黄河下流で見た典型的な農村
ルポ
 
循環経済は村を豊かにする

 楽陵市梁錐村にある「希森三和公司」は、この村出身の有名な農民企業家・梁希森さんが投資し、創業した民営の株式会社である。肉牛の飼育や食肉処理・加工、バイオ製品の生産を主とするこの会社は、循環経済の発展に努力し、この地方に豊かさをもたらし、大いに賞賛されている。

廃物を宝物に変える

梁錐村の農民たちはみな、別荘のような新村に入居した

 この会社には、46棟の牛小屋が並んでいる。牛小屋の一棟ずつに200頭の太った「魯西黄牛」と呼ばれる牛が飼われている。この牛は体型が大きく、皮は薄くて肉は柔らかい。中国では有名な肉牛である。

 会社は楽陵市の各村の畜産農家と契約を結んで、牛が400キロになれば、会社が市場価格よりキロ当たり4角(約6円)高い価格で買いとる。これによって畜産農家の収入は増えた。

 牛を飼う人は、サイロで発酵させ、酒のにおいがする飼料を大きな二輪の荷車に載せ、牛小屋へ行く。以前は、農民たちはトウモロコシを刈り取った後、その茎を燃料として煮炊きに使ったり、そのまま畑に捨てたりしていた。

 今は、楽陵市とその周辺の4、5県の農民は、トウモロコシの茎を会社に売り、1ムー当たり200元の収入を得ることができる。これで環境が守れるし、収入も増やせる。

 牛は3カ月から6カ月間飼育され、500キロになると屠殺される。その肉はきめ細かくて柔らかいため、北京や天津、上海などのスーパーやホテルで人気がある。会社は牛肉を供給するだけではなく、牛の角や骨、皮、血も総合的に利用し、各種のバイオ製品を開発している。このほど、牛の血から牛の血清蛋白、白い色素蛋白、SOD(抗活性酸素酵素)の抽出に成功した。廃物が宝物に変わり、会社に巨大な利益をもたらすだろう。

総合利用で良性循環

後倉村のメタンガス・ステーションは、二人で管理できる。これで全村の燃料をまかなっている

 大きな肉牛の飼育と食肉処理場からは、大量の牛の糞便と廃水が出る。それによって環境汚染を引き起こさないのだろうか。

 この会社は、創設の時から、循環式の経済モデルを打ち立てていた。良性の産業の鎖をつくり、その鎖の輪と輪が結びついて総合的に利用されるため、経済的な効果と利益を高めるだけではなく、汚染も減少した。

 まず会社は、600万元を投資してメタンガスの池をつくった。この池に、毎日に生じる75トンの牛の糞便と百トンの廃水を注ぐ。発酵して生じるメタンガスは、梁錐村と付近の九つの村の農家に炊事用として無料で提供されるほか、メタンガスで発電し、食肉処理場とその冷蔵庫の電力として供給される。

 北方の冬は寒く、メタンガス池の発酵が難しいという問題に対して、会社はとくに超熱伝導設備をメタンガス池に据え付けて、寒い冬にも平常通りメタンガスを供給できるようにした。

 メタンガス池の中の液体は、非常によい肥料となる。農作物にそれを吹きつければ虫を防げるので、農薬を使わないで済む。メタンガス池の沈んだ澱も有機肥料となり、それを使ってキノコを栽培している。そしてキノコの培養に使った滓はミミズの好物である。

 会社には300ムーのミミズの養殖基地があり、日本から導入された「大平2号」というミミズを養殖している。農家は、ミミズの養殖基地の管理を請け負い、除草したり、天候が乾燥しているときは水をまく。一ムーで毎年、4トンほどの活きたミミズが生産され、日本へ輸出されて、トン当たり2万元で売れている。

 ミミズは蛋白質を多く含んでいるので、薬品をつくったり、牛や豚、鶏、魚などの飼料の添加剤としても用いられる。土のようなミミズの糞便は加工されて、年産3万トンの活性複合肥料のミミズコンポストになり、ゴルフ場の芝生や高級な花卉、ジャガイモの良い肥料として用いられている。

中国最大の肉牛基地目指す

日本に輸出するミミズを包装する村人たち

 トウモロコシの茎→牛の飼育→メタンガス→キノコの栽培→ミミズの養殖→ミミズコンポストの生産→トウモロコシの生産……この長い循環の鎖は、会社に利益をもたらしただけではなく、梁錐村と周辺の村に豊かさをもたらした。村の人々は、性別や年齢、能力によって、牛小屋や食肉処理場、バイオ製品の工場、ミミズ養殖基地、飼料・肥料の加工工場でそれぞれ働き、毎月600元〜1500元の収入を得ている。

 さらに重要なのは、循環の鎖が、すでに楽陵市と周辺の県や市の良き手本となっていることだ。現在、楽陵市だけで、一万戸以上の農家が会社と契約を結んだ。農家の人々は牛の飼育のほか、サイロでトウモロコシの茎を発酵させて飼料を作る技術をマスターしたり、メタンガス池をつくったり、ミミズを養殖したりしている。

 現在、楽陵市政府は、「会社プラス農家」で、農業の循環経済を発展させて豊かになる方式を推進している。同市の計画によれば、3年の努力で、契約を締結した牛の飼育農家は7万戸になり、年間に消費するトウモロコシの茎は200万トン、飼育されている牛の頭数は40万頭になる。そしてここを中国最大の肉牛生産基地にしようとしている。



農民から企業家になった梁希森さん

農民企業家の梁希森さんが創業した毒性のないジャガイモの原種栽培基地

 希森三和公司を創業した梁希森さんは、とても不思議な人物である。彼には口に言えないほどの惨めな青少年時代があった。彼の故郷の梁錐村はアルカリ土壌の土地であるため、農作物は実らない。1960年からの3年連続の自然災害で、わずか3歳の弟は餓死した。10歳のとき、彼は飢饉のため、その土地から逃げ、最初は乞食をし、やがて小さな作業場で鍛冶屋を始め、辛酸を嘗めた。

 改革開放後、彼は故郷に戻り、100ムーの耕地を請け負った。綿の栽培で豊かになった梁さんは、故郷にまず小さな工場を建て、その後、済南、北京などで不動産業を始め、中国で有名な「農民企業家」になった。

 梁希森さんは豊かになった後も故郷を忘れなかった。彼は自分の資金と知恵で、故郷の人々に報いた。2001年、彼は4200万元の資金を出して、もともと墓地や荒地だった土地や一部の耕地に、別荘式の新しい村を建てた。村は全部で136戸であり、梁錐村の村民は無料で1棟2階建ての280平方メートルの建物をもらった。また彼は3億6000万元を投資し、元の古い村を今の希森三和公司に建てかえた。村民たちは公司に就職した上に、元の敷地をお金に換算して株主になり、毎年、公司の配当金をもらっている。

 2005年、梁希森さんは7000万元の資金を投入し、隣村の許家村を移転させて、村民のために快適な新しい村を建てた。彼はまた3億8000万元で、元の許家村に、毒性のないジャガイモの原種の栽培基地をつくった。3年後、ここで栽培されたジャガイモの優良品種は、全国各地のジャガイモ農家に800億元の収入増をもたらすだろう。 (2007年10月号より)





 
本社:中国北京西城区車公荘大街3号
人民中国インタ-ネット版に掲載された記事・写真の無断転載を禁じます。