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団地のさまざまな活動に積極的に参加する住民たち |
都市全体を一人の人間とみなすと、道路はその血管であり、中心広場はその顔である。そして、団地と結節点はその筋肉と骨格、関節であると言える。
なぜ団地が都市の筋肉なのか? 都市は人間が造ったものであり、団地は人々が集中する居住区だからだ。中国では、人々が集中的に住む団地を「居民小区」と呼ぶ。居民小区はいくつかの異なるタイプの建物からなり、閉鎖された生活環境である。施設を完備した団地には、銀行、商店、学校、幼稚園、郵便局、市場などがあり、生活に便利だ。
今、北京で完成している一番大きな団地は、第二環状道路の南側にある「方荘」だろう。この団地は1980年代に建設され、四つのエリアに分かれている。建築面積は二百数万平方メートル、7万人以上がここで生活している。
北京の団地は「1950年代の三里河、1960年代の和平里、1970年代の勁松、1980年代の方荘、1990年代の亜運村、21世紀の望京と奥運村(オリンピック選手村)」と言われている。
「亜運村」は第四環状道路の北側にある。北京で第11回アジア大会(1990年10月)が開催されたときに建設された選手村であり、その後、住宅として一般に販売された。広々と壮大な設計で施設も完備されているので、その周りにはたくさんの小さな団地ができ、それを合わせて、方荘の後にできたもう一つの大型団地となっている。北京市の全体計画から見れば、この建築群は市の中心を南北に貫く線――故宮を通る中軸線の延長にある。ここは、都市建築のクライマックスの地点であり、最終の地点でもある。
現在建設中の「望京」は、中心となる居住区が五つのエリアに分かれ、その周辺の居住区と開発中の「大西洋新城」「南湖渠小区」「信荷城」などの大型団地を合わせて、人口30万人を擁する副都心的な超大型団地となる。北京で21世紀最大の団地になるだろう。
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市の北部に建設中の収容人数三十万人の団地「天通苑」
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方荘と亜運村、望京は、すでに形作られている大規模な団地で、都市の新しい筋肉となっている。これらの建築は1980〜90年代の中国の住宅設計を体現している。団地はまるで蜂の巣のように、人々が身を寄せる場所である。都市において、行政、金融、商業、貿易、工業、教育に関する建築物を除けば、残るのはほとんど団地だろう。都市という骨組みの中で、団地は血や肉となり、魂となっている。
結節点とはシンボル的な建築物のある地点で、立体交差の四隅はまさにそれに当たる。
私は、1997年の首都建築計画設計展覧会で発表された清華大学建築学院の「三環節点設計計画」に興味を抱いた。この計画は、長さ48キロ、二十の立体交差がある第三環状道路における結節点の建築設計について詳細に計画し、北京の都市スカイライン建設の青写真を定めたものである。
たとえば、市の中心部を東西に走る長安街の延長線上にある西の「公主墳立体交差橋」と東の「国貿立体交差橋」は、中心部から周辺部へ移行する地点で、これらの設計はとても重要である。
国貿橋の四隅は、北西が中国国際貿易センターの二つのオフィスビル(高さ155メートル)を主とする建築群からなり、面積は56万平方メートル。南東は航華科貿センター(メーンビルの高さ154メートル、面積30万平方メートル)と富裕隆組合ビル(面積10万平方メートル)からなる。このため、まだ建設されていない南西は、建築物の高度制限が150メートルとなった。北東には中服ビル(高さ90メートル)があり、その東側には二つのビル(高さ230メートル、約60階建て)が建設される。
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「大北窯」は長安街と第三環状道路が交差する地点であり、ここにある「国貿立体交差橋」は北京市の重要な中枢の一つ |
これにより、長安街の東の重要な結節点である国貿橋は、高さ150メートルから230メートルの大型建築群で構成され、中央ビジネス区(
CBD )のシンボル的な景観となるだろう。
北京は雄大で広々としているので、結節点の建築と設計は都市のビューポイントともなる。このような都市の関節にあたる地点は、単なる目印ではなく、都市の生き生きとしたシンボルでもあるのだ。(2005年3月号より)
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