団子を食べて一家団らん
「元宵節」(げんしょうせつ)は、旧暦の1月15日(今年は西暦2月23日)である。この日の朝は、どの家でも「元宵」という団子を食べる習慣がある。元宵はまた「湯円」とも呼ばれ、作り方も簡単だ。ピーナッツやクルミ、ゴマなどを煎り、砂糖を加えて餡を作り、小さくて丸い玉にする。それをもち米の粉に入れて、水を加えながら左右に揺らし、ピンポン大の団子になるまで、均一に粉をつける。こうした作り方は、俗に「揺元宵」(元宵を揺らす)と呼ばれている。南方の家庭では、もち米の粉を練って手のひらの上に伸ばして餡を入れ、その生地を閉じて丸くする。そして、沸騰させた湯に入れてゆでるか、または熱した油でサッと揚げれば、すぐ食べられる。
元宵の餡には甘いものも、塩辛いものもあり、とてもおいしい。また、元宵には「元」と「円」の発音が同じであることから、一家団らん、家族円満の美しい願いを込めている。中国全土で知られる台湾民謡『売湯円』(湯円を売る)は、「湯円を売る、湯円を売る、兄さんの湯円がまん丸い……湯円を食べたら、円満になる」と歌っている。
祠堂で祖先を祭る
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福建省泉州の元宵節では、商店の門前に飾り灯篭が掛けられる |
中国は宗族(一族)観念を重視し、春節(旧正月)や祝祭日になると祖先を祭る。広東、福建、台湾などの地では、各家が元宵節に元宵を食べた後、鶏や魚、肉、果物などの供え物を担いで、宗族の祠堂へと向かう。祠堂にそれらを供えて、茶や酒をつぎ、線香をたいてロウソクをつけ、高いところに掛けてある祖先の肖像画、または位牌にひれ伏して拝礼をする。祖先の功績をしのぶのである。
祠堂には一つひとつ灯籠が掛けられている。灯籠に赤い文字で「添丁」「財丁興旺」と記されているのに目が奪われるが、それは前の年に男の子が生まれた家が掛けたものだ。新たな命の誕生を宗族に伝え、祖先に子どもの健やかな成長を見守ってもらおうとするものだ。祭祀が終われば、にぎやかな爆竹の音のなか、家長が灯籠をつけて祠堂と自宅の台所、かまちの上方の横木にそれを掛ける。
こうした風習は、「灯」と「丁」(家族の数)の発音が似ていることから、宗族の「添丁之喜」(子が生まれる喜び)を祝うものだ。また、男の子が生まれたことを報告する「上新丁」の儀式を行うことで、子どもが宗族の一員となり、家系譜にその名が入る。宗族の墓を祭れば、祭肉を分けてもらえる。学校に通うときも、宗族がもつ田や山の収入から、学費の援助を得ることができる。いまでも多くの台湾同胞や海外に住む親戚たちが、ふるさとへ送金し、同族の人に頼んで「上新丁」の儀式を行い、祖先に子どもを認めてもらうのである。
「中国のカーニバル」
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ドラや太鼓が鳴り響く山西省南部の元宵節 |
元宵節は、人々にとって格別な楽しみだ。半月前の春節は「兆し」や「前ぶれ」に気をつけるので、タブーが多く、さまざまな言動に注意しなければならない。しかし、元宵節はリラックスした楽しい祭りで、タブーがないのである。警備の厳しいかつての古代国都であっても、この日ばかりは夜間外出禁止令が解除された。皇帝、大臣から一般の庶民まで、また、ふだんは閨房(女子の部屋)に引きこもっている娘たちも、町へくりだし、美しい灯籠を楽しむのである。そのため、元宵節を「中国のカーニバル」と呼ぶ人もいる。
元宵節でもっともにぎやかなのは、民間の「花会」である。俗に「閙元宵」(元宵節を楽しむ)と呼ばれていて、各地にそれぞれ独特な催しがある。
陝西省北部では、ガッシリとした男たちが頭に白いタオルを巻いて、腰に掛けた太鼓を打ち合う。それはまるで雷鳴のような力強さだ。東北地方の村に伝わる「二人転」は、二人の男女が歌って踊る茶番劇で、ユーモアがある。山西省の「抬閣」(閣を担ぐ)は、古い戯曲の人物を演じる子どもを長い鉄棒の上にのせ、それを担いで練り歩く。
浙江省、福建省に伝わる「火鼎(火鉢)舞」は、昔の結婚式のようすを演じて興味深い。舅姑が炭火をおこした火鉢を担ぎ、前を歩く。その後ろに新郎新婦と介添えたちがついていく。モジモジしたようすを演じる仲人が、時おり、塩と糠を火鉢に放って、パチパチという音を上げる。観衆たちは、それを見ると押し寄せてきて、仲人の塩と糠を自分の体にまいてもらう。「塩」と「糠」の発音を借りて、新郎新婦の「縁」と「健康」を願うのである。その昔、火鼎舞を踊るときには、村人たちがたいまつをかざし、火鉢から火をつけて家に持ち帰っていた。それで家督を相続し、福を招いたことを示したのである。当時の火鼎舞は、村々をめぐるたいまつのパレードとなっていた。
中国人は、そもそも竜が好きだ。竜を舞ったり、祭ったりして、よい天候に恵まれて五穀豊穣であることを願う。広東省豊順の客家人は、元宵節の竜舞のさい、長さ数十メートルの竜身に爆竹や花火をしばる。竜舞が最高潮をむかえると、進行役が入場し、竜の口やエビの灯籠、コイの灯籠に掛けられた花火をつける。一瞬のうちに火炎が飛びちり、竜身の爆竹へと燃えひろがるのだ。上半身はだかになって竜を舞う数十人の男たちは、爆竹の音や火の熱さなどかまわずに、燃えさかる竜を上下左右にひるがえす。手に汗握るスリリングな竜舞を披露するとともに、竜を焼くことで疫病をはらい、村の繁栄を願うのである。
灯籠の祭
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広東省の客家人の元宵節。湯円を作るようす |
元宵節の前になると、家々の門に赤い灯籠が掛けられる。子どもたちは飾りつけしたちょうちんを手に提げて遊び、広場や町には灯籠の棚や牌楼(アーチ型の建造物)が建てられて、美しい灯火が輝く。旧暦1月15日の夜になると、人々はお年寄りや子どもたちの手を引いて、町へと灯籠観賞に出かける。そのため、元宵節は「灯節」(灯籠祭)とも呼ばれるのである。
灯籠は工芸職人はもちろん、一般の人たちも作る。それぞれ異なる材料や技をつかって、地方色豊かなものを生み出すのである。
陝西省北部の人たちは、コーリャンの茎を割って灯籠の骨組みを作る。カボチャや綿花、ヒツジの形の灯籠に赤い紙を貼りつけて、ロウソクを入れる。またはジャガイモで作った油皿に灯芯を立て、火をともす。それらが赤い灯籠になり、窰洞(洞穴式住居)や門のかまち、家畜小屋にかけるのだ。また、色紙を使って庭のナツメの木を飾り、赤い灯籠を掛けて、「灯樹」と呼んでいる。
山東省の農家は、大豆の粉を練って、十二支の灯籠を作る。家族の幸せと健康を願うのである。ダイコンで作った灯籠を、村の入り口から山腹まで並べる村もある。夜になり、灯籠に火をともすと、まるで野山に輝くネックレスをかけているようだ……。
都が置かれた古い北京の「宮灯」もよく知られている。宮灯は、縛り、貼り付け、編み付け、彫刻、書画、詩詞などを組み合わせた造型芸術である。一般的には、細木や彫漆(漆塗りの器物に彫刻をほどこしたもの)を骨組みにして、薄絹やシルク、またはガラスを貼って、山水、人物、花鳥などの絵を描く。掛ける灯籠のほかに、ちょうちん、卓上用の灯籠、壁掛け灯籠、儀式に用いる灯籠がある。もちろん、古い北京の「民間灯会」もじつににぎやかなものだった。飾り灯籠の種類と数は全国一で、繁華街・王府井のそばにある「灯市口」は、かつて飾り灯籠を売る定期市があったところだ。
「氷城」(氷の町)とも呼ばれる中国北部のハルビンは、氷祭りが有名だ。手作りの氷灯籠は、名所旧跡から人気キャラクターまで珍しい造形があり、キラキラしていて美しく、観光客を神秘の世界へいざなってくれる。
東南沿海の福建省泉州は、「彩灯之城」(飾り灯籠の町)とも呼ばれる。町の「騎楼」(二階から上が歩道に突き出した建物)の下に掛けられる飾り灯籠は、数千個におよぶ。どの家も飾り灯籠でつながっていて、「十里灯街」(十里の灯籠通り)となっている。
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山西省太谷の元宵節の「抬閣」 |
騎楼の下で灯籠を見ると、伝統的な花鳥や獣の形のほかに、オレンジやレイシ、パイナップル、ブッシュカンなどの南国のくだものの形、ゾウやクジャク、キリン、パンダなどの縁起のいい動物の形もあった。
人物の物語をかたどった灯籠のなかには「嫦娥奔月」(嫦娥、月へ飛ぶ)、「孫悟空大閙天宮」(孫悟空、天宮で大暴れ)、「八仙過海」(八仙が海をわたる)という灯籠のほか、『水滸伝』の英雄や『三国演義』の人物の灯籠もあり、それぞれ個性的だった。また、ロケットや衛星、宇宙船など現代の科学技術レベルを示した灯籠も珍しく、一つひとつ目をとめる暇もないほどである。
人々は灯籠を観賞するとともに、なぞなぞ遊びの「灯謎」を解く。なぞなぞは灯籠の表面に記すか、紙に記して灯籠の上に掛ける。その内容は漢字や天文、地理、歴史物語、民間伝説、生活常識などと幅広い。なぞなぞ遊びは知識が増えるし、想像力がふくらんで、知恵がつくので喜ばれている。
星を祭る古来の習俗
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山東省イ坊の年画『正月十五閙元宵』(清代) |
灯籠を掛けることは、元宵節の趣旨である。この風習のルーツとなるのは、漢の武帝が甘泉宮に灯籠を掛け、歌をささげ、夜を徹して「太一」を祭り、安全と健康を祈願したことにある。太一とはつまり北極星のことで、古代人はそれを風雨、水害、干ばつ、飢饉、戦争、疫病、災害をつかさどる最高の天神と見なしていた。また、木星などの星を農業の主宰神と見なしていた。
漢代以降は、灯籠を掛けて、歌や踊りで星を祭ることが風習となった。唐代の都・長安(いまの西安)の安福門外の灯輪は、高さ20丈(約66メートル)。そこに掛けられた灯籠は5万個にも達し、数千人の官女と千人あまりの少女が三日三晩、歌い踊ったのだという。
人々はそれ以来、星が輝き、天神が人間の活動を見るとされた元宵の夜に、星を祭り、豊作を願ってきた。江南地方の水郷では、養蚕農家が元宵節の夜にたいまつをかざし、田をめぐり、カイコを照らしてまゆの豊作を願っている。山西省の農家は、小麦粉でカイコのような団子を蒸して、カイコと穀物の神を祭り、豊作を願っている。
古代人はまた、星を人間の命を宿す神であると見なしていた。三国の蜀相・諸葛孔明は、天空にもっとも明るく輝く巨星であり、『水滸伝』の百八人の豪傑は、星の生まれ変わりであると考えられた。
このような観念は、人々が元宵節の夜に灯籠を掛け、祠堂を祭り、子どもがちょうちんを提げ、まだ子どものない親族の女性に灯籠を贈るなどの行いのもととなっている。こうしたすべては、「灯」と「丁」の発音が似ているために、吉祥の星に地上を照らしてもらい、子孫繁栄を願うことにつながっている。
もちろん、現代科学によって、こうした観念も変わってきた。人々は元宵節の娯楽しか知らず、星を祭り、子を授かるように願うという古来の風習を忘れてしまったかのようだ。(2005年2月号より)
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