【画家たちの20 世紀(22)】


新旧世代をつなぐかけ橋 キン尚誼(1934〜)

                       魯忠民


『タジクの花嫁』
50×60センチ
油彩 1983年
中国美術館蔵
写真提供・中国油絵学会

 1980年代以降、中国油絵は、徐々に成熟に向かった。多くの優秀な油絵芸術家は、世界の美術潮流の研究に力を入れ、各民族の伝統を吸収し、個性的な創造を重視し、多元的な芸術的成果を獲得し、徐々に国内外の文化界から注目を集めるようになった。

 83年以降、画家・キン尚誼は、「色のかたまり」を使った伝統的な手法ではなく、従来の油絵にはなかった「線」を使った表現を重視し始めた。それにより、徐々に、絵の具の層の厚さやきめの細かさを表現できるようになった。彼がその年に創作した『タジクの花嫁』をシンボルとして、中国の肖像画は、古典主義的画風を生み、美術界に大きな影響を与えた。

 キン尚誼は1934年、河南省焦作市に生まれた。49年、北平国立芸術専科学校の絵画学部に入学、52年には同校大学院に進んだ。55年、旧ソ連の画家・マクシーモフが中央美術学院に開設した油絵訓練班に参加し、57年に課程を終了後、同校で素描を教え始めた。78年、同校の油絵学部副主任に任命され、83年、副院長、87年、院長に就任した。現在は、中国文学芸術界連合会副主席、中国美術家協会主席を務める。

 キン尚誼は、中国油絵が未成熟から成熟へと向かう歴史的時代をくぐり抜けてきた。その過程で彼は、彼自身の芸術的業績と学術的地位が、師に学び後進の手本となるという、重要な役割を果たしたと考えている。彼は15歳から一貫して絵を学び、研究・創作し、中国美術の最高学府である中央美術学院で教鞭を取った。そして、中国の第1世代油絵画家・徐悲鴻や第2世代の呉作人らから、直接的に精神的影響を受け、同時に、彼らの真摯な芸術への教育態度を目の当たりにした。歴史的転換期に学んだ第3世代の油絵画家として、キン尚誼は、先輩たちと同様の精神で、同僚とともに、中国の第4世代、第5世代の油絵画家を育てた。

 キン尚誼にとっては、彼自身の芸術レベルが、芸術教育に関わる「資本」になった。そして、長年の授業経験は、彼の絵画に対する思考と創作意欲を奮い立たせ、促進させるものだった。彼は長年の創作活動を通して、多くの傑作を残しているだけでなく、中国油絵の学術的基礎と古典的気風を築き上げたことで、人びとの注目を集めた。彼はまた、伝統的中国山水画の大家・黄賓虹の作品を鑑賞して、油絵の意味を模索し、古代文人の芸術の情緒表現に重きをおく作風や抽象的な意味合いから、個性を探し出そうとした。

 『タジクの花嫁』は、キン尚誼の代表的作品である。キャンバスに表現されているのは、斜光のもとでの強い白黒の対比である。その重厚感は、中国の民族壁画の精神を吸収し、線による旋律的作用を発揮し、構成、明暗、輪郭線の概括を通して、作品に理想的な色彩と象徴的意味を込め、作者本人の審美感と個人的情趣を表現した。キン尚誼は、肖像画に優れ、西洋の古典主義芸術の真髄を吸収し、それに中国民族の伝統を加味している。彼の筆で描かれた人物は、誰もが、このきまり悪そうにしているタジク族の女性と同じように、上品な美しさを呈している。(2002年10月号より)