相互理解は高校生から始まる
                          王浩 林崇珍 于文=文    楊振生 王浩=写真

日中友好会館でいっしょに語り合う中国と日本の高校生たち
  中国と日本の関係がやっと好転し、新しい友好関係の構築が始まった。その基礎を固めるには、次代を担う中日の高校生たちが、互いに相手国を訪問し合い、自らの目と心でその国を理解する、それが回り道のように見えて実はもっとも確かな道だ――こうした考えに立って、昨年5月から「中日高校生交流」が始まったのである。

 中国からはすでに1100人の高校生が中長期と短期に分かれ日本にやってきて、日本に関する理解を深めた。日本からも200人の高校生が中国を訪問した。

 歴史や文化が違い、言葉も通じない彼らだが、そこは若い高校生同士、たちまち打ち解けて、別れ際には必ず涙を流し合う間柄となった。中国と日本の高校生たちに随行して、実際の交流の現場を見た。

特集1          中国の高校生が見た日本
 
  「中日高校生交流」が始まってほぼ一年。日本を訪問した千人を超す中国の高校生たちは、日本の学校で日本の生徒たちといっしょに授業を受けたり、普通の日本の家庭にホームステイしたり、さまざまな体験をした。そして中国の高校生たちは異口同音にこう言うのだった。「百聞は一見に如かず」

教育の質の違いを実感

外務省で開かれた歓迎会で、中国の高校生と歓談する駐日中国大使館の孔鉉佑公使(右から2人目)と日本政府の塩崎恭久官房長官(右端)
 2006年夏、「中日高校生交流」訪問団の200人が日本を訪れ、10日間、滞在した。高校生たちは新疆ウイグル自治区、河北省、内蒙古自治区などの6つの省や自治区からやってきた。

 新疆ウイグル自治区の昌吉回族自治州の高校2年生、呉双さん(漢族)もその一人だ。「日本の都市はどんな姿だろう」「日本の高校生たちは私たちと同じように勉強や生活をしているのだろうか」―こんな疑問を持ちながら日本にやってきた。彼女にとって日本は「近くて遠い国」であった。

 岩手県の盛岡南高校を訪問した呉さんは、日本の高校生たちといっしょに授業を受けた。外国の学校で外国の生徒と机を並べるのは、彼女にとって初めての経験だった。

訪日した中国の高校生を歓迎するパーティーが日中友好会館で開かれ、中国の高校生たちが日本舞踊を披露した
 「日本の女子高校生たちは、制服がきれい、笑顔もすてき」。これが呉さんの第一印象だった。

 高校生同士、同じ世代なので、共通の話題はいっぱいあった。言葉が通じなくても、みんな一生懸命、英語で会話した。「日本の高校生たちは元気いっぱいで、開放的でした。進んで私たちと話しをしてくれたので、気持ちが通じ合わないというようなことはまったくありませんでした」と、呉さんは嬉しそうに言った。

 その後、今度は看護の授業を受け、老人をどう介護したらよいかを日本の高校生といっしょに学んだ。授業中、日本の生徒たちは非常にまじめで、一つの動作を何度も繰り返して練習していたのが彼女の印象に残った。

西原愛さん(右)の母親(右から2人目)といっしょに晩ご飯を作る呉双さん(左)とディリバイルさん(左から2人目)
 さらに日本の高校では、料理や電気製品の修理など、生活に関連する科目も設けられていることに呉さんは興味を引かれた。「日本の学校は、生徒たちの実践力や創造性を培うことに気を配っていますが、中国では知力の教育に重点を置いています。私たちの学校では、生活や技能に関する科目は一切ありません」と呉さん。

 午後3時過ぎ、授業が終わると、多くの生徒たちはクラブ活動に参加する。球技をしたり、体操をしたり、楽器を演奏したり……呉さんは、さまざまなクラブを見学した。

 「日本の高校生活は羨ましい」と呉さんは思った。「日本の高校生たちはリラックスしていますね。それに比べると、中国の生徒たちはいつも疲れています。私たち朝8時から午後6時まで授業を受けて、家に帰っても夜には宿題をしなければなりません。学校にはクラブなどありませんから」

ホームステイで深まる理解

呉双さん(右)とディリバイルさん(中央)は、西原愛さん(左)とプリクラで記念写真を撮った
 呉双さんと、やはり新疆ウイグル自治区から来たディリバイルさん(ウイグル族)の二人は、桜美林高校一年生の西原愛さんの家にホームステイすることになった。

 西原さんの家に着くと、お母さんが忙しく夕食の準備をしていた。中国の生徒たちは生の食べ物が苦手だと聞いて、わざわざすき焼きを用意していた。お父さんの廉太さんは中国の地図を持ち出して、呉さんたちの故郷がどこにあるのか、その場所を教えてほしいと言った。

 お父さんは、立教大学の教授である。今回の「中日高校生交流」を高く評価している。「私は中国へ行ったことがありますが、中国人は友好的で親切だと感じました。一部のメディアの報道とは全然違います。だから私は、自分の子どもに中国人の友だちができて、付き合ってくれたらいいなと思っています。彼らは交流を通じて、日中両国関係や両国間のある一部の問題や意見の相違に対して、自分なりの考えを持つことができるようになるでしょう」と、若い人たちへの期待を語った。

西原愛さんに連れられて、スーパーで買い物する呉双さん(中央)とディリバイルさん(右後方)
 愛さんは、お父さんが買ってくれた中国語のテキストで、簡単な中国語を勉強していた。学んだばかりの「ニーハオ」「謝謝」などの単語が役に立った。写真を撮ろうと愛さんは、呉さんらを連れて、近くのショップに行き、プリクラを撮った。

 将来、何になりたいか―中国と日本の高校生たちは「夢」を語り合った。愛さんは小動物が好きで「水族館の飼育係になりたい」と言った。呉さんは「外交関係の仕事をしたい」といい、ディリバイルさんは「まだ就職のことを考えていない。現在の夢はよい大学に入学すること」と正直に打ち明けた。

 日本の生徒の多くは、将来の職業について、看護士、教師、公務員など具体的な理想を持っているようだ。これに対し中国の生徒の多くは、「科学的な仕事をしたい」とか「外交分野で働きたい」とか大雑把で漠然としている。こうした「人生の夢」の違いをめぐって、中日の高校生たちは熱心に話し合った。

 たった一晩のホームステイによって、二人の中国の高校生と西原さん一家は深い友情の絆で結ばれた。ディリバイルさんは「西原さん一家は、普通の日本家庭のやさしさや親しみを味あわせてくれました。言葉が通じなくても、生活習慣が違っていても、人と人との誠意ある気持ちは通じ合います」としみじみと言った。

 別れるときが来た。愛さんも呉さんもディリバイルさんも、みんなつらくて、涙を流した。「とても優秀で、かわいい子どもたちですね。これからも付き合って行きたいものです」と廉太さん。

 「中日高校生交流」に参加したすべての中国の高校生たちも、同じように別れの悲しさを味わったようである。

相手の身になって考える

中国の高校生は日本の外務省で、塩崎恭久官房長官(右)に書の作品を贈った
 2006年9月からは、初めての中長期滞在の中国の高校生32人が、日本での留学生活を始めた。この高校生たちはすべて、中国の外国語学校から選ばれ、ある程度の日本語の基礎を身につけている。留学先は日本の14の府県にある16の高校。期間は3カ月から1年間。

 于ロ君と朱虹さんが留学したのは千葉県君津市にある千葉国際高等学校である。期間は1年間。于君は山東省済南市から、朱さんは江蘇省蘇州市からやってきた。勉強が大変なのはもちろんだが、両親から離れて自立して生活をしなければならない。そんな2人に、学校側はいろいろと面倒をみてくれる。その心遣いに二人は心温まるものを感じた。

 2人の世話をしているのは蓮間輝道先生。日本のことをもっとよく知ってもらおうと、2人を連れて東京や横浜などへ連れて行った。横浜の中華街には、中国各地の料理がそろっている。于君は久しぶり故郷の料理である山東料理を食べて、感激した。

 夏休みが来ると、学校側は2人のために、ホームステイの手配をした。于君のホストファミリーには2人の男の子がいた。日本の家庭の親子関係をみて于君は「まるで友だち同士のようだ」と感じた。「中国の父親のイメージは大変厳しいので、日本とはまったく違います。こうした中国と日本の違いは、ほかにもたくさんあります。そういうことが、留学生活の中でだんだんと分かってきました」と于君は言った。

千葉国際高校で授業を受ける朱虹さん(左手前)と于ロ君(左後方)
 一方、留学生がホストファミリーに影響を与えることもある。于君はホストファミリーで朝食を食べているとき、お母さんがこう言った。「于君とのお付き合いを通して、中国のことが分かるようになったと、下の息子が言っています」

 これを聞いて于君は非常にうれしかった。「いっしょに暮らし、なんでも話し合い、なんの隠しごともない。僕はこのホストファミリーを通して、普通の日本人の本当の生活が分かりました。ホストファミリーの皆さんも私を通して、普通の中国人とはどんな人間かを知ることができたと思います。これこそ『心と心の交流』でしょう」と于君は言った。

 日本に留学して数カ月、于君は、自分のものの考え方が次第に変化してきたと感じている。それは、問題にぶつかったとき、相手の立場に立って考えることができるようになったことである。中日両国の間には、物事の認識に多くの違いがあるが、相手の身になって考えさえすれば、相互に理解し合い、意思を疎通することができる、と于君は考えている。 



中日高校生交流に参加して                       「日本を食べる
山東省泰山外国語学校  高校二年  劉振強

日本の同級生といっしょに立つ劉振強君(中央)
 私は去年の9月に日本に来ました。たくさん新しい経験をしましたが、その中でも一番興味深かったのは、日本の食べ物です。

 学校では、調理実習に参加しました。中国ではまったく料理をしたことがありませんでしたが、とても楽しいです。日本の学生とたくさん交流ができ、そして、日本の料理について知ることができました。

 手の形をしたクッキーを作ったり、りんごを切ってアップルパイを作ったり、いろいろなものを作って食べました。でも、一番、心に残っているのは、アンコウの料理です。

 アンコウは見た目がおかしくて、みにくい魚です。初めて見たときはびっくりしました。とても高くて、おいしい魚とは信じられませんでした。

 たくさんの人がいる中で、料理の先生はアンコウをさばきました。とてもはやい! そしてとても上手に切りました。私はびっくりしました。

 先生からアンコウの身をもらって、私たちの班は、唐揚げを作りました。どうするかわからなかったので、日本の生徒に教えてもらって、いっしょに料理しました。

 初めて魚を油で揚げたので、興奮しました。とても楽しく、そして、とてもおいしい。まさか日本で、こんな魚を料理するとは思いませんでした。でも、日本の食べ物も体験できて、すばらしい一日でした。

 下関で一番有名な魚はフグです。チャンスがあって春帆楼というレストランで食べました。ここは名所旧跡で、とてもきれいなフグが出てきました。私は、初めて刺身を食べました。実はとてもおいしいことがわかりました。瓦にのった蕎麦も食べました。初めて食べる物ばかりです。

 たくさんの日本の文化を、初めて体験しました。この経験を大切にしたいと思います。これからもいろいろ食べて行きます。 (2007年4月号より)

 


 
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