正常化35年 中国と日本のこれから
 

 今年は中国と日本が国交を正常化してから35年目の節目の年に当たる。両国指導者の相互訪問によって、この数年、冷え切っていた両国の政治関係は友好と協力に向け動き出した。

 と同時に今年は、全国的な抗日戦争の発端となった盧溝橋での「七・七事変」と南京での大虐殺事件からちょうど70年目にも当たる。正しく歴史を認識することが、両国の友好と協力の基礎であると、多くの人々は考えている。

 国交正常化からの35年、両国の関係は山あり谷ありだった。しかし気がついて見るといまや、両国経済は切っても切れない関係になり、人の往来もますます頻繁になっている。

 これから両国関係は、どう発展してゆくべきなのか、そのためには双方にとって何が必要なのか。中日関係の現状と、それを踏まえた識者のさまざまな提言をまとめ、総合的、多面的に中日関係の未来を考えたい。


特集1 日常生活の変化から見る中日関係の「日常化」
                                      高原 林崇珍=文

 中日両国間の相互交流の歴史は悠久であり、その範囲は広く、関係は密接であり、相互に深く影響し合ってきた。これは世界でもめったに見られないことである。

 古くは中国の古典文化が日本に伝わり、日本の明治維新後は多くの社会科学や自然科学の用語が中国に流れ込んだ。この2、30年は日本の商品や技術が中国に輸出され、中国製品が日本の市場にあふれている。

 中日国交正常化から35年。中国も日本も、相互の影響は、庶民の日常生活の中にまで及んできている。

中国の中の日本文化

 中国の古典文化が日本に影響を与えたことは疑いない。日本人はそれをほとんど自分の文化として受け入れている。ほとんどの日本人が『三国演義』を知っているし、『論語』を読み、唐詩を暗記している。

 それに対して中国人は、といえば、おそらく『源氏物語』も知らなければ、まして芭蕉がいったいどんな人なのかも知らない。しかし今日に至るまで、一部の中国人は依然として、日本文化に対するある種の優越感を持ち続けており、日本の言葉や文化がすでに映画やアニメなどの流行文化の製品とともに中国に浸透し、中国に影響を与えていることにまだ気付いていない。

「萌え〜」は何語

北京の大型スーパーの日本食品の売り場で、日本の飲料を客に勧める中国のセールスレディ

 ついこの前、ある女子高校生と話していたら、小さな女の子がとくにかわいいことを「特萌」というのだと言う。「特萌」って、いったい何? いろいろ考えたが分からなかった。後になって突然ひらめいた。あれは日本語の中の「萌え〜」のことを言っているのだと分かった。

 彼女は日本語を勉強したことがないので、「こんな日本語、どこで習ったの」と尋ねてみると、怪訝そうに「萌って日本語なの」という。もともと彼女のクラスメートたちの間ではずっと「萌」は使われてきたが、みんなそれは香港か台湾の方言だと思っていて、日本語だとはまったく知らなかった。

 日本では「萌え〜」は成人男子が小さな女の子をかわいいと思い、ロリコン的な感情を抱くことを指す。しかし、中国の中高生たちの会話の中では、「萌」は形容詞に変わり、ただ女の子のかわいさを形容する言葉になった。

 「我倒」もそうだ。若い人たちはみな、びっくりしてショックを受けたときにはこの言葉を使うのが好きだ。彼らより目上の人たちは、わけが分からない。「それほどでもないじゃないか。どうして『倒』(倒れる)なんて言うんだ」

 しかし、日本の漫画をちょっとめくると、何かあるとすぐに手足を空に向けてひっくり返ってしまうアニメの人物が登場する。それを見さえすれば、「我倒」の由来を容易に理解できる。

 1980年代以来、日本は、アジアの流行文化の中で優勢な地位を占め、大量の日本語の語彙が香港、台湾を経由して中国大陸に伝わってきた。あるいは直接、日本の映画やアニメを通じて青少年の間で流行し、続いて主流の話し言葉の中に入ってきた。

 時間が経つと多くの中国人、特に若い人たちは、みな、こうした言葉が外来語だと意識しなくなった。「人気」「暴走」「完敗」といった日本語は、つい数年前までは、小中学校の国語の先生方の頭を悩ませてきたが、今はすでに普通に認められた常用語となり、多くの新聞や雑誌によく見られるようになった。

 言語は、一つの民族の性格と思考方法をつくり出す。中日両国とも漢字を使っているので、自然に親近感を持つ、と言う人がいる。いま、日本の言葉が大量に中国語の中に溶け込み、中国語の一部と見なされるようになった。これによって、中国の青少年が、日本人の性格や思考方法をもっとうまく受け入れることができるようになるに違いない。

「MUJI」のような生活

 2006年7月、上海のもっともにぎやかな南京西路に、一軒の「MUJI」の専売店がオープンした。店はたった700余平米しかなかったが、上海の、ちょっとお金のある人たちが続々とやってきた。

 「MUJI」は、日本のブランドメーカーの「無印良品」が海外で登録した商標である。南京西路の店は、「無印良品」が中国大陸部で開設した第一号の支店で、店内は、日本の「MUJI」の店とまったく同じ、商品のラベルもすべて日本語で書かれている。

 唯一、日本の「MUJI」と違うのは、日本では低価格、高品質で名を馳せている「MUJI」が、中国では明らかに価格が安くはないというところだ。日本の物価はもともと中国より高いうえに、関税がかけられているため、上海の「MUJI」の価格は、日本より高い。

 「MUJI」でよく売れているニット類の100%、衣料品の70%は、中国でつくられている。とはいえ、中国の普通の消費者はなかなか手がでないのだ。しかし、時代の流行を追う若者たちの、「MUJI」が好きだという気持ちに影響がない。彼らは「MUJI」に行って文房具や食器などの割と安い商品を買う。あるいは何も買わないで、ただ写真を撮るだけの若者もいる。それをネット上に貼り付けて、友だちと喜びを分かち合うのだ。

 「MUJI」の簡潔で自然な、環境に優しいデザインがすごく気に入られている。「MUJI」ファンの若者にとっては、ここで売られているものは、単なる商品ではなく、一種の生活のスタイルであるという。中国の大都市の贅沢な風潮の中で、「MUJI」は新鮮な美感を人々にもたらしたのだ。

 「MUJI」のほかにも、さまざまな日本料理店の精巧な食器、さりげない飾りつけ、あっさりとした味付け、色鮮やかな料理は、いつも日本式の美感と禅の境地を伝え、人々の美的感覚に影響を及ぼしている。 日本の友人と付き合うと  中日両国の経済、文化の交流がますます盛んになるにつれ、ますます多くの日本人が中国に来て学び、仕事をし、旅行をする。こうした日本人を通じて中国人は、日本の文化と伝統を感じ取ることができるようになった。

 もし、誰か中国人に、日本の友人と付き合う中で最初に何を感じたかを尋ねてみると、多くの人の答えはおそらく「すこし疲れた」だろう。椅子に座っているときは、両足をきちんとそろえていなければならない。食事の前には必ず「いただきます」と言わなければならない。食べ終わったら「ご馳走さま」と言う。話すときは顔に笑みを浮かべ、言葉遣いは婉曲で、ゆとりを残しておく。

 もっとも難しいのは、日本の友人に「さようなら」を言うときである。別れるときはいつも、絶えずお辞儀をし、「またお会いしましょう」と言い続ける。数歩行っては再び振り返り、もう一度お辞儀をして別れを告げる。中国人はどうするか。まず、決心をし、身を翻して去り、再び振り返ることはしない。まるでこうしないと、永遠に、別れの儀式が終わらないかのようだ。

 日本人の礼儀は、大和民族の謙虚な性格と「和」を追求する人付き合いの原則を集中的に体現している。付き合い出してしばらくは、こうした繁文縟礼(形式を重んじて煩雑な礼法)に、中国人はわずらわしく、堅苦しいと感じる。

 しかし、それは同時に、中国人を映す鏡になっていて、中国人は自らの欠点を見ることができる。これまで「礼儀の邦」と自ら誇っていたが、今は、汗顔の至りである。

 現在、国学ブームで、『論語』の読解が盛んだが、それはみな、中国人が伝統的な価値や伝統的な道徳を追求する努力の反映なのだ。こうしたプロセスの中で、中国人は常々、伝統をかなりうまく保っている日本人と自らを比較し、自らの足りないところを客観的に見ているのだ。

日本市場に溶け込む中国製品

 中日間の経済・貿易が拡大するにつれて、双方の商品が双方の市場に流れこんできた。両国の消費者は、最初はその商品が「中国製」なのか「日本製」なのか意識していたが、いまやほとんど違和感を感じなくなってきた。

百円ショップ支える中国製品

銀座に大きな広告を出した中国の大手家電メーカー・ハイアール(写真・王衆一)

 夜の原宿。「ダイソー」(大創産業)の百円ショップは、人で込み合っている。安い日用品を売る店として、その人気は、ファッションの店にほとんど負けてはいない。ここにあるほとんどの商品は「Made in China」のラベルがついている。

 渋谷。旅行で日本に来た張さんは、叔父さんのためにスーツを選んでいた。叔父さんが言うには、日本のスーツはできがよく、デザインもいいので、ぜひ買って来てくれるよう頼まれたのである。しかし、いくつかの店を見て回ったが、気に入ったスーツは7、8万円もして高すぎるし、3、4万円の値段が適当なものは中国製と書かれている。いろいろ迷ったあげく、最後に張さんは、やはり「Made in China」のスーツを一着買った。値段の違いを除けば、日本製となんら違いがない、と彼女は思ったからだ。

 安価で、実用的な100円グッズは、普通の日本人の日常生活には欠かせないものである。それは、街を歩けば100円ショップや99円ショップがすぐ目に飛び込んでくることからも分かる。

 20世紀の末から今世紀の初頭にかけて、日本の小売業界に、100円ショップが大量に出現した。よく知られているように、この100円ショップを支えているのは「値段が安く、品質が良い中国製」である。

 たとえば、「ダイソー」は現在、日本で2400軒以上の店を持っている。店内の商品は、どれも優れて日本的なものばかりであるが、そのほとんどが中国で製造されている。中国に設立された多くのダイソーの製造工場は、日本からのデザインと注文を受けて製品をつくり、製品は全部、日本に送られて販売される。こうした商品は、あまり目立たない小物にすぎないが、一般の消費者たちに実益をもたらしている。

 100円ショップばかりではない。日本の電器、衣料、玩具のメーカーも次々に中国で商品を生産する道を選んだ。日本企業は低コストの労働力を必要としており、中国企業が成熟するためには、日本の資本や技術面での協力が必要である。だから両者は、密接に結びついて、現在、相互依存関係を形成しているのだ。 ITがもたらしたチャンス  中国は日本に、安い日用品を大量に輸出しているが、単純なものばかりではなく、IT技術を使ったフラッシュメモリーが中国で発明されたことをご存知だろうか。

 USBフラッシュメモリーが発明されるまでは、データの保存には3.5インチのフロッピーディスクが使われていた。しかし、容量が小さいうえに壊れやすい。 USBフラッシュメモリーの発明者で、深セン朗科公司の創業者のケ国順さんも、この問題にいつも悩まされていた。出張するときに持って行ったフロッピーが不注意から壊れてファイルが読めなくなることがしばしばあった。

 普通の人はフロッピーが壊れないように心を砕くが、ケさんはそうしなかった。仲間2人と深セン市羅湖区に二間の家を借り、そこで世界初のUSBフラッシュメモリーを研究・開発してしまったのだ。そして十数カ国で特許を申請した。今、大多数の家庭用パソコンからは、フロッピードライバーがなくなり、USBフラッシュメモリーが完全にとって代わった。

3月20日、東京の京浜急行品川駅で、「上海ウィーク」と「上海万博」の写真展の開幕式が挙行された

 また、私たちが現在見ている映画用DVDは、東芝や松下など6社が核心技術の特許権を享有する特許製品であることはよく知られている。しかし、それより先に、テレビで映画を放映するときに使うディスクのDVDを開発したのは中国であることをご存知だろうか。

 DVDが出現する6年前、中国安徽テレビ技術研究所の姜万モウ所長は米国で開かれた展覧会の会場の片隅で、ある小さな会社が、画像を圧縮する技術を実演しているのを見かけた。興味をそそられた姜所長は、これを利用することで、映画を一枚のCDディスクに圧縮することができると思いついたのである。ビデオやLDに比べて、CDディスクのコストは極めて低く、大いに儲かる可能性があった。

 そこで、長年、研究・開発を続け、1993年にVCDプレーヤーがついに中国で誕生した。そしてたちまち全国に広がり、ビデオを淘汰した。姜所長が自ら開発した製品をテレビの展覧会で展示したとき、会場は大きな反響で沸いた。多くの日本の製造業者たちはそれを見て非常にいぶかしく思い、トリックかどうかを確かめるために、展示台の回りをぐるぐる歩き回り、スイッチを入れては切り、切っては入れた。

 新時代のハイテク、とくにIT産業の発展は、中国に新たなチャンスをもたらした。それは中国が単なる廉価な製品を作る「世界の工場」であるだけでなく、さらに多くの新しい技術や発明を作り出す能力も備えていることを証明している。

日本化した中華料理

 中国には、日本の中華料理に関するこんな笑い話がある。

 年を取った中国人夫婦が息子に会いに日本へ行った。二人は、日本料理はおそらく口に合わないだろうと、一軒の中華料理店に入ってギョーザを注文した。中国では、ギョーザといえば、お湯でゆでる水ギョーザを指す。ところが皿に盛られて出されたギョーザは、油で揚げた、焦げて、サクサクしたものだった。

 二人はうろたえた。そして店長に聞いた。「これは『鍋貼』(焼きギョーザ)じゃないか。お湯でゆでたギョーザはないのですか」。すると店長は丁寧に答えた。「ございます。ただトマトスープでゆでたものです」。

 確かに、日本人がいつも食べている「中華料理」は、本場の中華料理とはかなり違い、「日本風の中華料理」と言っていいだろう。料理人たちは伝統的な中華料理を基礎に、砂糖を多く入れたり、ワサビなどの日本人の好む調味料を使ったりして、自分の想像力を大いに発揮し、さらに日本人の口に合う料理を作り出している。それによって中華料理の内容も、豊かになったのである。(2007年9月号より)

 

 
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