【清風茶話 (2)】


茶菓子遊びとプロポーズ

                        日本在住中国人作家 キン飛


  《プロフィール》
チン・フェイ。北京生まれ。中学教師、記者、編集を経験後、94都市東京へ移駐。朝日文化センター、東京大学などにて教鞭を取り、80年代末、文筆活動を始める。エッセイ集『風月無辺』『桜雪盛世』『北京記憶』など著書多数(中国語)。北京作家協会会員。

 前回、明末期の儒学者・朱之瑜(号は舜水)に触れたが、彼の名前からは、同時代の著名な文人である李漁(浙江省蘭渓出身、号は笠翁、1611〜80)を思い出さずにはいられない。

 朱之瑜と李漁はともに浙江省の人だが、性格はまるで違う。朱は、まじめすぎるくらいまじめで、一方の李は、何をするにも遊び心を持っていた。朱は、江戸前期の日本での儒学の発展に貢献し、特に水戸学の形成を推進した。李は、日本に足を踏み入れたことはなかったが、江戸時代の戯劇に大きな影響を与え、特に同時代の戯作者は、彼を心から愛し、彼をまねて笠翁の号を使いたがった。私は、朱や李のような全く違ったタイプの外来文化を受け入れられる懐の深さが、日本文化の優れた一面だと思っている。

アンズの花。旧暦2月(新暦3月頃)、梅とほぼ同時期に開花する

 李も、朱と同じようにお茶好きで、彼のお茶談義はおもしろい。随筆『閑情偶寄』にこんな記述がある。

 李漁は、これで本当に客人をもてなしていると言えるのだろうか。まるでゲームではないか。彼にはこんな童心があった。

 私自身も茶客に数えていいと思うが、友人と集まれば酒も飲み交わし、千鳥足で帰宅することもたびたびだ。私はこう思う。茶客にも酒客にも、李漁のような友人は欠かせない。肝心なのは雰囲気で、李のような友人が、良い雰囲気作りの達人なのだろう。

 雰囲気を喫茶店や部屋の環境のことだと理解する人は多いだろう。この環境はもちろん、雰囲気を作り出す要素の一つだが、私は、それが雰囲気のすべてではないと考える。もう一つの雰囲気とは、李漁のような魅力ある友人との会話だ。この二つの自分自身以外から得る雰囲気が、ある種の心情を呼び起こし、そんな心情を雰囲気に溶け込ませることで、喫茶や飲酒の魅力を存分に味わうことができるのではないだろうか。さもなければ、どんなに高級な茶も酒も、本当の味を楽しむことはできない。

筆者(右)、波多野真
矢夫人、愛娘と一緒に

 近代散文の大家である周作人は、「瓦ぶきの小屋の紙張りの窓のそばでお茶をたしなむ。清泉の水と緑茶を準備し、気品ある質素な陶器の茶道具を用い、2、3人で飲み交わし、のんびりと過ごす。これは10年の夢にも匹敵する幸せだ」と言っている。彼のいう環境は、自分で探したり創造したりできるものだが、時間を気にせず語り合える友人を2、3人得ることは、望んでもなかなか叶うものではない。

 唐の詩人・李白は、月をめでながら自分の影を見て酒を楽しんだという。語り合える友がいない時に、月や影を友としていたのだ。お茶をたしなむ際にも、孤独が一番おそろしいと言えそうだ。

 孤独を感じないために私は、「笠翁」のような茶話をたくさん集めて置く。そうすることで、友人と会えない時には茶話を読んでおしゃべりに代えることにしている。そして徐々に、お茶好きの暇つぶしのために、自分でも物を書くようになった。

 時節の話題を書きたい。日本では、旧暦2月は「梅見の月」と言われ、中国では、アンズの花見に最適な季節のため、習慣的に「杏月」と呼ばれている。私は日本でアンズの木を目にしたことはないが、これはきっと気候がアンズの成長に向かないからだろう。中国のアンズは、大雑把に分けると、中国原産種と漢代に西域から持ち込んだ種の二種がある。主な違いは、実の中にある杏仁。中国原産種の杏仁は、漢方薬の材料だが食べられない。一方西域種の杏仁は、食用になり、しかもお茶の添え物としての最上品である。日本のほとんどの中華料理店のメニューには、杏仁豆腐があるが、これは西域種の杏仁で作ったものだ。興味深いのは、中国ではもともと、杏仁豆腐は西洋料理店のメニューだった。それが日本に伝わってからはどうして中華料理になってしまったのだろう。杏仁のような取るに足らないものも、複雑な国際文化交流史の一コマになっているとは不思議なものだ。

 アンズは、サクラ同様、バラ科に属する植物で、花の形もサクラに近い。しかし、色にはサクラと違った特徴があり、開花したばかりの頃は淡い赤色をしていて、その後徐々に純白に変わっていく。

『紅楼夢』の舞台
で、梅蘭芳演じる
林黛玉が、花が散
るのを悲しみ、土
の中に葬るシーン

 清代の長編小説『紅楼夢』には、アンズの記述がある。一カ所は、みんなが宝玉の誕生日を祝う場面。花の名を酒宴の肴にして、もし、与えられた花の名を使って上手に詩を作れなければ、罰としてお酒を飲まなければいけないという遊びをした。探春は、アンズの花について、「必ず素敵なお婿さんをもらえる花」と説明した。もう一カ所は、宝玉が、アンズの花がしおれ、小さな実がなっているのを見つけた場面。彼は、大観園(『紅楼夢』の舞台となった庭園)の女性たちが次々に嫁いでしまうのではないかと感じ、アンズを見ながら涙し、ため息をついたというくだりである。作者がこう書いたのは、アンズに特殊な意味があるからだ。中国の民間には、アンズには女性が嫁ぐ意味があると伝えられている。

 中国では、お茶にも、アンズと似た意味がある。宋代以来、男女が婚約する際には、男性側が女性の家に贈り物を贈る習慣があった。この種の贈り物は、「茶礼」と呼ばれ、贈り物の中には茶葉も含まれていた。女性側が贈り物を受け取れば、結婚同意を意味していたという。『紅楼夢』の王熙鳳が林黛玉に、いたずらっぽくこう語っている。「あなたは私の家のお茶を飲んだのに、どうして私の家に嫁に来てくれないの?」。このやり取りからも、『紅楼夢』が書かれた清代に、お茶で婚約を連想する習俗が残っていたことがわかる。

 いまの中国と日本には、多くの茶館がある。年齢に関わらず、おしゃべりやデートを楽しむのに最適の場所だが、百年余りさかのぼると、いまのように「気軽にお茶する」わけにはいかなかったようだ。(2002年2月号より)