呂布が貂蝉と戯れる
物語は、中国の古典小説『三国演義』から取られている。後漢末、丞相の董卓は権力を握り、猛将の呂布を養子にして、いよいよ尊大横暴をきわめていた。司徒(宰相)の王允は「連環の計」という策略をめぐらして、まずは養女の貂蝉を呂布の嫁にやり、その後、彼女を董卓の妾にやらせた。呂布は、貂蝉が董卓に奪われたのを見て、心中穏やかではなかった。
ある朝、董卓にしたがって宮中にでた呂布は、董卓が漢の献帝と話している機に乗じて、こっそり丞相邸へともどった。そして、風儀亭で貂蝉と密会し、長らくそこを離れなかった。ちょうどそこへ董卓がもどり、2人の密会に出くわしてしまう。たいそう怒った董卓は、戟を呂布にめがけて放りなげたが、呂布は門から逃げだした。
その後、策士が董卓に「貂蝉を呂布に賜るように。そうすれば呂布が恩義を感じるだろうから」とすすめた。しかし、董卓は聞く耳をもたなかった。ほどなくして、王允の連環の計が成し遂げられた。呂布がついに、ある混乱状態にまぎれて董卓を殺したのである。(2005年7月号より)
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