【清風茶話 I】


茶をめぐる主客の攻防

                        日本在住中国人作家 キン飛


  《プロフィール》
チン・フェイ。北京生まれ。中学教師、記者、編集を経験後、94都市東京へ移駐。朝日文化センター、東京大学などにて教鞭を取り、80年代末、文筆活動を始める。エッセイ集『風月無辺』『桜雪盛世』『北京記憶』など著書多数(中国語)。北京作家協会会員。

 筆を取った時、ふと明代の張岱の言葉を思い出した。「月の夕 花の朝、良朋好友、茶酒と相対し、一味の荘言、趣何有り?」(大意…月の夜、花の咲く昼間、よき友と茶や酒を飲み交わす時に、重い話題ばかりだったら何が楽しいだろうか?)

 今まで私が書いてきた茶話は、「重い文章」だったろうか。自分自身では何とも言えないが、少なくとも、まだまだ遊び心が足りないだろう。黄泉の張岱に笑われないように、思い切って茶の笑い話を紹介することにした。

 古代の茶にまつわる笑い話として、晋代(265〜420年)の喫茶好きな王蒙という人の話がある。彼は、客が来るたびに、いつもひっきりなしに茶を勧めた。そのためみんなは、彼と会うのを「洪水に巻き込まれるようだ」とこぼした。ただ、はるか昔の出来事なので、当時の人の喫茶状況について説明するのは難しい。南方の人と北方の人の生活習慣が違ったのか、それとも王が自分の趣味を人に押し付けたのか、今となっては判断できない。それでも、「洪水に巻き込まれるようだ」という言い方は、何ともおもしろい。

 のちに、徐々に茶で客をもてなす習慣が一般化し、茶にまつわる話も多くなった。有名なものでは、宋の第一の名士と称されている蘇軾(東坡居士と号する)の話がある。彼がある日、お寺でくつろいでいたところ、そこの和尚は彼が誰かを知らなかったため、いいかげんにもてなしていた。しばらくして彼が知識人だと知ると、少しだけ態度が変わった。さらに、彼がかの有名な蘇軾だと知ると、突然接待に熱がこもるようになり、最上の銘茶を運んできた。和尚が蘇に記念の揮毫をお願いすると、彼はこんな対句を書いた。

 坐$ソ坐$ソ上座
 茶、敬茶、敬香茶

 これは、和尚の態度の変化を巧妙に描き出している。この話には少し内容の違ったものがあるが、プロットに大差はなく、どれも、功利主義者を皮肉っている。

 もちろん、和尚の立場に立って考えれば、毎日いろいろな客を接待すると、どうしてもあきあきするだろう。その上、毎日のように銘茶でもてなしていては、その代金すら捻出できない。また、このような文士を丁寧に接待したところで、歓心を買うとは限らないというのも事実だ。

 例えばこんな話もある。明代の初期に解 という有名な文士がいた。ある日、彼は内親王府まで趙馬(皇女の婿)に会いに行った。しかしあいにく趙馬は不在で、皇女は彼が名士だと知っていたため、茶でもてなした。するとこの男は、わきまえもなく、皇女をからかう詩を作った。

 錦衣公子 未だ家に還らず
 紅粉佳人 茶を叫賜す
 内院の深沈に人は見えず
 簾を隔て閑却す一団花

 「フ(馬に付)馬が不在で、皇女は奥で寂しい思いをしているだろう」といった意味で、かなり軽薄な表現だ。皇女は大いに怒り、皇帝に訴えたが、幸いにも皇帝は、「彼は風流学士だ」と言っただけで咎めなかった。

 この話に出てくる皇帝は、明の成祖だと思われる。成祖の父親は太祖・朱元璋で、彼とお茶にまつわる話も伝わっている。

 太祖は、現在の国立大学に当たる国子監に行った時、そこの料理人が出したお茶を飲んだ。太祖はその味に満足し、料理人と言葉を交わしてお気に召し、最後には官職まで与えた。このことを知ったある文士は、「自分は十年も苦学したのに、お茶を出す料理人にも及ばないのか」という趣旨の詩を作った。太祖も偶然、文士の少しやっかみの入ったこの詩を聞きつけて、文士にこう返した。「あの料理人の才能は、おまえには到底及ばない。ただ、おまえには運が向いていないようだ」

 このように、客人に茶を勧めることで、思いもよらない結果が生じることがある。当然、もてなす側が手を焼くこともある。例えば、おいしい茶だけでは満足しない客もいるのだから。

 明代に陳音という人がいて、太常(宗廟礼儀をつかさどる役職)の官に至った。ある日、彼は突然知人の家を訪ねた。主人は茶をふるまい、彼はひっきりなしに飲み続けた。たとえ、「洪水に巻き込まれて」もお暇しないという勢いだったため、主人は、一食ご馳走するしかなかった。後になってわかったのは、この陳音、書簡整頓中に一枚の招待状を見つけ、某日某家の食事にご招待しますとの箇所だけを読んで出てきたのだった。彼は時間どおりに訪れて来たのだが、それは昨年の招待状だったという顛末である。

 もう一つ、客人を皮肉った笑い話をしよう。これは、張岱の『快園道古』の中の一話だ。

 謝という姓の官吏が、春の新茶を味わってもらうために、みんなを招待したところ、ほとんどの人は少しずつ茶を味わった。しかし一人は、すぐにぐっと飲み干してしまった。謝はあざ笑って、「あなたは本当に味わい方を知っていますね」と声を掛けた。するとこの御仁は、主人の言った意味を理解できず、「昨年もこのように飲んだのですよ」と得意気に言った。

 茶を味わえないこの客人が、謝を相手にしたのは、まだ幸運な部類に入る。もし、元代末期の有名画家・倪雜と出会っていれば、つらい思いをしたに違いない。倪は、自分で作った特製茶「清泉白石」をめったに客人にふるまわなかった。ある時、客人が彼に面会しようと丸一カ月待たされたが文句を言わなかった。倪は、その人の誠実さに感動して、家で会うことに同意した。そして、「清泉白石」をふるまった。

 倪と会った客人は、ちょうどのどが渇いていたため、連続で二杯の茶を飲み干した。それを見た倪は、突然立ち上がり客間から出ていってしまい、それっきり戻ってこなかった。客人は、なぜ主人の態度が変わったのかわからず、家の人を介して質問した。倪の伝言はこうだった。「銘茶をじっくりと味わえない者が『文雅の士』であるはずがない」

 実を言えば、倪のこの態度は、まだまだ遠慮のあるものだった。ある時、倪は一人の書生と接見中、突然わけもなく、容貌が不器量だとか、話がつまらないなどと相手をののしり、最後には立ち上がって、びんたを食わし、客人を追い返してしまった。

 こんな主人はおそろしいが、感心してしまうところもある。というのは、この茶には、客人をないがしろにするようなことが一切ないからだ。現在、客人を茶でもてなすことは日常茶飯事になったが、「よい茶、よい客、よい主人」の三者が揃うのは、並大抵のことではない。(2002年11月号より)