青島と日本 固く結ばれた経済の輪
特集2
存在感示す日本人社会と日系企業

心強いサポート

青島日本人会の大谷吉治会長

 「日本人学校、領事館、ジェトロ(日本貿易振興機構)の事務所を青島へ」。2003年、青島日本人会が大谷吉治会長(加ト吉山東省総支配人)のもと、打ち出した目標だ。

 青島はここ数年、日本人が急増している。積極的な外資誘致と目覚しい経済発展にともない、日本企業が相次いで進出しているからだ。現在の日本人会会員企業は310社。05年、新設された日系企業は199社、長期駐在の日本人は3100人に達した。

 青島日本人会が創設されたのは1990年のこと。以来、青島に在住する日本人の安全かつ快適な生活と日系企業の円滑な企業活動を支えてきた。特に自身が会長に就任した03年以来、組織として順調に固まってきたと大谷会長は自負する。

 海外生活者にとって日本人会は力強い存在だ。有事の際はもちろん、日常の些細なことまで頼りにできる。「日本人会組織は中国全土にありますが、青島のまとまりと行動力、そして市政府とのコミュニケーション力はどこにも負けない」という大谷会長の言葉どおり、青島日本人会は優れたリーダーシップを発揮してきた。

日本人学校の児童たち(青島市対外貿易経済合作局提供)

 04年4月には、青島日本人学校の開校を成功させた。児童・生徒数は開校当初6人だったが、現在は46人に増えた。06年4月には約70人になる予定だ。働き盛りの駐在員にとって、家族を連れて安心して駐在できる環境が整いつつあることを証明していると言えるだろう。

 そして04年9月には、ジェトロの青島事務所も開設された。北京、大連、上海、香港、広州につぐ、中国6番目の事務所だ。領事館の誘致も最終段階にきている。06年度に開設という公の発表もあったが、日本側の経費削減などにより延期される見通しで、おそらく来年度になるという。

 目下、力を入れて取り組んでいるのは日本人学校の新校舎建設だ。現在は青島大学の華文学院に校舎を借りているが、児童・生徒数が増えたため手狭になった。「このペースでいくと、07年4月には児童・生徒数が百人近くになると予想される。それまでには、立派な校舎を建ててあげたい。これは私の悲願です」と語る大谷会長。

青島扶桑精製加工有限公司の榎本修三総経理。2003年に「青島栄誉市民」を授与された

 もともとは06年の竣工を目標としていたが、諸事情によりまだ着工していない。市から提供を受ける校舎の建設用地がなかなか決まらなかったためだ。現在ようやく、その交渉も大詰めを迎え、4月には着工できる見通しとなった。「他の日本人学校からも見学に来るぐらいの立派な学校にしたい」と大谷会長は意気軒昂である。

 日本人会は青島での企業活動や生活の便をはかるため、市政府と常に折衝している。「市政府側は我々の要望をすべて真摯に受け取って、一つひとつ真剣に対応してくれます。我々の提案は、青島の投資環境を整備し、発展を促進することにつながる。企業が進出するときに一番大切なのは、受け入れ態勢がどれだけ整っているかということ。市政府は外国企業が安心して投資できる環境を積極的に作っている。我々日本人会もできる限りサポートする。青島は、この2つが一体となって、確固たる受け入れ態勢を築いているのです」。大谷会長の言葉は、青島進出を考える企業にとって心強い。

日系企業の台頭

 青島の経済発展を語るのに日本は欠かせない。「国別投資額において韓国の次だが、日系企業が果たす役割、果たしてきた役割は非常に大きい」と青島市対外貿易経済合作局のケイ立志副局長は指摘する。

 日本は青島に最も早くから投資をしてきた国である。青島初の外資系企業は、1984年に設立された日系の総合リース会社・華和国際租賃有限公司。初の外資系銀行も日本の山口銀行である。

 05年末までに設立が認可された日系企業は合わせて1453社にのぼる。全市の外資系全体に占める割合は8.12%だ。投資総額は契約ベースで35億3100万ドル、実行ベースで22億6700万ドル、それぞれ全体の7.95%、10.95%を占める。

 それでは、青島投資の魅力はどこにあるのだろうか? 青島扶桑精製加工有限公司の榎本修三総経理は、(一)水、電力などインフラが整っていて、労働力が豊富(二)海と山がある環境は日本人にとって馴染みやすい(三)青島を含む山東省には素朴な人柄の人が多い――の3点を挙げる。

 日本人にとって馴染みやすい環境という点については、「駐在する側としてももちろんですが、日本の取引先が視察に来られたとき、青島だとあまり違和感がなく、『日本と同じだ』という印象を抱いてもらえるのです」と話す。

 同社は、扶桑化学工業株式会社が1994年に設立した中国の生産拠点で、主力製品は「精製クエン酸」。日本国内ではトップシェアを誇る。このほか、中国にある原料を再加工することによって様々な製品を作り出しており、食品添加物や化学品など約百種類を生産している。また、製品を広げるだけでなく、食品の安全性に対する分析業務も一部始めている。トータルに食品業界に貢献していこうという考えだ。

 業績は順調に伸びており、03年には経済技術開発区に第2公司を設立した。04年には、販売強化の一環として上海支店を開設した。出荷先はいまのところ日本向けが80%だが、今後は中国国内販売を増やし、将来的には両者を半々ぐらいにまでもっていきたいとしている。

中日友好の架け橋に

下関市立川中西小学校を訪問した上清路小学校の代表(山口銀行提供)

 いくつもの扉を通り抜けて案内された山口銀行青島支店の応接室には、一枚の絵画が飾られていた。同行が今の場所に移転したときに、青島市の上清路小学校から贈られたものだという。

 山口銀行は青島唯一の日系銀行だ。青島初の外資系銀行でもあり、青島との付き合いは長い。同行の本店がある下関市と青島市は友好都市である。1979年に協定を結んだ。青島市にとって初めての友好都市協定だった。その関係で、同行は85年、青島に駐在員事務所を置き、93年には支店となった。

 最も早い時期に青島に拠点を構えた山口銀行は、その移り変わりをつぶさに見てきた。「青島は今、急速に発展しています。日本からの投資も増え続け、それにともなって日本人に対するインフラも格段によくなっている。市内には日系スーパーのジャスコがありますし、日本人学校やジェトロの事務所もできました。市政府の外資に対する対応もとても迅速です」と小野哲支店長は話す。

中国語も流暢な山口銀行青島支店の小野哲・支店長

 地域社会に根付いた事業を展開している同行は、業務以外でも、青島と下関の交流を促進する社会活動を積極的に行っている。両市の小学校間の交流がその一例だ。毎年1回、上清路小学校の訪日団を下関市に受け入れ、下関市立川中西小学校との交流をはかる。このほか、青島の社会人を下関市立大学へ留学させたり、金融機関の研修生を受け入れたりと、双方の相互理解と友好関係の促進に力を注いでいる。

 また、92年からは青島で日本語弁論大会を開催し、地元の日本語教育を推進してきた。2005年の第6回大会は、青島市の要請を受け「青島日本ウィーク」の期間中に挙行した。非常に好評を博し、会場は熱気に満ちていたという。

 「経済交流は人と人との交流です。人の交流は相互理解につながります。私たちは青島への投資をお手伝いすることで、日中の友好関係を促進する一助になれたらと思います」。山口銀行は企業活動そして社会活動を通し、両国友好の架け橋となっている。(2006年5月号より)



 
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