|
||
「新農村建設」までの道はまだ長い |
工業化が「新農村」の形か?
張 原さん、雲南省玉渓市の大営街はどう思いましたか。 原 あそこはもう「農村」ではないと思います。でも彼らはみな、ここは「農村」だと言うのです。中国の「農村」という概念は日本とは違うのですね。これが一番の感想です。 張 私もそう思いました。広くてきれいな道路、美しく整えられた建物、どう見ても農村には見えません。 林 あなた方が見たのは現実だ。あれも農村なのです。しかしすでにこれまでのイメージのような農村ではない。農民もこれまでのイメージのような農民ではない。 原 新農村とはどのようなものなのですか。大営街のように工業化されたものなのですか。
林 中国の一部の農村は大営街のように都市化している。そこの農民たちはほとんど農業に従事せず、商工業に携わっている。戸籍上の理由で農村や農民と呼んでいるに過ぎない。彼らの生活や仕事は都市住民となんら変わりはないのです。ただ、それはごく一部のことで、大部分はやはり、茶樹林のように農作物の栽培や畜産業を主としている。 張 中国の一人当たりの耕地面積はたったの1.4ムーです。伝統的な農業だけで発展するのは難しい。「土地がこんなに少なけりゃ、黄金を植えなきゃ儲からない。でもよーく考えると、みんなが黄金を植えたら、結局はお金にならん」という笑い話があるくらいです(笑い)。だから、中国は「農業から飛び出て、農業を発展させる」を提唱しているのです。最終的には都市化の方向に進むのでしょう。 原 それならば、農業人口はどんどん少なくなりますね。 林 農作物の栽培や畜産業に直接携わる農民は年々減る。ただ、中国と日本の農民の概念は異なる。中国の農民は戸籍上のものであって、彼らがどんな仕事に就いているかは関係ない。日本では農業に従事している人を指すのでしょう。 文化的水準を高める 張 大営街では、とてもおもしろいと思ったことがありました。あそこは西南部なので夜明けが遅く、朝の7時にはまだ街に人影がありません。そんな時間帯、整備された大通りを歩き、美しい都市だなと考えていました。すると、どこかの建物からニワトリの鳴き声が聞こえてきました。そのとき私は、ここはやはり農村で、農民の生活様式が残っているんだと納得したのです。 林 農民はまだ完全に農村の生活習慣、習性を変えたわけではない。
原 農民の生活習性とはどんなものですか。 林 都市住民のように整然と家具を配置したりはせず、部屋の中は多少乱れていて、衛生観念も不足している。広西チワン族自治区の下萢村で、ある農業技術者の家を拝見した際、彼の家は4階建ての立派な家屋で、ステレオなどの家電もすべて揃っていた。しかし衣服や洗っていない食器などがあちこちに放ってあった。書籍もあったけど、すべて農業科学技術関係のものだった。 ―― 下萢村は広西チワン族自治区武鳴県双橋鎮に位置、210世帯810人が住む。耕地面積1148ムー、果樹林4401ムーで、主な収入源は竜眼(リュウガン)などの果樹栽培。2005年の一人当たりの純収入は3600元。 原 私も農民のお宅にお邪魔したとき、家は立派なのだけど文化用品はまだ少ないなと感じました。彼らが今、追求しているのは、大きな家を建てることやテレビや家具を揃えることなんでしょう。 林 そうだね。文化的なものはまだかなり少ない。「新農村建設」とはきれいで大きな家に住むことじゃない。文化的な水準や素養を高めるように努め、生活環境も快適で美しく、清潔に保つよう気をつける必要がある。 原 日本の場合は飲食形式や言葉、生活習性など、都市と農村ではそんなに変わりません。しかし中国は都市から農村にやってくると、まるで別の国家のように大きな違いがありますね。
林 中国の都市と農村、東部と西部の違いはかなり大きい。私は1983年に日本へ行ったことがあるが、当時の日本の農村は今の中国の農村より全体的なレベルがもっと高かった。農民たちは暮らしぶりがよいだけでなく、彼らの家の中には文化的な雰囲気が溢れていた。中国の農村が日本の農村のレベルに達するには、まだまだ長い時間がかかる。 ――中国は、非常に貧しい地域と非常に豊かな地域はごく少数で、大多数はその中間に属する。1978年の貧困人口は2億5000万人だったが、20年以上の努力の結果、現在の2365万人に減った。この中には雲南省の一部地域の人も含まれる。 伝統文化を大切に 張 「新農村建設」の過程において、もっとも注意しなければならないのは、伝統文化の保護ですよね。広西恭城ヤオ族自治県の瑶家寨には、古い特徴ある民家がありましたが、すべてコンクリートで作られていて、ちょっと違う気がしました。 林 「新農村建設」は農村を欧米化するものではない。地域の文化的な特色を残すよう注意すべきだ。ある地域の建物は、見た目は洋式でも、やはり現地の住居の伝統に合わせて改造している。例えば、瑶家寨の民家のように現地の特色を残している。しかし大営街は完全に現代都市の建物で、現地の特色は残っていなかった。 張 プーアル県にはたくさんの古い茶の木が残っていて、さすがプーアル茶が生まれた地だなと思いました。「茶馬古道」はその有力な物証ですね。
林 「茶馬古道」を歩いていると、とても静かで、かつての様子が偲ばれた。しかし古茶園の経営はかなりずさんで、茶葉も摘みすぎだ。あれでは古い茶の木の資源が尽きてしまうよ。もっと重要視すべきだね。 原 茶の古木はとても価値があるもので保存に値します。ぜひ、未来に受け継いでほしい。昔からのものをもっと重要視するよう期待したいですね。 張 あれらの茶の木の保護について、関心を持つ人も増えています。有名俳優の張国立も何本かの木の世話をする費用を出しているそうですよ。 原 「茶馬古道」は日本でも知られている。ただ、歴史や資料のような情報しか手に入らず、現在の状況はよく知らない。そこで、実際に訪れてみたいと考えている日本人は多いと思いますよ。でも今のままだと交通の便が悪く、一般の人が訪れるのは大変ですね。 林 これも「新農村建設」で解決する必要がある問題だ。きっと近い将来、「茶馬古道ツアー」も実現するだろう。そうなったら、日本の友人たちも気軽に「茶馬古道」の風情を楽しめる。 |
雲南省玉渓市に位置し、総面積2.6平方キロ、人口4964人。一人当たりの耕地面積はたったの0.1ムー。 20年以上前は、食べ物や飲み水に困り、住宅や道路も整備されておらず、誰も嫁に来たがらないような貧しい村だった。1980年代半ばから、機械耕作によって収穫量をアップさせ、村全体の衣食問題を解決。その後、玉渓巻煙厰(巻きタバコ工場)を拠り所として、タバコのフィルター工場など6つの郷鎮企業を相次いで設立した。 92年、村の総収入は初めて1億元の大台を突破し、玉渓市で一番目の「億元村」となった。95年、村の郷鎮企業は28社に増え、総収入は10億元を突破、「雲南第一村」と称されるようになった。 05年の総収入は21億1000万元、一人当たりの純収入は1万699元、一人当たりの住居面積はかつての8平方メートルから50平方メートルに増えた。 現在、ほとんどの村民が郷鎮企業で働いている。給料以外に以下のような多くの福利厚生がある。@1人当たり毎年400元の穀物購入補助金、毎月200元の肉、油、卵などの食料購入補助金の支給A出生後すぐに村が養老保険の手続きをし、54歳で定年退職したあと、毎月250〜660元の退職金を支給。また年末にはボーナスも支給Bその他、長寿の高齢者に対する特別な奨励金を支給。(2006年7月号より) |
本社:中国北京西城区車公荘大街3号 人民中国インタ-ネット版に掲載された記事・写真の無断転載を禁じます。 |