北京ウォッチングR 邱華棟=文 劉世昭=写真
 
先見性が必要な立体交差
 
 
 
四環路の望和橋は北京と河北省承徳市を結ぶ高速道路につながる要だ(写真・李継輝)
   北京は中国で立体交差が最も多い都市だ。300余りの立体交差の大部分は、第5環状道路(五環路)内の市中心部(325平方キロ)の幹線道路上にある。立体交差は空高く建設され、一つひとつの道路の要となっていて、北京を四通八達の都市に変えた。

   最初、都市は平面的なものだった。交通量が少なかったため、交差点の信号機で交通を制御できた。しかしその後、自動車が増えたため、従来のような信号機だけの制御では道路は「駐車場」になってしまい、しかも交差点の状況はまるで「腸閉塞」のようだった。そこで、立体交差が生まれたのだ。

   立体交差は都市の構造を平面から立体へと向かわせる第1歩となった。近代的な都市の交通は必ず立体的である。地下には軌道交通があり、地上には快速な交通網がある。航空の交通機関もあり、空からも乗客が運ばれてくる。

 立体交差の数、大きさは都市の近代化と公共施設の便利さを示している。北京の大型の立体交差は一般的に3〜4層構造になっていて、四方向以上からやってきた車両が自由に行き来している。代表的なのは国貿と京広の立体交差だ。

1960年代半ばに北京で最初に建設された建国門の立体交差

   立体交差につながる高架道路は、一方通行の道路として建設されている。時には数キロにも達し、街中を貫いて走っている。上海の高架道路は10〜20キロにも達する。建築密度が高すぎてこれ以上拡張することが難しい従来の道路の上に君臨し、市内のビルとビルの間をぬって走り、都市の交通を快速・便利にしている。

 北京の二環路にある古いロータリー式の立体交差は、すでに人々の需要に応えられなくなっている。それは2層構造で、下層は一方通行の道路、上層はロータリー式の道路となっている。ロータリー式の道路上では、自動車は自由に四方向へ向かうことができるが、交通量が増えると、このような自由な方向転換は渋滞の要因となってしまう。

 これにより、北京の東、西二環路は交通量が多いとき、渋滞がひどい。それに交わる道路の渋滞も激しい。そこでこの渋滞を解決しようと、立体交差上に信号機を設置した。しかしこうすることで、立体交差の建設当初の目的とは食い違いが生じ、もともとの機能は失われてしまった。

 また、三環路の立体交差の出入り口は不合理な建設のため、いつも渋滞している。出入り口が一つの車線を占領しているため、交通量が多いときには出入り口付近の車の流れが非常に遅くなってしまうのだ。三環路上の車は急いで下の道に下りたり、下の道の車は急いで三環路に上がったりしようとするが、立体交差の下の信号機は下りてくる車の量をセーブしている。そこで、三環路上の車の時速は20〜30キロという場合もあり、快速道路としての機能は弱まってしまっている。

二環路の光明橋から建国門までの一画はいつも渋滞している

 このように、二環路と三環路の立体交差は不合理なものが少なくない。当時の都市建設の設計者たちは先々のことを考えず、自動車の発展がこんなに速いなんて思いもしなかったのだ。

 北京の自動車台数は2005年、300万台近くに達した。5年後には500万台になると見られ、飽和状態に近づく。そこで、道路や高架橋はそれに適応させなければならない。

 都市の建設は大きな志を抱くだけでなく、先々を見通す必要がある。たとえば、2000年に実施された天安門広場の改築計画は、「50年後も立ち遅れない」を基準として設計された。立体交差もこのような考え方で建設すればいいのだ。

 西直門の立体交差は2回取り壊され、いまだに北京最大の渋滞地点となっている。北京では間もなくオリンピックが開催され、六環路の建設も終了する。そのときには、立体交差が70以上増える見込みだ。これらの立体交差の設計は、数十年後も立ち遅れないように考えなければならない。(2006年7月号より)

 
 
邱華棟 1969年新疆生まれ。雑誌『青年文学』の執行編集長、北京作家協会理事。16歳から作品を発表。主な著書に長編小説『夏天的禁忌(夏の禁忌)』『夜晩的諾言(夜の約束)』など。他にも中・短編小説、散文、詩歌などを精力的に執筆し、これまでに発表した作品は、合わせて400万字以上に及ぶ。作品の一部は、フランス語、ドイツ語、日本語、 リ国語、英語に翻訳され海外でも出版されている。  
 

 
本社:中国北京西城区車公荘大街3号
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