特集二       人と人とが築く中日友好

身体をはって日本のサポーターを守る

                    宋建軍 北京市公安局出入国管理処 外事警官

出入国管理処で、外国人留学生のビザを処理する宋建軍さん(左)(写真・高原)

 自分は1978年生まれだから、抗日戦争の体験はない。しかし、お爺さんたちの話から、日本の侵略戦争が中国人民に大きな災難をもたらしたと考えている。にもかかわらず両親は、自分が日本語を学ぶことに、決して反対はしなかった。

 大学卒業後、外事警官になり、北京市公安局出入国管理処で仕事をするようになった。最初は、外国人留学生の居留許可や入国ビザの発給を担当した。

 ある日、1人の日本の留学生が、母が突然亡くなったため日本に帰るので、ビザの延長手続き中のパスポートをすぐに返してほしい、と言ってきた。そこで自分は、数百あるパスポートの中から彼女のパスポートを探し出し、その日の内に彼女に渡した。後に、中国に戻ってきた彼女は、菓子折りを持参し、感謝の気持ちを表した。自分の身近にいる同僚たちも、こうした経験が数多くある。

 自分のもうひとつの仕事は、外国人の安全を守ることである。

 去年8月、サッカーのアジアカップの決勝戦、中国チーム対日本チームの試合が、北京の工人体育場で挙行された。当時、自分は、日本のサポーターの安全を守る任務を負っていた。

 試合が終わった後、我々は日本のサポーターたちに、いま外に出て、中国のサポーターと衝突するといけないから、観客席でしばらく待って、そろって退場してほしいと要請した。その夜の天気は蒸し暑く、さらに待ち時間がかなり長かったので、多くの日本のサポーターは不満に思い、1部のサポーターは怒り出す者もいた。

 そのとき自分は、喉がカラカラに渇き、シャツは汗で濡れた。だが、サポーターたちの理解のなさに直面しても、仕事を続けた1時間以上も待たされたサポーターたちは、疲れて、喉が渇き、我々は、警備の人々のために用意されていたミネラルウォーターをサポーターたちに配った。

宋建軍さん(宋建軍さん提供)

 彼らがスタジアムを出る時には、場外にいた同僚たちが、手に手を繋いでスクラムを組み、道の両側に人の垣根を築いた。サポーターの最後の1人が安全にスタジアムを出て行ったのを見届けて、我々はやっと一息ついた。しかし自分も同僚たちも、その日の勤務が終わるまで、1杯の水も飲むことができなかった。

 後に、1部の日本のメディアが伝える報道を見たが、何度も繰り返し、中国のサポーターが騒ぎを起こすシーンを流すばかりで、中国の警察が日本のサポーターを守ったという報道はほんの少ししかなかった。自分は、日本のメディアがこれからは、中国からの情報を全面的に、かつ公正に、日本の国民に伝達するよう希望する。もっと多くのプラスの事実を伝えて誤解を消し、信頼感を増進し、交流を促進する――こうしてはじめて、真に両国関係を前向きに動かす作用を果たすことができる。

 中日両国の付き合いは、つまるところ、人と人との付き合いである。誤解や偏見を付き合いの障害にしてはならない。特に、若い世代である我々が、胸襟を開いて交流し、意思疎通をはかり、理解し、助け合えば、両国の友好関係はきっと新たに発展することができると、自分は信じる。(2005年8月号より)



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