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北京駅 |
駅は離合集散の地だ。工業化の時代には、故郷を離れる人々がここから旅立った。渡り鳥のような群集がここに現れては消え、感傷や悲しみそして喜びが集まるところである。個人にとって駅は感情のバロメーターであるといえ、すべての人にとってここは記憶の中の象徴となっている。
大部分の中国人は列車に乗ったことがある。今のところ、列車は長距離移動の際の主な交通手段だ。駅へやってくるたびに、過去数年間の奔走と移動の場景が一瞬にしてすべて湧き上がり、非常に複雑な感情が呼び起こされる。
駅とは都市の門戸であり、空港と同じように、都市へ通じる正門である。そこで、駅は開放的で、広い度量をもって、すべての人を自由に行き来させている。駅とは終着点または出発点であり、過程ではなく、結末なのだ。
北京には4つの主要な駅がある。アジア最大の北京西駅のほか、北京駅、永定門の南駅、西直門の北駅だ。このほか、すでに使われなくなった前門の東側の旧駅がある。これは北京と奉天(現在の瀋陽)を結ぶ京奉鉄道の始発駅だった。この駅は現在、商業施設となっているが、時計台のような柱状建築は、いまなお昔の様子をとどめている。
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1901年に建設された北京旧駅。前門の東側にあり、京奉鉄道の正陽門東駅だった。現在は商業施設となっている。 |
また、北京の東部と北部に現在建設中の望京新城、北苑、回竜観などのベッドタウンには、百万人以上が入居する見込みなので、北京市政府は、かつてあった和平里駅から望京など前述の地区を経由し西直門駅に至る、総距離40キロ余りの「軽軌」(都市鉄道)13号線が建設され、北部の環状線を形成した。これにより、先に述べたベッドタウンの住民は、市街地へ行くのが便利になった。
建国門内大街の北京駅は、これまでずっと北京の交通の要であり、重要な門戸であった。しかし今では、北京空港の第3ターミナルの拡張や北京西駅の完工により、その役割はかなり小さくなった。
高層建築ではない北京駅は、今なお、中国東北部、内蒙古へ向かう国内鉄道やモンゴル、ロシア、朝鮮へ向かう国際鉄道などの運行を担っている。中央噴水や駅前広場の公共緑地の建設、駅の外壁の修繕、そして駅から長安街に至る長さ400メートルの幅広の緑化地帯など、北京駅の改築はすでに終了しており、古めかしかった駅は新しい姿でオリンピックを迎える。北京駅から北京西駅までをつなぐ地下鉄の建設も、2005年12月28日に着工した。この地下鉄の総距離は9.1キロである。
北京西駅について言及しなくてはならないのは、この高さが104メートルもある巨大駅が、「古都の風貌を取り戻す」という当時の北京市長の都市建設理念の犠牲者として、中国風の伝統的な大きな屋根をむだに被らされていることだ。
西駅の建設はおおむね完工し、北側の長安街へ通じる駅前広場と道路は、往復六車線の道路に変わった。一方、南側の大型オフィスビルや駐車場、ビジネスセンター、高架橋などは現在建設中であり、テナントを募集している。かつて新聞をにぎわせていた「西駅ショッピングエリア」は、いまだどこにも見られず、かなり閑散としている。
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1901年にイギリス人が設計した京奉鉄道の第1信号所。崇文門にあり、今でも比較的完全な形で残っている |
これは、南側の建設がまだすべて完工していないのと同時に、西駅が運行している路線数も北京始発の路線の半分に至らず、利用客がそんなに多くないためである。そこで、この北京市西部の巨大な建築物は、広くて雑然としているように思われる。そのうえ、多くの人がここで、不愉快なサービスを受けたり迷ったりした経験があるため、大きいだけで使い勝手があまりよくなく、サービスや案内標識も不完全であることが、西駅の特徴となってしまった。アジア最大の駅と称しながら、アジア最高の駅ではけっしてなく、アジアでサービスがもっともよく、もっとも快適な駅でもない。
数十トンの重い屋根を頭に戴いているため、荘厳さ、雄渾さのほか、特に美しさはない。逆に保守的で堅苦しいイメージがあり、失敗作とも言える。せめてソフトの面では、もっと工夫をこらすべきである。
05年末、2つの昔の小さな駅、北京南駅と北駅も大規模な改築を始めた。08年のオリンピックを迎えるためである。
駅とは雑然とした鳥の巣であり、ここへやってくるたびに、多種多様な表情を観察することができる。私自身、心が焦り、他の人も茫然としている。私は、彼らの経歴や気持ち、どこへ行こうとしているのか、誰と会おうとしているのか、彼らの命運と結末を推測する。
駅は見知らぬ人々が集まる最大の場所であり、流動的で、感傷的で、刹那的で、断片的なものだ。その屋根の下で、到着したり出発したりする乗客からなる群集の流れは休むことなく、新しい未知なるストーリーを織り成している。(2006年4月号より)
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