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小程村の入り口 |
「天下の黄河は、99の場所で曲がっている」といわれるが、5464キロにおよぶ黄河は、それ以上に多く曲がりくねっている。その中でも壮大で美しいのが、延川県城(県政府所在地)から50キロあまり離れた乾坤湾だ。
乾坤湾は、晋陝(山西省と陝西省)峡谷にある。乾坤湾から登って峠を越えた所にある小程村には、60戸、252人が住んでいる。かつてこの村は水不足で苦しみ、長い間とても貧しかったが、1999年、耕作を止めて棗を栽培し始め、今では棗の郷と呼ばれるまでになった。
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毎晩、切り絵と布絵の制作に忙しいカク秀琴さん |
小程村文化活動ステーションの3つの窰洞には、この村の女性たちが作った、切り絵や布絵が展示されていた。
4年前、民間美術収集のために小程村を訪れた、中央美術学院のキン之林教授は、とても貧しく、電気すらないこの地で、切り絵を愛し、美しいもので自分の生活を豊かにしている女性を見て、心を打たれた。そしてキン教授は文化幹事の馮山雲さんと、育成訓練クラスを作り、女性たちに切り絵と布絵の創作を指導し始めた。現在では、村の半分近くの家庭の女性が作品を作るようになり、技術的にも向上した彼女たちの作品は、多くの国内外の芸術家を魅了している。
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小程村文化活動ステーションには、20人以上の女性が作った切り絵と布絵が展示されている |
「楽士が前を歩き、新婦を迎える人たちがその後について、ワウワ、トントンチャン、お嫁を迎えて家に帰る」
賀彩紅さんはオンドルに座って、民謡を歌いながら切り絵をしている。今年35歳の賀さんは、4年間しか小学校に行っていない。頭がよく、手先が器用だった彼女は、幼い頃から母親について、民謡や窓を飾る切り絵の作り方を学んだ。18歳で結婚した時、婚礼で使われる、男女が交換する一対のマントーの上に被せる大きな赤い「喜」の字も、彼女自身が作った。
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民間芸術家の馮山雲さんに、自分の切り絵作品を紹介する賀彩紅さん。彼女の歌う民謡もとても心を打つものだ |
賀さんが以前よく作っていた切り絵は、ザクロやボタン、臘梅の枝に止まるカササギなど、昔ながらのデザインが多かった。訓練クラスを受講し、創作の方法を学んだ賀さんは、民謡の歌詞の情景や物語を、想像力豊かに切り絵に表現し始めた。『吹鼓手(楽士)』や『賠嫁粧(嫁入り道具)』などの、農村の結婚を表現した切り絵はすでに40枚以上になり、この数年で彼女が作った民謡シリーズの切り絵は、20組以上にもなった。
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古びた窰洞の入り口に掛けられた布絵。住んでいる人の生活に対する愛情がうかがわれる |
今年41歳の、切り絵のベテラン馮彩琴さんは、幼い頃から切り絵が好きで、針仕事も得意だった。20歳で嫁いだとき、何十もの刺繍靴と中敷きを作って、嫁ぎ先の人々に贈ったこともある。今彼女には4人の子どもがいるが、彼らの綿入れ上着やズボン、靴はすべて彼女が作っている。
創作を始めたのは、訓練クラスに参加してからだ。昼は畑仕事と家事に追われているので、夜、時間を作って切り絵をする。彼女の作品のモチーフはとても多く、「心の中にあるものを切り絵にする」のだという。
針仕事をずっとしてきたためか、彼女の切り絵の多くは、服やズボン、腹当て、前掛け、虎の頭をした靴の形が多い。また、棗を摘み、食事作りや洗濯、牛での耕作、機織や刺繍という、日常生活のすべてが切り絵のモチーフになっている。
延川の切り絵の特徴は、日常生活を創作の源にしている点だ。延川の女性にとって、衣食住、労働の情景、動植物の全てが作品の素材になる。
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ここ数年、何百枚もの切り絵を制作した馮彩琴さん夫婦と息子さん |
彼女たちが切り絵をするときは、まず切り取る形を鉛筆で簡単に描くか、または全く下書きをせず直接切り始める。そのため出来上がったものはとても素朴だ。
ほかの地方の切り絵は、伝わってきた昔ながらの方法で厳密に切られるため、出来上がったものがみんな同じように見えることがある。しかし延川の切り絵は、その大部分が即興で作られるので、感情が自然に現れる。そしてたとえ同じスタイル、同じ人物でも、毎回切り取られたものは違っている。飾らず、わざとらしくなく、形式にこだわらず、大胆なのが、延川の切り絵の一番大きな特徴である。
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布絵の制作プロセス
自分で染めた粗布と、日頃集めていた布切れを、デザインによって様々な形に切る。布の上に糊で貼りつけ、必要に応じて縫いつける。布の端に始末をして、最後にアイロンをかける。 |
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棗摘みを終え帰ってきた、馮彩琴さん夫婦と息子さん |
カク秀琴さんの窰洞は、まるで展覧会のように、切り絵や布絵、農民画が多く壁に貼られていた。また、額縁には、本人の写真と、彼女が受賞した「剪紙能手(切り絵の名手)」の証明書が飾ってあった。
今年47歳のカクさんは、昼間は、夫婦で棗を摘み、夜はオンドルの上で、様々な布の切れ端を使って布絵を作る。
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2人の若い助手を指導しながら、仕事場で布絵を作っている「民間工芸美術大家」の高鳳蓮さん |
もともと切り絵をしていたカクさんは、訓練クラスに通ってから、切り絵の方法で布絵を作るようになった。訓練クラスが彼女の芸術的な素質を呼び覚ましたようで、今では、切り絵や布絵の制作に楽しみを感じている。そして作品作りを始めると、夜中の2時ごろになってしまうこともあるそうだ。
カクさんの作品は、色々な展覧会に出品され、収入も増えた。一番多く売れた年は、切り絵と布絵だけで1万元近くになったという。今はよりたくさんの作品を作り、娘を大学に行かせるための学費を蓄えたいと思っている。この小程村は貧しく、今のところまだ1人の大学生も出していない。
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切り絵のプロセス
陝北の切り絵の道具は鋏だけだ。切り取る形を鉛筆で簡単に描くか、直接切り進める。切り紙は普通、五枚ほど重ね、糸で留めてある。切り終わったら糸をはずす |
延川の女性が作り出した布絵は、長年切り絵をしてきたベテランの手から生まれた。中国には、「新しいものは3年、着古して3年、縫い繕ってもまた3年」という諺がある。
農村の女性は、古い衣服につぎを当てる時、自分の持っている素朴な美的感覚で、さまざまな飾り物を縫い合わせる。枕、腹当て、布靴、肩当て、巾着には、吉祥の図案や人物、花、鳥の模様が細かく縫いつけられているが、それは自分の工夫で、実用にあった美しいものを作っているだけである。
こうした技術に目をつけたのが、文化幹事の馮山雲さんだ。1980年代、馮さんは、布絵という新しい芸術の形を作り、色とりどりの布を切り、一つの画面に組み合わせて、陝北の農民の生活と体験を、生き生きと表現した。今では、百人あまりの女性が布絵の制作を行っている。
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高鳳蓮さんの布絵「抓髻娃娃(まげを結った女の子)」細かく観察すると、目や鼻、口などがそれぞれデザインされ組み合わさっている。構想が不思議で大胆である |
県城から10キロ以上離れた村に住む、今年70歳の高鳳蓮さんは、1986年から切り絵と布絵を作り始めた。彼女の作品の造形はとても独特で、郷土色が強く、国内外の専門家や学者の評価を受けている。
95年、彼女の切り絵と布絵の作品が、中央美術学院の陳列館に展示されてから、次々と各展覧会で展示されるようになった。高さん自身も、何度か国内や国外で制作の様子を披露したこともあり、ユネスコから「民間工芸美術大家」として認められた。
高鳳蓮さんは、早くから自分の作品を展示する専門の窰洞を持ちたいと思っていたが、その願いが、やっと2005年に実現した。
高くて大きな灰色の屋根のついた正門の門楼は、吉祥の図案がレンガに彫刻され、その図案はすべて高さんの切り絵の形だった。
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民謡の内容から作られた『座花轎(新婦を乗せた、飾りをつけたかご)』の切り絵。賀彩紅さんが作った結婚シリーズの一つ |
正門を入ると、6つの窰洞が一列に並んでいた。そのうちの3つは、彫刻の施された深緑のガラスが取りつけられた、今年出来上がったばかりの展示室だ。そしてその隣の仕事場では、高さんと孫娘、若い女性の弟子が作業をしていた。眉間にしわを寄せ、厳しい顔つきで布絵を作っている高さんは、いつもの優しい表情の高さんではなかった。
高さんが作る切り絵と布絵は、少し風変わりで、動物でも人物でも、すべてが自由に、思いのままに表現されている。「切り絵や布絵で動物や人物を作るときは、どのように作ってもかまわないし、見た目がよければそれでいいと思っています」と彼女は言う。高さんもほかの陝北の婦人と同じで、形式にこだわることなく、作品に含まれる意味を重んじて制作している。(2006年8月号より)