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《プロフィール》
チン・フェイ。北京生まれ。中学教師、記者、編集を経験後、94都市東京へ移駐。朝日文化センター、東京大学などにて教鞭を取り、80年代末、文筆活動を始める。エッセイ集『風月無辺』『桜雪盛世』『北京記憶』など著書多数(中国語)。北京作家協会会員。 |
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私は今までに6回、京都に遊んだが、また行くチャンスが巡ってきた。今回は、何が何でも建仁寺まで足を伸ばしたい。実は、ずっと前から行きたかったが、きっと、縁がなかったからだろう。門の前を通ったにも関わらず、入れなかったこともあった。今年はちょうど、建仁寺建立800周年に当たる。今回の京都訪問では、ようやく私の願いを果たせるだろうという予感がする。
建仁寺にひかれるのは、もちろん、そこが栄西禅師(字は明庵)(1141〜1215年)が開いたお寺だからだ。800年の間に、数回火災に遭ったが、栄西は建仁寺の魂であり、その魂は一度も燃え尽きたことがない。そのため、建仁寺が当時のたたずまいを残していようといまいと、彼の心は活き続けている。
栄西はその生涯で、日本文化に影響を与えた二つの大事を成し遂げた。一つは禅を広めたこと、もう一つは茶を広めたことである。禅は臨済宗であり、『興禅護国論』を著し、茶は養生薬として伝え、『喫茶養生記』を著した。
建仁寺は、栄西が禅を広めた道場で、寺には茶の伝来を記念する石碑も残っている。歴史に詳しい方は、「△△の記載によると、禅と茶は栄西以前に日本に伝えられていた」と言うだろう。まったくその通りだ。しかし禅と茶は、どうして栄西の時代に、広く人々の心をひきつけたのだろうか?
この点について、私は長く興味を持ってきた。建仁寺の建立800周年記念を契機に、私の愚見を述べさせていただきたい。
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滝、茶、僧侶。禅は人生の一種の境地(写真・高弘奇) |
栄西が禅と茶を伝えることになった起因は、1168年と1187年の二度の入宋にある。その頃の南宋は、ちょうどもっとも繁栄していた時代だった。
宋の文化は、中国文化史上、非常に特殊な位置づけにある。当時は中国文化の転換期に当たり、漢・唐文化の時代が終わり、漢・唐文化を重要な基礎とする新興文化――宋文化が急速に形作られ、成熟していった時代だった。
たまたま日本では、3世紀から12世紀初めの千年のうちに、一貫して漢・唐文化に傾倒して吸収、改良し、その過程で日本独特の平安文化を創り出した。さらに都合よくも、日本の歴史は中国の宋代に転換期を迎え、武士社会への過渡期に入り、その社会に適した文化的イデオロギーを育てることが急務だった。そんな時、宋文化は、日本の文化と社会が必要としていたものを折りしも満たした。
栄西などの入宋僧は、決してマクロ的な立場から宋文化を日本に紹介したわけではなかった。しかし彼らは、成熟した美しさを自然に醸し出していた宋文化に魅せられ、当時の日本の文化と社会が必要としていたものを敏感に感じ取っていた。栄西の傑出したところは、宋文化の精髄であるといえる、禅と茶を選んだことだった。
禅は事実上、仏教と中国文化が深く融合した産物である。宋代に禅と儒教の融合が最終的に終わり、禅の中国での位置づけがさらにはっきりした。すなわち禅は、仏教の中国化を体現しているだけでなく、中国文化の中で、仏教の影響を受けて形成された重要な系統となった。禅もまた、のちの中国文化発展の基礎になった。栄西は、宋の禅を日本に伝えたことで、日本文化の発展に、一つの格好の足場を提供したと言える。
では茶はどうだろう。禅の状況とはとても比較にならないが、茶も、社会の各階層が交流するパイプとなった。中国人はいつも、喫茶文化の興りについて、時代的に早ければ早いほどすばらしいと考えがちだ。しかし実は、中国人の間に喫茶文化が普及したのは宋代であり、これこそ宋文化の特色の一つである。
茶は、唐代には主に僧侶の間で流行し、宋代になってから、皇帝や文人の提唱によって社会習俗となっていった。茶はまさに、仏教思想が中国社会に根付いた一種の象徴のようなものだ。茶と禅はともに、当時の中国人の日常生活に入り込み始めていた。言い換えれば、宋代の禅文化と茶文化には、はっきりとした社会性があるとも言える。
このような禅文化と茶文化は、日本に紹介され、日本の中世以降の武家文化に直接的な影響を与えた。そして武士階層は、禅と茶を利用して、日本の長い文化的伝統に新しい風を吹き込むことに成功した。
しかし日本人は、往々にして、自分たちの文化が漢・唐文化から吸収、改良したものを重視し、宋文化から吸収、改良して獲得した成果を軽視しがちだ。私は、宋文化から学んだ部分は、決して漢・唐文化に劣らないと思っている。
私はここで、いわゆる「茶禅一味」という言い方を、禅宗の説法としてではなく、茶と禅がともに宋文化を背景とすることを強調するために持ち出したい。栄西は宋文化を日本に伝えた先駆者で、私たちが尊敬、追想するに値する人物である。
「茶禅一味」について、私の言い方はあまりにも突飛で、茶と禅の相通じるところに、さらに説明を加える必要がありそうだ。
つい最近、あるお医者さんからこんな話を聞いた。その方によると、人の脳細胞は、視覚からの影響が強すぎると、一部の脳細胞の活動が活発になり過ぎ、他の脳細胞は刺激が足りずに活動しなくなってしまうという。
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寺院あるところに茶がある。これも茶禅一体の味わいの体現と言えようか(写真・馮進) |
禅の教えの一つに、「先入観を捨てる」というものがある。これは実は、発想転換を意味する。発想転換することで、大脳の中で過剰に活動している脳細胞をなくすことはできるかもしれない。しかし、普段あまり使わない脳細胞を活動させるには、さらに適切な方法を用いて、それらを刺激しなければならない。
方法はたくさんある。例えば目を閉じて視覚による妨害を避ける。例えば音楽によって聴覚を活発にさせる。例えば香をたいて嗅覚を刺激する。また喫茶でも、自然と味覚が反応する。味覚によって、普段はあまり使わない脳細胞を刺激し、それらの活動によって、私たちの発想は、日常とは違ったものが出てくる。
これらの違いが、すべて禅とつながっているとは限らない。しかし、少しは禅に近いものがあるだろう。「茶禅一味」はすなわち、医学と科学の道理にも叶っている。(2002年6月号より)
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