青蔵鉄道の列車は牧畜地区を走る。放牧しながら線路脇の草地に座っているチベットの人々は、初めて目にする汽車を眺めながら、さかんに手を振っている。彼らの目には、この鉄道線路が、自分たちの明日の幸せと豊かさにつながるように映っているのかもしれない。
故郷が近くなった
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青蔵鉄道の開通は、沿線住民におおきな変化をもたらした |
37歳になるミンチュンさんは、チベット族の祝祭日の正装を身にまとって、ラサを出発し、まだ行ったことのない故郷のアムドに帰ってきた。交通が不便だったため、ミンチュンさんの父は、故郷を出てから五十数年、ずっと帰ったことがない。故郷のツォナの「聖なる湖」と湖畔の草原の思い出を、父は長い間、持ち続けてきた。
いま、ミンチュンさんは、デジタルカメラでツォナ湖を撮影した。「父への最高の贈り物は、今の故郷の写真です」と彼は言った。ミンチュンさんは将来、家族を連れて汽車でアムドに帰ることを計画している。
21歳のプムゾマさんの故郷はシガツェである。彼女は北京の大学に上がってから3年、今回初めて実家に帰る。3年前、北京の大学に行くときは、まずバスでシガツェからゴルムドへ行き、そこから汽車に乗って西寧まで行って、さらに汽車を乗り換えて北京に行った。まる7日間かかり、費用も1000元近くかかった。プムゾマさんは北京で望郷の思いに耐えるほかはなく、卒業した後で帰ろうと決めていた。
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ポタラ宮の夜景 |
しかし、青蔵鉄道の開通で事情が変わった。北京から直通でラサまで48時間しかかからなくなった。汽車の切符も「硬座」の学生割引きを買えば190元ですむ。そこで彼女は青蔵鉄道に乗り、実家に帰る夢を予定より早く果たしたのだった。
74歳になるザシツレンさんはかつて、チベット・ロカ地区の交通局副局長をつとめた。青蔵鉄道の開通がもたらした変化について「チベット解放前、チベットには道路さえなかった、どこへ行くにも二本の足に頼り、モノを運ぶのは、人の背と家畜に頼るほかはなかったのです」と興奮気味に言った。
青蔵鉄道の開通前、チベットに入る貨物は主に道路と飛行機による輸送に頼っていたので、輸送量は少なく、コストは高かった。現在、チベットは、鉄道、道路、航空が組み合わされた立体的な交通網ができあがり、物資や人員がチベットに入る上での困難は解決された。
鉄道がもたらしたチャンス
ペンカさんはナッチュ県ロマ鎮の貧しい村民だった。しかし、この2年の間に、38歳の彼は、鎮一番の金持ちになった。この変化をもたらしたのは、青蔵鉄道の建設である。
2004年、ペンカさんは鉄道建設現場で働き始めた。小銭を稼いで家族を養おうと思ったからだ。彼は、路盤の脇に草を植えたり、電気工をしたりして毎年、3、4000元を稼いだ。この間に彼は、中国語が話せるようになった。そして出稼ぎの村人たちの班長になった。
青蔵鉄道の工事は、区間ごとに請負制を実行し、各施工単位が沿線のチベット族の人を雇って、一部の簡単な工事をさせてきた。2005年、ペンカさんは村民を組織して、81台のトラクターで運送隊をつくり、鉄道建設用の砕石を運んだ。年末に決算してみると、請け負いによって140万元近い金を手に入れることができた。トラクター一台に1万5000元ずつ分け、自分も十数万元を稼いだのだった。
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青蔵鉄道の開通で、国内からも外国からも多くの人がチベット旅行をするようになった |
ゴルムドは、青蔵道路の中継点として新たに建設された都市である。管轄する総面積は13万余平方キロ、当初、人口は6万人に過ぎなかった。
2001年から、青蔵鉄道の着工によって中国各地から多くの商売人がここへやってきて投資し、商売を営むようになった。2002年の上半期だけで、新たに登記した個人経営の商工業者は1286に達した。
現在、ゴルムドの人口は27万人に達し、市の中心部では時に交通渋滞が起こるほどで、高地の中の静かな都市はにぎやかな都市に変わった。
ゴルムドには多くのレストランがある。その中で回族とサラール族が経営する焼肉店がもっとも有名だ。「金峰路老字号総店」もその一つである。
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ラサ駅で切符を買うチベット族の旅客 |
店の主人の馬有林さんは青海省の人でサラール族である。1998年、27歳の彼は故郷で商売を始めたが、30万元の損を出し、一家を挙げてゴルムドにやって来た。彼は最初、500元しかなかったので、三輪車の屋台を借りることさえできなかった。だから当時、彼の屋台は、長テーブルと小さな腰掛けだけで、ウエートレスは彼の妻だった。
2001年から、鉄道建設の関係者たちがゴルムドに集まってきて、馬有林さんの商売は一挙に繁盛した。数年のうちに、彼は自分の店だけでなく、支店も出した。8年の間に、「金峰路老字号総店」はゴルムドの本物の「老字号」(老舗)となった。
殺到する観光客の圧力
青蔵鉄道開通以来、国内の多くの旅行社は、「青蔵鉄道の旅」の看板を掲げたが、その多くは出発できなかった。その原因は、青蔵鉄道の切符がなかなか手に入らなかったからである。
しかも毎日午前10時、ラサのポタラ宮の入場券売り場の前には「本日の入場券は売り切れ」という札が掛けられる。古い建築物を保護するため、ポタラ宮は毎日の参観者を2100人に制限する制度を実行しているのだ。
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新しく造られたばかりのラサ駅 |
青蔵鉄道が開通してから一カ月に、チベットに来た人はのべ7万人以上。ラサの観光スポットの入場券は、かつてないほど買うのが難しく、ポタラ宮を観たいと思う観光客はまず引換券をもらって、次の日にやっと入場券を買うことができる。
チベットには特に恵まれた観光資源がある。青蔵鉄道の開通に伴って、「外国に出るよりチベットに行く方が難しい」という状況は、次第に変わり始めた。便利で速く、安全、快適で、費用も安いという鉄道の有利さが、より多くの普通のツアー客に、チベットに来るチャンスを与えた。
少数の金持ちだけが飛行機でチベットに来ることができた時代は終わった。チベット自治区のチャンバピンツォ主席は「青蔵鉄道開通後、チベットの基幹産業としての観光業の地位はさらに高まるだろう」と述べている。
程子嬰さんは旅行が好きで、鉄道開通前にもチベットに来たことがある。「そのときは、ラサには『星』のつくホテルは数軒しかなく、価格も非常に高かった。だから私たちは、粗末な旅館に泊まるほかはなかった。8人部屋で何の設備もなかった」と彼女は言った。それでも2万元かかったという。
現在、ラサなどの鉄道沿線の都市には多くのホテルができ、条件も良くなった。鉄道の開通で物資輸送のコストが下がり、物価も安くなった。程子嬰さんは今回、列車でラサに来たが、泊まったホテルは1泊420元のスタンダードの部屋だった。食事も、野菜類が明らかに増えていた。1本3元の値札がついたコーラを指差しながら、彼女は「以前は10元したのにねぇ」と言った。
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ラサ駅構内の表示板は、中国語、英語、チベット語で書かれ、一目瞭然 |
統計によると、毎年、ラサで新たに建てられるホテルは約20軒。一部の豪華ホテルの第一次投資額は1億元を超している。また、チベット自治区全体で、4000余戸、3万余人の農牧民が直接、観光事業に参与している。
観光客の激増にともなって、観光業の管理水準やサービスの質を高めることが求められている。と同時に、観光スポットの名勝古跡や自然環境にとって、観光客は圧力になっている。このためチベット自治区政府は、観光サービスや環境保護の面で関連の法規や監督メカニズムを制定した。これによってチベットの観光業を健全に、安定して発展させようとしている。
@高地旅行の前に、身体検査を受けるのが良い。心臓病、呼吸器系の疾病、貧血、消化器の潰瘍のある人は注意しなければならない。適当な量の救急薬品を持参する。例えば、感冒薬、心臓薬、利尿剤やいつも服用している薬など。ビタミン剤は高山病予防に一定の効き目がある。
A十分な衣服を持って行く。ゆったりとして快適な、防寒保温の服装をする。外出時は、素肌に日焼けどめのクリームを塗り、唇にもリップクリームを塗る。サングラスをかけ、日よけ用の帽子をかぶり、高地の紫外線による傷害に備える。
B最初に高地に入った人は、程度の差はあれ、みな高山病の症状が出る。例えば頭痛、眩暈、動悸、息切れ、全身の倦怠感、食欲減退などである。高山病の症状が出たときはすぐ、酸素を吸う。
Cもし時間が許せば、自動車または汽車で海抜の高いところに入るのがもっともよい。酸素欠乏に対して身体が徐々に適応するからだ。最初に高地に到着した後、1、2日、休息するか、軽い活動で済ませ、その後、次第に活動量を増やし、高地の環境に適応するのがもっともよい。(2006年11月号より)
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