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泰山の天キョウ殿 |
農暦(旧暦)の6月は、焼け付くような日差しだ。どの家でも、カビや虫から守るため、着物や本を日に当て晒す習慣がある。時はまさに農繁期。中国の北方では小麦を刈り、南方では水稲を収穫す。6月6日がやってくると、人々は収穫したばかりの穀物を味わう。嫁いだ娘が、里帰りしてくる。温かい人情が満ち溢れる季節である。
農暦の6月6日は、「6月6」とも天キョウ(貝に兄)節とも呼ばれる。「キョウ」とは「贈る」「賜る」の意味である。伝承では、宋の大中祥符四年(1011年)の6月6日に、宋の真宗は夢に、神人が天書を泰山に降したのを見た。そこで、泰山に天キョウ殿を建て、この日を天キョウ節と定め、百官を率い、香を焚いて礼拝し、天から瑞祥を賜ったことを示したという。
いまでも台湾のある地区では、依然としてこの日を天書降臨の「天門開(天の門が開く)」の日と見なしている。その夜は、善男善女が寺院に集まり、蝋燭を点してお供えをし、僧侶が経文を念じ、好運を祈る。
しかし、民間の「6月6」は、着物を晒したり、新しい穀物を味わったり、親戚回りをしたり、ウサギやアリの誕生日を祝ったりして過す慣わしだ。
昔はゾウも洗った
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「掃晴娘」(河南省霊宝の民間の切り紙) |
6月6日、人々はこの日、庭で服や布団などを干すのが常だ。民謡に「6月6、赤や緑の服を晒せば、虫食いは怖くない」という歌がある。昔の中国人は紅や緑の服を着ることが多かった。この日は「晒衣節」とも呼ばれる。
この風習は、3000余年前に始まったと伝えられる。周の武王は、暴君の商(殷)の紂王を討伐し、民を安んずるため、大軍をもって商の都、朝歌の南郊の牧野に進駐した。その時、荒れ狂う風雨に遭い、将士たちはみな、ずぶ濡れになってしまった。そのうえ蒸し暑く、服にかびが生え易かった。
しかし6月6日、天気が突然、晴れ渡った。武王はただちに将士に、急いで着物を日に晒すよう命じた。たちまち、赤と緑の着物が、あたり一面に晒された。付近の人々はそれを見て、次々とそれに倣った。こうして6月6日に着物を晒す風習が始まったのである。
その後、6月6日に晒す品物は、ますます多くなった。読書人は本を晒し、僧侶や寺院は経文を晒し、皇宮でさえ皇室の衣服や文書、記録を日に晒すようになった。
驚いたことにこの日、お年寄りが死装束として用意している経帷子や靴、帽子なども晒す。こうすることによって老人の寿命を延ばすことができると言われている。
このほか、河南省開封市の満州族の人々は、家の西壁に埋め込んだ箪笥の中に大切にしまっている祖先の族譜と骨壺を出してきて、日に当てる。彼らはこれを「晒祖(祖先を晒す)」と呼ぶ。
6月は、北方では小麦を刈り入れて干す時節だが、比較的雨の多い季節に入る。その時に長雨が降り続けば、農家の主婦たちはやきもきして、6月6日に紙を切り、晴れるよう祈るのだ。
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江南地方は六月に着物を晒す(写真・劉世昭) |
「掃晴娘」と呼ばれる切り紙は、両腕を横に伸ばし、手に竹箒か木の枝を握り、雲や風を追い立てている姿をしている。この「掃晴娘」を門の端につるし、晴天となって麦が干せるようにと祈る。
夏の盛りは蒸し暑い。人々はよく沐浴して暑気を払う。とりわけ6月6日には、頭を洗い、風呂に入る。特に女性は、この日に頭を洗えば、髪の毛が真っ黒で艶やかになり、いつもきれいでいられると言われている。
面白いのは、この日、犬や猫も身体を洗うことである。そうすれば、犬や猫はノミやシラミがつかないと言われる。人が乗る馬はもっとよく洗い、沐浴させる。明清の時代、都の北京では6月6日になると、高官や貴人、武将、貴族の子弟が、儀仗のドラやラッパが鳴り響く中、相次いで徳勝橋へ行き、湖畔で馬を洗った。
当時、都では、ゾウも飼われていた。儀仗隊は、大きなゾウに宝器を担がせた。6月6日になると市民たちは、宣武門外の城郭を巡る運河に集まり、ゾウの群れが運河に降りて沐浴して遊ぶのを見たが、それは都らしい風景の一つに数えられた。今の北京には、もうずっと前にゾウの儀仗隊はなくなったが、ただ「洗象池」「象来街」としてゾウにまつわる地名が残っている。
新穀を味わう喜び
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清代には、北京の宣武門外の運河でゾウを洗った(『点石斎画報』より) |
6月は、南方では水稲を、北方では小麦を収穫することから、南も北も、6月6日に新しい穀物を味わう習慣がある。
河南省の農民たちは、新しい麦の粉を麺棒で伸ばして麺にし、焼きそばを作って食べる。汁そばは食べない。汁そばは洪水を連想するので、焼きそばを食べるのである。焼きそばを食べれば、災害を免れるだけではなく、暑気を払い、目の疾病が治り、下痢も止まるという。夏には冷たい果物を多く食べるので、お腹を壊しがちだが、熱い焼きそばを食べるのは、確かに胃腸に有益である。
山東省の農家では、この日、新しい麦の粉で作られた饅頭を蒸したり、餃子を作ったりして、庭で天神を祭る。これは「献新」と呼ばれる。この日から、農家の食事は、雑穀から米や麦に換わる。それで「換飯(飯が換わる)」という。
中国人は孝道を重視する。人々は、新しい穀物を得たことを喜ぶ時、今は亡き先人たち、とりわけ最近亡くなった身内の人を偲ぶ。河南省の農家では、餃子を陶器の缶に入れて墓参りに行く。まず、お墓の四角に餃子を埋め、そして餃子をゆでた湯をお墓の周辺に撒く。これは先人の「解渇(渇きをいやす)」ためである。
河南省などから南へ引っ越してきた広東の客家の人々は、こうした習わしを受け継いでいる。彼らは早稲を刈り取り、新米でよい香りのするご飯を炊く。ヘチマやニガウリ、ナスなどの野菜を炒めて、五穀の神と祖先を祭った後、刈り入れを手伝ってくれた親戚や友人といっしょに新米のご飯を味わう。
6月は蒸し暑いから、人々は、暑気払いの軽食や飲み物を食す。例えば、北京ではリョクトウを煮て作ったスープを飲み、広州では「王老吉」という冷たい茶を飲む。
広東の客家人の「仙人◎(◎は米に反という字です)」は、最高の夏のスナックである。これは仙人草という草の根をきれいに洗い、ソーダで煮て、適量のでんぷんを入れてさらに煮る。それを冷やすと、固まって黒褐色の「仙人◎」になる。蜂蜜を加えて食べると、さわやかでつるつるし、かすかな香りがあって、甘く、おいしい。しかも喉を潤し、渇きを癒し、熱を下げ、解毒し、コレステロールを減らす効用がある。
嫁いだ娘の里帰りの日
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「接姑姑」(陝西省北部の民間の切り紙) |
夏は農繁期で、暑さは耐え難いほど厳しいが、それでも6月6日になると、人々は習わし通り、親戚回りをし、友人を訪ね、温かい雰囲気が満ち溢れる。
山西省では、6月6日に、嫁に行った娘とその夫を家に迎えて団欒する。この日は「姑姑節」と呼ばれる。伝承によると、書聖・王羲之は、女婿になった後、妻の母が自らカボチャを細い糸状に切り、小麦粉を加えて「胡餅」を作り、彼をもてなした。それから「胡餅」は山西の名物になったという。
里帰りする娘を迎える慣わしは、二千年以上前の戦国時代にその起源をもつ。当時の晋国の宰相、狐偃は、政務に励み、廉潔であり、たいへん重用された。ところがあろうことか、彼はやがて功績を鼻にかけておごり高ぶり、この世に並ぶ者がないとうぬぼれた。
彼の娘は、晋国の大臣、趙衰の息子に嫁ぎ、両家は親戚となった。6月6日は狐偃の誕生日であり、ある年、趙衰は、狐偃の誕生日のお祝いをする時に、言葉巧みに忠告したが、意外にも狐偃は、恥ずかしさのあまり怒り出し、かえって趙衰を責めた。趙衰は気鬱から病気になり、まもなく病で死んだ。
狐偃の女婿である趙衰の息子はこれを恨み、仇討ちの機会を待った。次の年、晋国は大きな干害に遭い、狐偃は民に食糧を配るため出かけることになった。出発する前、彼は、6月6日には家へ帰って誕生祝いをすると約束した。
女婿は密かに友人と、誕生祝いの時に狐偃を暗殺することを企てた。狐偃の娘はこのことを知ると、そっと実家へ帰ってその情報を知らせた。娘の母親はそれを聞くと、急いで狐偃に手紙を書き、人に持って行かせた。
食糧を配っていた狐偃は、人々の苦しみを目の当たりにし、趙衰の忠告を聞かなかったことを後悔し、過ちを改める決心をした。彼は女婿を招いた宴会に自ら出て行っただけではなく、誕生日の宴会の席上でも、心をこめてこう言った。
「私は娘婿の父親の忠告を聞かなかったため、天は怒り、人は恨み、娘婿さえ私を暗殺したいと思うようになってしまった。父親の仇を討つためだと考えれば、それも情理にかなっているので、私は彼をとがめるつもりはない。娘もそのことを父に知らせてくれたのは、親孝行の気持ちからしたことで、それも得がたいことだ……」
彼の話を聞いて、みな感動した。そして両家はヨリを戻して、家族そろって狐偃の誕生日を祝ったのだった。
このことが民間に伝わると、庶民たちはこれに倣って、6月6日に嫁いだ娘が里帰りするようになり、「6月6、接姑姑」という習わしができたのである。
生きとし生けるものを愛しむ
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農家では、お年寄りのお誕生日をこうして祝う(写真・秦嶺) |
夏はイナゴがはびこる時節である。虫害に直面した人々は、虫を叩きつぶしたり、火で焼いたり、網で捕らえたり、民間に伝わるやり方でイナゴを撲滅するが、そのほかにも、虫の王に加護も求める。伝承によると、6月6日は虫王の誕生日で、村人たちはこの日、虫王廟へお参りし、イナゴが人々に災害をもたらさないよう、虫王が手に持っているイナゴがいっぱい入った宝瓶の蓋を開けないでほしい、と願うのだ。
また6月6日は、多くの神々や英雄の生誕日でもある。湖北、湖南省のトゥチャ族は、この日を太陽の生誕日を見なし、太陽神を祭る。雲南省宣威の人々は、この日に土地神夫婦の誕生祝いをする。
山東省の山地の住民は、この日を山神の誕生日と考え、羊飼いが線香や蝋燭、菓子を持って山神の誕生祝いをする。そして神様に、悪いオオカミが村に来て災いをしないようきちんと管理してほしいと願う。安サユ省の淮南地方では、人々はこの日を治水の英雄・大禹の生誕日と考えている。
6月6日はまた、多くの生きものの誕生日でもある。山東省の沿海漁民は、6月6日をクラゲの誕生日と考えていて、この日に一粒の雨が海に落ちるごとに一匹のクラゲが生まれると言っている。
農民たちは、この日をウサギの誕生日といい、収穫したばかりの小麦粉で、大小のウサギを捏ねて作る。河南省の一部の地方では、この日をアリの誕生日としている。当地の人々は、「焦篷」という焼いた餅を食べる時、わざと餅を割って餅の屑を地面に落とし、アリに誕生日のプレゼントをするという。
生きとし生けるものはみな平等であり、万物を愛しまねばならない――これが民間で行われている「6月6」の精神の一つである。(2005年6月号より)
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