、まるで仙境にいるかのような思いにとらわれることだろう。そんな山谷の霊気を集めたかのような黄山温泉は、一年中湧いている。人の体によいという微量元素を含んでいるので、湯治や入浴にふさわしいとされている。

黄山の「猴子観海(サルが海を観る)」(写真・汪根華)

 この数百年来、黄山には百あまりもの寺院が建てられてきた。いまでも、わりとよく保存されている古刹は松古庵、釣橋庵、翠薇寺の三カ所である。景色のきれいな山あいで、世の変遷を記憶にとどめた古刹をめぐり、昔を思えばなんとも引きつけられてしまう。

 黄山の美に魅了された多くの文人墨客は、この山を訪ねたり、ここに逗留したりして、多数の詩詞や絵画を残した。豊かな文化を形成したのだ。いまでも黄山に残る摩崖石刻は二百カ所以上、歴代の古山道、古橋、古寺、古亭(あずまや)などは百カ所近くにのぼるといわれる。

仏教の名山――九華山

九華山の雲海に切りとられた山影は、自然が作りだした「眠る仏頭像」だ

 黄山から北西に、神秘の山――九華山がある。

 南北朝時代(420〜589年)、ここには美しい九つの峰があるために「九子山」と呼ばれていた。唐の時代に、李白がここを遊覧した際、九つの尾根が蓮花のように見えたため、「妙あり 二気を分かち、霊山 九華を開く」という詩句を残した。そのため、このときより「九華山」と呼ばれるようになったのだ。

九華山の肉身宝殿は、金(喬覚)地蔵の即身仏を供養している。俗に「肉身塔」と呼ばれ、またの名を「地蔵墳」という。唐の貞元年間に創建された

 九華山は、中国の四大仏教聖地(安徽省の九華山、浙江省の普陀山、山西省の五台山、四川省の峨眉山)の一つである。7世紀のころ、新羅(いまの朝鮮半島)の王子・金喬覚が海をわたって唐に入り、75年もの間、九華山で修行をつづけ、99歳のときに円寂したといわれている。甕に納められたしかばねは3年たっても腐敗せず、生きているように見えたため、人々に「地蔵菩薩の化身である」とみなされた。それ以来、九華山は地蔵菩薩の道場となった。香火が絶えず、とりわけ金喬覚の円寂の日(旧暦7月30日)ともなると、各地からの参拝者たちで大いににぎわう。

 1300年以上にわたり、九華山からは高僧が輩出され、即身仏となった僧も多くいた。記録が残る即身仏は14尊にも上るそうだが、残念なことに「文革」期の動乱でそのほどんどが破壊された。1988年までにわずか二尊に減少したが、それ以降は四尊の即身仏が増えたといわれる。

 長江流域にある九華山は、雨や霧にみまわれる日が年間160日に達するという。このように湿気の多い条件で、なんの技術的処理も行われずに、人間が生身のままで成仏するのは、仏教界における奇跡、現代科学の謎とされる。

九華山・百歳宮の民家風の寺院建築仏

 現在、九華山には90あまりの寺院があるが、その建築のほとんどは正殿が宮殿式建築である以外は、いずれも民家風の建築である。外から見れば地元の民家と変わりはないが、寺院に入ると、山に沿って曲がりくねって建てられた斎堂や僧房、参拝者の宿舎が配置されているのがわかる。さらに、安徽省南部の民家建築にあるような厚いレンガの防火壁や中庭などの構造をとりいれており、寺院の採光、通風、防火などの問題を解決している。

 清代(1644〜1911年)に創建された百歳宮は、周りの峰々や岩石、洞窟などと一体となり、建物と山とが巧みに結びついている。九華山寺院建築の代表格となっているのだ。

黄山の恋人――太平湖

「太平湖風景区」は黄山と九華山にはさまれた場所だ(写真・陳雲君)

 九華山と黄山という二つの名山の間には、「太平湖」が広がっている。青山の起伏が連なり、湖水がどこまでも透きとおり、湖には島々が玉のように点在している。美しい湖水と雄大な黄山とが、互いに引き立てあっているのだ。こうして、太平湖は「黄山の恋人」と喩えられている。

 太平湖は1970年代に青弋江に造られたダムで、水域面積は88平方キロ、平均水深は40メートル。安徽省では最大の人工湖である。

 その周りには草木が生い茂り、森林被覆率は85%以上に達している。ここはモウソウチクの産地でもあり、多くの漢方薬材に恵まれている。すぐれた生態環境は、すぐれた物産を生み出すのである。緑茶の逸品「太平猴魁」「黄山毛峰」、また、太平湖でとれる魚「太平湖銀魚」はよく知られており、人々に好まれている。すばらしい風景と汚染のない自然環境に恵まれた太平湖は、理想的なリゾート地となっている。

天を支える――天柱山

「天柱山風景区」の主峰・天柱峰(天柱山管理委員会提供)

 天柱山は、安徽省潜山県の北西にある。2000年以上前の春秋時代、ここは大夫・皖伯の領地であった。そのため、天柱山はもともと「皖山」とよばれていた。現在の安徽省の略称「皖」も、そこからとられたものである。

 天柱山は南方の山の美しさ、北方の山の力強さを兼ね備えており、「雄、奇、霊、秀」をもつ名山として知られている。さらに豊かな文化の蓄積も、ここの大きな特徴である。

 天柱山のふもとには中国仏教の発展史上、重要な位置を占める三祖寺がある。中国禅宗の三祖大師が、布教した場所として知られている。三祖・僧雋は中国禅宗における傑出した人物で、その著書である『信心銘』は中国の僧侶が著した最初の禅宗経典となっている。

三祖寺の西側にある歴代の摩崖石刻群には、宋代の政治家・王安石の筆跡がある

 三祖寺には、禅宗や三祖についての古跡や故事が多数ある。平日でさえも、香火は絶えない。毎年旧暦11月10日には「仏七法会」が行われるが、全国から多くの信徒や参拝客が訪れている。

 三祖寺の西側には「山谷流泉」と呼ばれる渓流がある。そのわきに、そそり立つかのような断崖絶壁や岩石の上などには、唐・宋時代以来の摩崖石刻が三百カ所あまりもあるという。李白や蘇軾、王安石、黄庭堅らの筆跡は、とくに貴重なものである。(2005年4月号より)


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