【画家たちの20 世紀(6)】


闘病生活から生まれる美 沙キ

                       文・魯忠民


『故郷の台所』
55.5×72CM 油彩 1948年
写真提供・中国油画研究学会

 今年春、「沙キ芸術70年作品回顧展」が北京の中国美術館、上海美術館、台北歴史博物館を巡回し、各地で大きな注目を浴びた。美術評論家は、この特別な画家の特別な絵画を、見る人に独特の魅力を感じさせるものと称えた。 沙キは1914年、浙江省キン県沙村生まれ。もとの名は沙引年だが、字を吉留と称し、号を沙キとした。

  1929年から36年にかけて、上海昌明芸術専科学校、上海美術専科学校、杭州芸術専科学校、中央大学芸術学部に学び、そこで近代西洋絵画に関する知識を身につけ、次第に天賦の才を発揮、大胆な筆遣いとデリケートな色彩感覚が徐悲鴻の称賛を受けるまでになった。

 1937年、徐悲鴻の紹介を受け、ベルギーに自費留学、十年を過ごす。国立美術学院院長、バスティエンの指導を受けながら、西洋の絵画に対して系統だった研究を続けた。1938年、優秀な成績によって学院の金賞を授与され、卒業後は表現主義、フォービズム、キュビズムといった芸術運動に身を投じるなかで、芸術家としての模索を続けた。その過程で、東洋的情感を豊かにたたえた作品が生み出されるようになった。

  1940年、ピカソなど世界の有名画家たちと共にベルギーで展覧会に参加、当地の美術界の絶賛を受け、有名画家となった。

  1946年、沙キは精神分裂症を患い、時に好転したり、再び悪化したりする病状のため帰国を余儀なくされた。知らせを受けた徐悲鴻は、彼を北平芸術専科の教授として招いたが、病のため応じることができなかった。

  その後、彼は故郷に戻り、長い療養生活に入った。不幸な病も、彼の芸術にたいする情熱を失わせることはなかった。30年にわたる長い歳月、彼は粗末な道具で数千にものぼる作品を描き続けた。

  80年代初め、油彩の創作に新たに取り組み、浙江省と上海、北京で個展を開いた。1985年以降は、学生を連れて、江蘇省、浙江省および東北地区に旅行に出かけるようになり、人物、静物をテーマとする多くの作品を残した。

  この時期の沙キの作品は、迫真のフォルム、素朴な色彩感覚といった写実主義の画風を基調とし、さらに印象派、表現主義の特色をも併せて生かしたものだった。それは画家の自然に対する愛、社会と人間に対する美しい希望を表現していた。

  90年代以降、80歳を超えても、沙キは休むことなく創作を続けているが、作風には大きな変化が見られる。印象派、フォービズム、表現主義の各派を融合させた、絢爛たる色彩と大胆なタッチの力強い作品群が次々と生み出されるようになったのだ。 そして、彼の作品の不思議な魅力として人々が称えるのは、画面には必ず、中国の絵画において伝統的に最も貴いものとされてきた、東洋的な趣がいつもどこかに漂っていることだという。 (2001年6月号より)