特集 国宝たちが語る中華文明の精髄
青銅器上の群集は何をしているのか

古代人の習俗の凝結

詛盟場面銅貯貝器
前漢、高さ53センチ、蓋の直径32センチ、1956〜1957年、雲南省晋寧県石寨山出土
 1956年、雲南省デン池の東南の石寨山で、2000年以上前の青銅器がまとまって見つかった。その中で、高さ53センチ、蓋の直径32センチの、貝殻を貯蔵するための腰のくびれた円筒形の器物が注目を集めた。なぜならその円形の蓋の上に、127人もの人々が集まって、儀式のようなことを行っている姿が克明に鋳造されていたからである。

 高床式の部屋の中で、祭司らしき一人の女性が高い椅子に座り、何か呪文を念じているようだ。そのほかの祭祀者たちは、祭司の前の地面に座っている。一人の雑役夫が両手に供物をささげて恭しく梯子を登って部屋に入ってくる。


 権力と富を象徴する十六面の銅鼓が、祭祀者たちを三方から取り囲んでいる。屋外の鼓手は大きな銅鼓を打ち鳴らしている。生贄にされる裸の男は石の柱に縛り付けられ、顔面に恐怖の色を浮かべている。

 しかし、厳粛で緊迫した部屋の中に引きかえ、部屋の周囲は、さまざまな服装の人々が、ここで盛大な集いを催そうとしている。大鍋を設け、羊や牛を屠って料理したり、馬や犬だけでなく虎や孔雀までも交易しようとしたりしている。ここはにぎやかな、騒がしい雰囲気に溢れている。

 これはまさに、詛盟(同盟を結ぶ)の儀式が行われている様子を描いたものだ。東晋(317〜420年)の歴史家、常雉は『華陽国志』の中で、雲南の人々は鬼神を敬い、巫術を好み、部族間で神秘な儀式で盟を結び、修好することが多いと記載している。この円筒形の青銅器は、この詛盟の儀式の歴史的瞬間を凝固させたものに違いない。

独特の青銅器文化生んだデン国

詛盟場面銅貯貝器の細部
 雲南地区には、豊富な銅鉱石が埋蔵されている。古来より、中国が銅の貨幣や銅器を鋳造する際の、重要な原料の産地であった。だいたい紀元前5世紀から紀元2世紀にかけて、ここには、中原とは明らかに異なる青銅器文化が形成された。後の人々はこれを「デン国の青銅器文化」と呼んでいる。

 詛盟の場面を描いた青銅器のほかに、現在までに雲南省の李家山、天子廟、曲靖などの墓葬の中から、すでに2万点のデン国の青銅器が発見されている。それらの鋳造理念はおおむね写実主義で、建築や人物ばかりでなく鳥獣までも、もとの形に沿って造られ、それらを組み合わせて詛盟や戦争、祭祀、刑罰など歴史的事件や生活習俗を表現している。

 これに比べて中原の青銅器は、ロマン主義的である。鳥獣の図案はあるが、多くは芸術的な加工を施し、そこから人々の事物に対する見方を表現している。

 デン国の青銅器は、どうしてこうした特徴を持っているのだろうか。ある専門家たちは、多分、西方の写実主義彫塑の影響を受けたのではないか、と見ている。歌舞の場面を表現した一件のデン国の青銅器には、2人の踊る人物がいるが、いずれも高々とした鼻と落ち窪んだ眼窩が特徴で、長袖の上着に長ズボンをはいている。その容貌と服装は、顔が平板で長ズボンをはかない雲南の人々の特徴と合致せず、西方あるいは北方の草原の民族とよく似ている。

 しかもこうした人物の青銅器は、数百のデン国の青銅器の彫像の中で、たった三例に過ぎない。このことから、古代の西方人はおそらく、インド亜大陸あるいはそのほかのルートを経て雲南に来たと考える人もいる。
(2007年1月号より)

リュウ金嵌玉ジョウ琉璃銀帯鈎(戦国・魏)
長さ18.7センチ、幅4.9センチ
1951年河南省輝県固囲村出土
陶船(後漢)
長さ54センチ、高さ16センチ
1955年広東省広州先烈路出土
「テン王之印」金印(前漢)
高さ1.8センチ、一辺の長さ2.3センチ、重さ89.5グラム
1956〜1957年雲南省晋寧石寨山出土
「テン王之印」金印の文字の面

 
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