|
『カザフ族の羊飼いの女』
127×160cm 油彩
1948年 中国美術館蔵
写真提供・中国油画研究学会
|
1949年10月1日、天安門城楼に建国の元勲が並び、毛沢東が中華人民共和国の成立を宣言した場面を描いた作品『開国大典』は、華麗な色彩と、溢れる躍動感によって、中国で広く知られている。この絵の作者が董希文である。
董希文は、1914年、浙江省紹興の柯橋に生まれ、4年後、家族とともに杭州に移った。父の董萼清は地方の文物鑑定家だった。希文は幼少から絵画を好み、およそ本の空白部分は、アヒルのヒナや小犬などの絵で埋めつくし、まだ足りずに壁にも描いているような子供だった。
1932年、杭州之江大学土木工学部に進学したが、一年後には蘇州美術専科学校に転じ、絵画に捧げる人生が始まった。その後、上海美術専科学校、ベトナム美術専科学校に学び、1936年には、国立杭州芸術専科学校本科に進み、林風眠、潘天寿らに師事。勤勉で成績優秀な学生だった。1937年、日本軍の侵略によって杭州が陥落、董家の財産は灰塵に帰し、二人の妹は避難時に犠牲になった。彼は学校の内陸への移転に従い、苦学を続けた。貴陽での移動の際には、匪賊に襲われ、全財産を奪われた。すべてを失ってなお、彼は道程を進み、創作を続けた。
彼はこの旅で少数民族の苦境に深い同情を寄せた。そしてミャオ(苗)族の村に入り、雲南や貴州で、人民の生活をテーマに、多くのスケッチを残し、これがその後の創作の原点となった。1939年、国立杭州芸術専科学校卒業。ベトナムで半年過ごしたのち帰国、抗日宣伝活動に身を投じた。
1942年、重慶で開催された常書鴻による「敦煌壁画模写展」を見たのがきっかけとなり、敦煌に向かう決意を固めた。翌年、新婚の妻を伴い、三カ月をかけ、人影もまれな辺境の地、敦煌にたどりついた。のちの二年半、彼らは生活を最大限にきりつめ、すべての情熱を古人の残した偉大なる芸術に捧げた。単調かつ寂寞たる生活環境のなかで、彼は豊かな収穫を得た。壁画に学んだものは『カザフ族の羊飼いの女』『北平解放』『開国大典』などの作品に大きな影響を与えている。
1946年、蘭州、蘇州、上海で相次いで「董希文敦煌壁画模写創作展覧」を開催、大きな反響を巻き起こした。同年、呉作人などの推薦により、徐悲鴻は彼を国立北平芸術専科学校の副教授に招いた。
新中国成立後は、紅軍の長征のルートに沿って油彩の写生を行い、チベット自治区に三度足を運び、農奴から解放され新生活に至った人民を祝福するために絵筆をふるった。また同時期には、中国現代史の歴史的事件を描いた大作を創作した。なかでも『開国大典』『チベットに春至る』『ヒマラヤ頌歌』『祁連山の朝』などは中国の油彩の名作となっている。また、芸術教育事業にも力を尽くし、多くの青年を育てるとともに、工場、農村などにも入り、人民芸術家の模範として学生たちに影響を与えた。
「文化大革命」の動乱期には、災いがおよび、1971年、再び絵筆を握った時には、不幸にして癌をわずらっていた。1973年1月8日、病は癒えることなく、世を去った。
(2001年8月号より)
|